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在留邦人は包茎おち〇ちんから出てきたチンカス [在留邦人批判]

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このブログを読み返えすと『やっぱり面白い』と、自画自賛です。
在留邦人が描く「嘘」と「偽り」だらけの「夢の中のニュージーランド」と異なり、嘘も偽りも一切なく、ニュージーランドの実情が読み解ける書き物は、私のブログだけだなと、自画自賛している。やっぱり私は「レベチ」だなと。

たくさんの人が私の書き込みを批判するわけですが、私は私の評価をできるので、客観的に、多角的に、多様性の中を注視し、常に中立的立場で、自分に厳しく、人にも厳しく(!)、自分が書き込む内容が間違っていないことを骨の髄まで理解している。常に一方通行で、激しい思い込みと偏りある偏見に満ちた在留邦人との大きな違いです。
このブログを読む人が私を攻撃してくると、私の自己肯定感はパワーアップしてしまうので、なるべく、私を攻撃しない方が良いと思います。

過去にも何度か、在留邦人の本性を暴露する書き込みをしているが、アクセス数が桁違いに多い。
ついに私も「ガーシー」になったのかと、名誉なのか迷惑なのか、わかりません。私はガーシーのように再生回数でお金をもらっていないので、嬉しくも悲しくもありません。幸運なことに、お金に困る生活をしていないので、在留邦人のように「嘘」「デタラメ」「妄想」で、汚いカネを稼ぐ必要がないんです。

在留邦人って、皆、仲が良いけれど、皆、仲が悪いので、どの人も自分以外の在留邦人を信用していない。25歳を過ぎて日本各地からやって来た在留邦人の素性を知らない。自分も都合の悪いことは隠すが、相手も都合の悪いことを隠している。在留邦人が最も信用しない人は、在留邦人なのである。
そこで私が、ピンポイントで特定の在留邦人を狙い撃ちする書き込みは、ノーリスク・ハイリターンで失うものはなく、どの在留邦人にとっても、有益な情報源なのだ。それが、このブログに集まるアクセス数の多さに比例する。やっぱり私のやっていることって「レべチ」だと思うんですよね。皆さんも、そう、思いませんか?

私のような正確な情報で、内容が密で、読みやすい日本語ブログがあれば読んでみたいと思いますが、残念ながら、私のブログ以外でそのようなブログは存在しません。

薄れゆく記憶の中で、私が惨めな高校生をやっていた世界の僻地にあるド田舎のニュージーランドで困ったことは、日本語がわからなかったことにある。

現在も状況は変わっていないが、在留邦人の多くは、関西圏(主に、京都・兵庫・大阪)の出身者である。人口比に対し、北陸の出身者も多く在住する。この人たちの話す日本語が、まったく理解できない。初対面の私に対し『じぶん、どっからきたん?』と聞いてくるが、私は、この日本語が理解できない。『どっからきたん』は、「どこからきた」かと思うが、『「じぶん」、って、なに?』って思った。
関西人(主に、京都・兵庫・大阪)は「YOU(あなた)」に相当する日本語として「じぶん(自分)」という言葉を用いることを、ニュージーランドで初めて知った。日本人同士でも異なる日本語を使用する。そのことを、在ニュージーランドの関西圏出身者はまったく理解していないので、いきなり関西弁で、自分のカルチャーを前面に出し、初対面の私に話しかけてくるので日本語が通じないのだ。

それなら、ルー大柴の話す「ルー語」で、『ユー(あなた) は、 ジャパン(日本) の、ホエア(どこ) から、カム(来た) したの?』と、聞いてくれた方がわかりやすい。

多くの在留邦人は認識をしていないが、在留邦人の話す日本語は「ルー語」である。
『イミグレーション(入国管理局)に、アプリケーション(滞在書類)を、アプライ(申請)しに行きました。デスク(受付)でアクセプト(受理)してもらえませんでした。何がプロブレム(問題)だったのでしょう』という日本語を普通に使うので、何を言っているのか理解できない。
ルー大柴が、『イエスタデー(昨日)、マイリトルシスター(妹) と、トゥギャザー(一緒に) して、ストロベリー(イチゴ) を、イート(食べ) しました。デリシャス(美味) でした』と言うのと、何も変わらないのだ。

このやり取りを、初対面の日本人同士が即興でやり取りしなくてはいけないので、本当にくたびれる。
これが、私がニュージーランド嫌いになった一(いち)要因であることは、紛れもない事実である。在留邦人には日本語が通じないのだ。

もうひとつ、カチンとくることは、関西人は初対面の私に「アホ」と、すぐに言う。初対面の私に対し「はよ、死ね」と、言われたこともある。これが、関西人の挨拶(?)らしい。『ずいぶん、失礼な人だ』と思ったが、日本語の通じない関西人に文句を言っても日本語が通じないので、私の学校にいたパラグアイからの留学生(ものすごい金持ち)とやり取りするよりも難しかった。

関西人とは日本語が通じない。私は関西人に、良い印象がない。それは、ニュージーランドで出会った関西人の責任である。
私のことを批判する在留邦人は、私に迷惑を掛けた関西人を批判すべきである。

京都出身の人はわかると思うけれど、京都って、観光で行くから楽しい町で、そこに住み生活することは、厳しい土地である。古くからの仕来りが根深く残り、地元感情が強く、新しいことは全否定される。商売をやっている人はそこを離れることはできないが、商売をやっていなければ京都に住みたくない京都府民はたくさんいる。京都の人間が、流動層の多い東京や横浜にやってくると『こんなに自由に生きているのか!』と、同じ日本に驚く。その現実を知る私は『それって、ニュージーランドの若者が、ニュージーランドを語る時と同じジャン!』って、思った。ニュージーランドで、ニュージーランドを良く言う人って、留学生からお金を巻き上げる留学エージェント以外にいない。留学エージェントは、ニュージーランドを売り物にしないと、カネが稼げないので、都合良く、調子良く、ニュージーランドを担ぐ。本音では、ニュージーランドのことを、よく思っていなくても。
ニュージーランドの人はニュージーランドを良く思わない。ニュージーランドの人は、ニュージーランドの悪口しか言わない。チャンスを捕らえ、ニュージーランドを離れたいと願うニュージーランド人は、国民の5人に1人、100万人を超えている。ニュージーランド人の4人に1人が海外に住んでいる実情を考えると、それは、概ね正しいことだと思う。"ニュージーランド LOVE" の、在留邦人は、永遠に、永久に、認めないお話ですけれどね。

ニュージーランドからの直行便が出ていない関西・北陸地方の人たちが、なぜ、世界の僻地にあるド田舎のニュージーランドに魅了されるのか、まったく理解できない。
でもね、ニュージーランドへ行くと、本当に関西人しかいない。あちらこちらで関西弁が聞こえてくる。『ここは、梅田か? 三宮か?』と思うほど、関西弁しか聞こえてこない。だから私は、彼ら・彼女たちの話す日本語が理解できない。何を言っているのか、まったくわからない。そのわからない日本語を話す関西人のお世話を、問答無用で、強制的に、逃げても追いかけて来てやらさせられたのが、この私です。
その私が、関西人を良く思うわけがない。

「NZESCニュージーランド教育サポートセンター」代表の、伊藤 博秀(ヒロ・伊藤)さんという方は、「馴れ合いと助け合いは別」と話していたが、その言葉を、ご自身が面倒を見る留学生に、骨の髄まで叩き込んでもらいたい。自分が面倒を見ている生徒でも、現地校でのお世話は、何の関係もない留学生に丸投げですから、私が不満を持つわけです。

留学生をやったことがない人に、留学生の苦労は理解できない。
私がこのブログに何度も書いている『留学生は何でもやる必要はないが、何でもできなくてはいけない』という言葉の意味も、留学未経験者には理解できない。留学生は誰も助けてくれず、現地では粗末な扱いを受けるので、状況によっては、死んでしまう。死なないためには、何でもできなくてはいけない。

留学生は、好むと好まざると、他の留学生のお世話をさせられる。
思い出してもらいたい。あなたが通った学校で、クラスメイトの中で仲の良かった生徒は何人いただろう。多く見積もっても、2割もいないはずだ。1クラス40人学級で8人、1クラス30人学級で6人だ。この人数でも多いくらいだ。他の生徒は顔と名前は一致しても、ほとんど話しもしたことがない生徒である。
留学生になると、学内に日本人が10人いれば10人、20人いれば20人の世話をしなくてはいけない。これは、どの学校でも共通している。現地校の教員は『同じ国から来た生徒が助け合った方が良い』と、判断する。伊藤さんも同じことを考えるので『馴れ合いと助け合いは別』という言葉が出てくる。
では、初対面の、日本のどこから来たのか、なぜその学校へ進学したのか、日本で何をやってきたのか過去を何も知らない日本人留学生と、いきなり仲良くなれるのか。なれない。オールラウンドに誰とでも仲良くなれる人は、この世に存在するのだろうか。そんな人は、この世に、1人として存在しない。これを留学生は強制的にやらされている。

私にも好みがある。自分の時間を割いて何かを手伝ってあげてもお礼も言わない、無視してその場からいなくなる日本人の世話はやりたくない。しかし、学年が上がれば上がるほど、この役割りから逃げることができない。

ニュージーランドの学校には「リーダーシップ教育」(Educational Leadership) という、上級生が下級生の面倒を見ることで模範例を示し、次の代のリーダーを育成する慣例教育がある。オークランド大学には「リーダーシップ教育専攻」の修士課程も設置されている。『自分さえ良ければ、他人は、どーでもいい』と考えるニュージーランドの国民性では、人々はバラバラに行動をとるため、連帯感も協調性もなく、目的が達成できない。ニュージーランド人との人付き合いは、辛抱強くないとやっていけない。農業国という立地から、食うに困らず、危機感がなく、国民感情が緩く、生産性は低く、競争力もない。放っておけば、悪い方向にしかいかない。学校教育の中でリーダーシップを学び、連帯感を持たせ、協調性を養い結果を出す。これが、ニュージランドの教育の中心にある。

英国のパブリックスクール(名門私立校)では、なぜ、学校教育の中でラグビーを重視したのか。心身を鍛え、植民地という厳しい環境下で活躍できるリーダーを育成するためにラグビーを導入したからだ。ラグビーは試合が始まるとコーチは指示を出せない。キャプテン(主将)がすべてを判断し選手へ伝える。審判の判断を選手へ伝え、選手の意見を集約し審判へ伝える役割を担う。ラグビーでキャプテンの存在が大きな理由は、このリーダーシップにある。
大英帝国の植民地で活躍できる人材を育成するために、パブリックスクールでラグビーを導入した。労働者階級のスポーツであり、お金で選手が移籍するサッカーを、パブリックスクールは嫌う。ラグビーは、超保身的なスポーツであり、現在もアマチュア主義を貫き、プロ化を目指していない。なぜか。お金で選手が移籍すれば、連帯感も、協調性も失われ、チームで活躍できるリーダーは育たない。ニュージーランドラグビー協会(NZRU) は、海外移籍したラグビー選手をニュージーランド代表チームに入れない。「裏切り者」だからだ。この歴史観と思想は、大英帝国の植民地であるニュージーランドへ移植され「リーダーシップ教育」として、学校教育に引き継がれた。

どの学校でも「リーダーシップ教育」は取り入れているので、現地校の教員は、留学生の面倒を留学生に見させている。「リーダーシップ教育」は、留学生のお世話にかぎらない。私は、現地校の生徒に勉強をおしえたこともある。学内の仕事を手伝うこともリーダーシップ教育では求められる。図書館の蔵書を整理する生徒、コンピューター室でコンピューターの管理をする生徒、解剖用の実験動物の世話をする生徒もリーダーシップ教育の一環として学内の仕事に従事している。学校にお客さんが来校した時は、在校生として話しをしたこともある。学校見学にやってきた進学希望の親子に、学校生活の話しや学内設備の紹介をしたこともある。校内で迷う進学希望の親子を目的の教室まで案内する。車を駐車場へ誘導する役割も立派な「リーダーシップ教育」である。『自分さえ良ければ、それでいい』と考えるニュージーランドの国民性では、誰も、駐車場へ誘導してくれず、安全が保てない。これらはすべて、上級生の役割であり、リーダーシップ教育は、協調性を養う重要な教育である。そう、在留邦人が大嫌いな「協調性」を養う教育を、ニュージーランドの学校は最重視するのだ。

日本にいれば『この生徒とは性格が合わない』と、避けることができても、現地校にいるかぎり、それは避けて通れない。現地校の教員が『日本人が日本人の面倒をみることがリーダーシップ教育の一環である』と判断すれば、留学生はそれに従わなくてはいけない。ここで私が日本人のお世話を拒絶すれば、教員は私に対し「上級生としてリーダーシップを発揮していない」と、悪い評価を下す。事実、私は日本人のお世話を拒絶したことで、教員から最低評価をくらい、ケチョンケチョンに叩かれた評価報告書が送られてきた。多くの生徒は、この評価報告書を大学進学時の内申書として提出するが、私は最低評価をくらったので、この評価報告書を提出することができなかった。
ニュージーランドは「推薦状」の評価が絶大なチカラを発揮する信用社会なため、推薦状に書かれた内容は「クロ」を「シロ」に変えるチカラを持つ。実際に私も、推薦状1枚で「クロ」が「シロ」に変わる瞬間を、多々、目撃している。『礼もなければ感謝もない日本人の世話はできない』と言っただけで、私は最低評価を受けた。私の努力は徒労に終わった。
留学生をやったことがない留学エージェントは、この「徒労」の意味を理解できない。理解できないから、現地校の様子が良く見える。受験がなく、アウトドア教育が充実し、嫌いなことはやらず好きなことだけを選び個性を伸ばす教育が行われていると、大きな勘違いしている。そりゃーそーだ。自分がやったことがなければ何でも良いように解釈を変えてしまう。"Prefect" を「生徒会」と、メチャクチャな解釈に変えてしまう。過去も経験もなければ、嫌な記憶しか残っていない日本の学校と、自分の中に存在しないニュージーランドの学校を、無理やりくっつけ、別のお話しを作り出してしまう。これが「妄想」です。在留邦人お得意の「妄想」です。ニュージーランド人に「妄想学校」のお話しをしても、『そんな学校はニュージーランドにない』『それがニュージーランドであるなら、そこはニュージーランドではない』となってしまう。そりゃーそーだ。「妄想学校」は、妄想の中にしかない。ニュージーランドにも、日本にも、アゼルバイジャンにも、トルクメニスタンにも、「妄想学校」は存在しないのだ。

伊藤さんがお金をもらい面倒を見る日本人留学生が、学内で問題を起こした(とする)。留学生担当の学校職員は、伊藤さんの電話番号を知っているが連絡はしない。すぐそばにいる他の日本人留学生に告げ、『この問題児(の日本人)を何とかしろ』となる。そこに動員されるのが、この私です。私が『その留学生のことは知らないので手伝えない』『何かを手助けしてもお礼も言わずいなくなる日本人留学生の手伝いはできない』と伝えても、『おまえがやれ』の、一点張り。本来、これは伊藤さんの仕事だが(そのために伊藤さんは留学生の保護者から高額なエージェント料を受け取っている)、勤労意欲のないニュージーランドの学校職員が、イチイチ、伊藤さんの電話番号をさがしだし、電話を掛け、いつ来るのかわからない伊藤さんを待つより、すぐそばにいる私に(伊藤さんの)仕事を丸投げする。これが、現地校で起きている日常であるが、伊藤さんはその事実を、現在に至るまで知らない。なぜなら、伊藤さんは現地校の生徒ではないからだ。留学経験もなければ、現地校での修学経験もない。何も知らない「自称・留学エージェント」なのだ。

何年か前に、私は伊藤さんと、直接、お話をさせていただく機会に恵まれ、名刺をいただいた。今でもその名刺を保管しているので、フルネームで、漢字で、名前が書ける。名刺交換って、悪口を書く時に役立つので、捨てない方が良いです。
在留邦人って、ファーストネーム(下の名前)しか知らないので、漢字でフルネームを書ける人は存在しない。日本へ帰国してしまうと、名前の検索もできなくなる。在留邦人に、名前はないのだ。
伊藤さんは典型的な在留邦人なので、大好きなニュージーランドを離れ、生活拠点を東京へ移しても、ニュージーランドを大絶賛する姿に辟易(へきえき)した。あのね、生活拠点を東京に移しても、広島出身、観光ガイドから出発し、クライストチャーチで日本人向けの観光会社を設立するも事業に失敗し、まったく経験のない留学ビジネスに飛び込み、「時代の流れ」という幸運を掴み、留学ビジネスに成功した伊藤さんの言葉に説得力はない(ここまでは伊藤さんが公表している自分史である)。
私にもずいぶん、『現地校の先生と知り合いだから何でも知っている』と、しつこいくらい力説していたが、現地校の先生と称する人たちは、留学生集めの営業担当の職員で、教員ではない。学校では、営業担当の職員が点数をつけるのか? 成績表をつけるのは、教員資格を持たず、学科指導を行わない営業職の学校職員か? 点数をつけるのも、成績表をつけるのも、教員資格を持つ教員である。生徒に点数をつけない営業職の職員と仲良くなっても、何の意味も価値もない。
伊藤さんはニュージーランドが大好きな一方通行の頭がおかしな人だと思い、私は話しを止め、その場を立ち去った。伊藤さんは、とにかく拘りが強すぎて、人の意見をまったく聞かない。『ニュージーランドが、絶対に、正しい』と、一方的に信じ込んでいる人と話しを進めても時間の無駄に感じ、私はその場を離れたのだ。伊藤さんにとっても、私と接する時間は無駄に終わっただろう。それは本当に申し訳なく思うので、ここに謝罪したい。伊藤さんが目の前にいれば、おでこを地面にくっつけ土下座し、その場でゲロを吐いて謝罪します。

伊藤さんと面識ある読者は多いはずなので『ねーねー、伊藤さん。あおいちゃんが「ニュージーランド大嫌いブログ」に、伊藤さんの悪口を書いてるよ』と、チクってください。チクるなと書き込んでも、チクるのが在留邦人ですから、在留邦人って、どーしよーもないクズです。包茎のおち〇ちんから出てくるチンカスだと思っています。

伊藤さんはヘルス(体調)がノットグッド(悪い)で、ホスピタル(病院)に イン・アンド・アウト(入退院)をリピート(繰り返し)しているので、あまりストロング(強烈)なチクりはノーインプット(入れない)した方が、メンタル(精神) のために、グッド(良い) だと、 シンク(思い)し ます。シック(病)はフィール(気)からとセイ(言う)なので。

ニュージーランドが大好きで、ニュージーランドを絶賛する伊藤さんが、なぜ、日本へ帰国し、日本の公的医療制度に頼り、東京の病院に入院しているのか、大きな疑問です。
私の悪口を伊藤さんにチクるより『ねーねー、伊藤さん。ニュージーランドが大好きで、ニュージーランドの永住資格を得て、ニュージーランドの公的医療制度の恩恵に預かれ、ニュージーランドで生活保護も受けられるのに、何で日本に戻り、ニュージーランドより質が低い東京の病院に入院しているの?』って、聞いてあげたほうが、よろしいかと思われます。

伊藤さんからの回答を、私に伝えにこなくていいです。まったく興味がないので、余計なお世話はやらかさないでください。本当に迷惑なのでやめてもらいたい。でも、在留邦人には日本語が通じないので、とてもとても困ります。