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ずる賢いバカだけが得するニュージーランド [在留邦人批判]

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「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史の帰国理由が娘の重度の知的障害にあったこと、「たけNZ大工さん」の娘が先天性の難聴であることを笑いネタとして用意してあったのだが、これを書いているのが「4月1日」ということもあり、私の書き込みを楽しみにしている 600 - 800人 の「見知らぬ読者」に誤解を与えないため、あえて、書き加えることをやめることにした。

私は数少ない邦人男性を目の敵にしていると思う人が多く見られるが、実際のところ、邦人男性など、どーでもいい。在留邦人の6割は女性であり、邦人女性の平均年齢は34歳を超えている。他方、邦人男性の平均年齢は19歳。この19歳とは、短期滞在の留学生である。すなわち、ニュージーランドの邦人社会は長期滞在者を中心とした圧倒的な「女社会」であり、男女の年齢差に15歳も開きが見られる人種層は日本人以外にいない。

私のブログにやってくる 600 - 800人の「見知らぬ読者」は、なぜ、私が見知らぬ在留邦人を攻撃しているのか疑問に感じるだろう。それはとても簡単な理由で、在留邦人には1つの性格しかない。1つの生き方しかない。在留邦人は、皆、異なる人物であるが、その性格も生き方も「1つ」しか存在しない。この「1つ」(英語では "Identical" と表す)という概念が「民主社会主義国家」のニュージーランドでは上手く機能する。「自由民主主義国家」の日本を離れ、初めて体感する「民主社会主義国家」に居心地の良さを感じ、左翼の生き方に感銘を受けたのが、在留邦人である。

約30年前、私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたわけですが、私に嫌がらせを行い、いろいろとやらかした在留邦人と日本人留学生は、皆、同じ性格、同じ生き方しか持てない人たちであった。

私は見知らぬ在留邦人を攻撃しているわけでない。私は、かつて、私に対し嫌がらせを行った在留邦人と日本人留学生に「復讐」を行っているだけである。
これは何かと似ていないかと思い返すと、ロシアによるウクライナ侵攻と同じ精神構造なのだ。ソ連邦が崩壊した1991年12月25日、ウラジーミル・プーチンは東ドイツのドレスデンで諜報活動をしていた。祖国を愛し、祖国のために働き、祖国のためにスパイ活動を行った。しかし、ソ連邦の崩壊と同時に東ドイツの民に取り囲まれたプーチンは命の危険を感じた。自分が殺されると感じた。自分が仕えるソ連邦が崩壊する姿を見て大きな屈辱を感じた。祖国を愛し、祖国に尽くす自分が、なぜ、命を狙われる側へ変わったのか。KGBの諜報員のプライドは無残にも打ち砕かれたのだ。これがヨーロッパへ対する敵対心と復讐心へと変わった。ヨーロッパへ対する敵対心と復讐心は、30年後の2022年に現実化することになる。

それでは私は ウラジーミル・プーチン なのかという疑問は「4月1日」にすべきでことではない。私はウラジミール・プーチンではないからだ。
しかし私は、「長田雅史の娘」の首を飛ばすこと、「たけNZ大工さんの娘」の首を飛ばすことを、決して忘れていない。父親であるオヤジたちに言っても日本語が通じないので、この落とし前は娘たちにつけてもらう。これは「聖戦」であり、今、この瞬間も、私は娘たちの首を狙っている。それは、ある日、確実に起きる。私のすべてを掛け実行に移す。ウラジミール・プーチンが受けた屈辱と同じことをして見せる。

『さすがにこの人は、私の書き込みは読まない』と、信じていた在留邦人が4名、私の書き込みを読んでいた。
私が書く文面は差別化しているので、他の人は同じ文面を書けない。同じ書き方をしているとすぐに私の文面を読んでいることがバレてしまうのだ。私もそれが狙いで差別化した文面を、あえて、書いている。「バカ探知機」に正確に反応するようにね。幸運にしてか不運なのか「バカ探知機」は、正常に機能している。

日本に帰国中の在留邦人"K・M"(女性) も、私のブログの熱心な読者である。この人も典型的な在留邦人で、非常に面倒な性格の持ち主である。日本にいる母親に対する憎しみが非常に強いが、本人はそのことを認めたくない。母親は自分を認めてくれないとイジけている。中学生の女子ならまだしも、25歳をすぎた良い年をした女性がイジけているのだ。痛々しい姿です。"K・M" の言葉を用いれば「母親は背中を押してくれない」となるが、良い年をした大人の背中を押してくれる母親が、この世にいるのだろうかと、性格の悪い私は深く考え込んでしまう。
平均的な母親、一般的な母親は、自分の子を褒めない。幼少期はまだしも、成人に達した実の子を親が褒めることはない。これは、在留邦人が大好きなニュージーランドでも同様である。ニュージーランドは人間関係がドライなので、成人になれば実の子の誕生日もやらない。幼児の誕生会は派手に、そして盛大にやるが、成人になった子の誕生会はやらない。プレゼントも渡さない。子は親の誕生会をやるよ。でも、親は子の誕生会はやらない。
ニュージーランドの母親は自分の子は褒めない。3歳児や4歳児は褒める。『今日は上手にウンチができたね』って。それ以上の年齢では褒めているように見えるだけで、母親は自分の子を褒めていない。

"K・M" は母親に対する憎しみが強い一方で、パケハ(白人)に言われたことをすぐに聴く。よく聴く。そして、即、実行に移す。それゆえに、パケハからはウケが良い。それで『自分は(パケハに)愛されている』と、勘違いしている。
他方、自分の母親に言われたことはまったく聴かない。何もやらない。もちろん、実行にも移さない。母親に対する信頼がないからだ。まったく同じことを「パケハ」と「母親」に言われても、「母親」に言われたことは無視して、「パケハ」に言われたことだけを聴く。そして、『パケハに言われてハッと気づいた』『私を気づかせてくれたパケハ LOVE』となる。この「LOVE」は「ニュージーランド LOVE」になる。

私からすると、まったく同じことを言い続けた母親が可哀そうに感じますが、そこは母親なので、娘に対する憎しみは生じない。これが母だけが持つ「母性」である。"K・M" に助言してくれたパケハに「母性」は存在しない。母親ではない "K・M" にも母性はない。

"K・M" のような人は、かつて、私が色々なことをやって助けてあげても、お礼も言わず、そのままいなくなってしまう在留邦人と同じなのだ。パケハが助けてくれると飛び跳ねて喜ぶ。『日本人はこんなに親切に助けてくれない!』と、叫びならがら喜ぶ。他方、私が(教員に言われて)助けてあげても「反感」しか持たない。そのうち、文句を言い出し個人攻撃が始まる。何で私が日本人を助けて、文句を言われ、攻撃を受けなくてはいけないのか。"Headache" "Headache" と、頭を抱えてしまうのだ。これが、私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた約30年前の日常である。

"K・M" には、すぐそばで、大きな愛で包み込んでくれる母親がいても、その愛情を感じることがない。他方、見知らぬパケハの言うことだけを絶賛する。そのパケハは、"K・M" の "ヘソから下" だけを狙っていることを知らない。生殖能力がある一定の年齢まで、"K・M" はパケハからウケが良い。それが「モテる」と勘違いしてしまう典型的な在留邦人である。このタイプの在留邦人が「圧倒的な女社会」のニュージーランド邦人社会にはウジャウジャ存在し「日本人代表」になり、あることないこと、メチャクチャなことを言い始め、反日思想へと偏るので、私は "Headache" と頭を抱え、ニュージーランドを脱出した。その決断ができた私は『ニュージーランドにいなくて幸せ』と、心の底から幸せを感じてしまうのだ。在留邦人よりは確実に良い人生を歩んでいることを神に感謝したい。

私は "K・M" は、「抑うつ状態」だと思う。かつて「気分変調症」と呼ばれた「持続性抑うつ障害」だと思う。母親に対する憎しみ、過剰なまでに「認められたい」と願う承認欲求、拒食症と過食症、自尊心の低下、悲観主義、絶望感。
「持続性抑うつ状態」の面倒な点は、いつから調子が悪くなったという感覚がなく、慢性的に悪い状態が続いている。おそらく、"K・M" は、中学生の初めには、抑うつ状態になっている。これが慢性的に続くので、「調子が悪い」が日常化してしまい、重度の精神疾患になってしまう。同時に「パーソナリティー障害」を併発している。慢性的に思春期が続く状態、母親のやることは認めない一方で他人に愛され認められたい承認欲求、極めて偏りある考え方、人と同じでありたいのに同じことはしたくない欲求は「パーソナリティー障害」の典型例である。"K・M" も、大多数の在留邦人と同じく「精神病者」である。在留邦人には、このタイプの精神病者が本当に多い。その精神病者のお世話をさせられたのが私であるのなら、私がニュージーランド嫌いになるのも当然のことである。"K・M" のように重度の精神疾患を抱えると、精神科医も『こりゃ、無理だ』と、私に丸投げする。特に勤労意欲のないニュージーランド人は、仕事をしないことを仕事にしているので、1つでも仕事は減らし、他人に押しつける。その間に、自分は逃げる。世界の僻地にある島国の民がやりそうなことだ。

私は "K・M" の人間性について、一切の関心はないが、"K・M" の滞在許可に関心がある。
この人がオークランドでやっている職業では滞在許可は降りない。しかし "K・M" は、滞在許可を取得している。
"K・M" には、内縁関係にあった夫に準ずる交際男性がいた(これは "K・M" が公言していたことである)。この人をスポンサー(保護責任者)に登録し、滞在許可を取得したのではないかと。現在 "K・M" は、この男性との内縁関係を解消したので(これについても "K・M" が公言している)、"K・M" の滞在許可も無効になったはずだが、ニュージーランドに滞在している。このことについて、私は、"K・M" が設置していた "Peing(ペイング)" という匿名質問箱に滞在許可について説明を求めたが、"K・M" は「屈辱的な質問が届いた」と、返答しなかった。それまでの日本叩きや、添加物、ダイエット、過食・拒食症に関する質問には雄弁に返答していたが、私が送った滞在許可の真相については、一切返答しなかった。そして、「屈辱的な質問が届いた」と、 "Peing" を閉じてしまった。「屈辱的な質問」とは、どのような質問だったのでしょう。私が投稿した質問が屈辱的でないことを願うばかりです。

私は、今でも、"K・M" が持つ滞在許可の種類を知りたい。あなたは、どのような滞在許可を所持し、それゆえに、オークランドで自由な生活が送れるのかと。
ニュージーランドが自由で、公平で、平等な社会だから「生きやすい」のではなく、元交際相手に、おんぶに、だっこ、乳母車に、肩車をしてもらっていたから「生きやすい」のではないかと、性格の悪い私は疑ってしまうのだ。日本にいる母親は25歳をすぎた娘をおんぶも、だっこもせず、乳母車に乗せ、肩車もやらない。スケベな理由で「ヘソから下を狙う」パケハだから、"K・M" をおんぶして、だっこして、乳母車に乗せ、肩車をしたのではなかと、同じくスケベな私は疑ってしまうのだ。
その真相を "K・M" にぶつけてみたが、"K・M" は私の質問に返答しなかった。ここに、悪意に満ちたおぞましさを感じてしまうのだ。
私が送ったイーストウインドに関する質問状3通のどれにも返答してくれない「ニュージーランド大好き社」の 野澤哲夫 社長も、そう、思いませんか? 自分から『質問があれば送って来い!』と書き込んでいたので質問を送ると、返事をしない。「ニュージーランド大好き社」の 野澤哲夫 社長も、"K・M" の醜態に悪意を感じませんか? やっていることが非人間的で反社会的だと、思いませんか?

私が "K・M" に滞在許可に関する質問を送っても、"K・M"は答えてくれないので、皆さんから "K・M" に、質問を送ってください。『おまえ、どんな滞在許可もってんだよ』『パケハに、おんぶに、だっこ、乳母車に、肩車してもらってんだろ』『自立して二本の足で立て!』って。皆さんからの質問にも "K・M" が答えられない時は、『そーいうことなんじゃないかなー』って、性格の悪い私は疑ってしまうのだ。

私は、弱く、自立できない人がいるのは、自然なことだと思う。「婚姻」という制度は、それを象徴しているのだ。弱い者は強い者へ助けを求める。強い者は弱い者を支配下に置く。これに宗教観が入り、歴史的変遷を経て、「婚姻」という制度が成立した。結婚する時は神の前で、仏の前で誓いを述べる。子供が生まれたらお宮参りで報告する、教会で洗礼を受ける。人が死ねばアーメンでも、仏壇でも神棚でも、お葬式を行う。「婚姻と宗教」が、強いつながりを持つことは歴史的事実である。そして「婚姻」とは、現在でも、弱者と強者の関係を法的に立証する制度である。

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた頃も、ニュージーランド国内に所在する熱心な信仰者は人口の 7% 程度と言われたので、現在は 5% くらいしかいないと思う。人口の 5% と言っても、30万人くらいは存在するので、政治を動かすこともできる人数である。しかし、この比率になってしまうと、宗教を基準とする婚姻制度は破綻している。信仰心ない人に、宗教を基準とする法律婚は存在意義がない。

ニュージーランドで内縁関係が法的有効性を持つ理由は宗教にある。それゆえに、ニュージーランド国内では、内縁関係の法的有効性が理解されるのだ。ニュージーランドが先進国だから内縁関係が認められるわけではない。日本が遅れているので内縁関係に法的有効性が認められていないわけでもない。すべては「宗教が基準か否か」が重要なファクターになる。なぜなら、ニュージーランドは宗教を基準に全てが動く「宗教立国」だからである。聖金曜日(Good Friday)は、なぜ、公休日に指定されているのか。復活祭(Easter Sunday)を、なぜ、宗教行事として最重視するのか。聖誕祭(Christmas)は、なぜ、アルコールの販売が終日禁止され、店舗が営業をすると 1,000ドル(10万円)の罰金刑になるのか。生活の中に宗教があり、法律の中に宗教がある。これが、ニュージーランドの日常である。

日本は宗教を基準に社会が動く「宗教立国」であろうか。「日本は天皇を中心とする神の国」と発言し、総理大臣が失脚した国なので、日本を宗教立国と見る向きはない。日本が宗教立国であれば「天皇を中心とする神の国」は、その発言通りとなる。日本のように信仰の自由が保障され、移動の自由が保障され、言論の自由、職業選択の自由が保障された国を、私は見たことがない。学校で日本国国旗を揚げる、国歌斉唱をするだけで社会問題になる。在留邦人が大好きなニュージーランドも、ここまで自由ではない。キリスト教以外の宗教を認めないニュージーランド人は、人口の 5%、30万人くらいは存在するわけです。私は、クライストチャーチのキリスト教学校に通ったので、教員はキリスト教右派政党の熱烈な支持者であり、聖書に書いてあること以外は信じていなかった。理科で「ダーウィンの進化論」は教えない。聖書にダーウィンの進化論は書いていないから教員は信じていない。『ニュージーランドは自由な国か?』と、聞かれたら『日本のような自由な国でない』としか答えられない。キリスト教学校でダーウィンの進化論の話をすれば『おまえは進化論を信じているのか?』と、厳しく指導される。これが、宗教学校の標準的な指導である。そこに特別な驚きはない。そのような考えを受け入れられない人は、高額な学費を支払う宗教学校に通わなければ良いだけのことだ。

世界各地で内縁関係に法的有効性を持たせる国は宗教立国である。先進国ではない。宗教立国で宗教が機能していなければ内縁関係を認めざるを得ない。内縁関係を認めないと、法治国家として機能しない。人々の自由な生き方を認めるために、内縁関係を認めるわけではない。在留邦人はお勉強のできないおバカ集団ですから、訳のわからない自己解釈でニュージーランドを絶賛するが、ニュージーランド側は『そのような事実はない』と、否定するのだ。これが、すべては宗教を基準に社会が動くニュージーランドの法解釈である。内縁関係を法律婚とみなす法解釈についてキリスト教右派から反発はない(ただし、同姓婚の法制化については、キリスト教右派が猛反発している)。

人間は「婚姻」により、一度、死ぬ。これは、どの宗教にも共通する概念である。人間は結婚すると、一度、死ぬ。結婚することは死ぬことなので、結婚式は白い正装で行う。肉体が死んだ時も白装束で葬式を行う。キリスト教も、仏教も、神道も、イスラム教も、結婚式と葬式は白い正装を身にまとう。
内縁関係では結婚式を行わないので、死ぬ必要がない。死ぬ必要がないので、婚姻も必要ない。それゆえに、内縁関係は法律婚として認められるが、宗教を基軸とする宗教婚ではない。それでは、この概念が、広く一般に浸透しているのかと言えば、少なくとも、宗教立国・ニュージーランドでは認められていない。ニュージーランドで内縁関係でいる人は、複雑な事情から結婚できない人、宗教間の対立から宗教婚が認められない時に限る。そのため、無宗教の人が内縁関係を保つことに異議はなくとも、「ノーマルな人間ではない」と、レッテルを貼られる。ニュージーランドの教会は、一か所として、内縁関係にあるカップル、同性愛者の結婚を認めていない。正式な婚姻関係にない人間は「ノーマルではない」と、判断するからだ。

在留邦人が大好きなジェシンダ・アーダーン首相も内縁関係であることから、結婚式は挙げられない。「結婚式をしていない」ではなく「結婚式ができない」。宗教立国・ニュージーランドでは、1つの教会も、内縁関係にあるカップルの結婚式を認めていないからだ。そのアーダーン首相も支持率の低迷からなのか、母になった心境の変化からなのか、「官僚以上の官僚」と揶揄されるキリスト教右派の支持を取りつけたいからなのか、「法律婚」を選び、婚約したことを認めた。次は、法律婚に基づく結婚となるが、ニュージーランドでは、教会の牧師が結婚を認めるわけではなく、「婚姻公証人」と呼ばれる人の前で宣誓を行い結婚したことを認めてもらわないと結婚できない。なぜなら、「婚姻」は「法律婚」であることから、有資格者に認められないと「結婚」できないからだ。この費用に 150ドル(15,000円) が掛かる。さらに、宣誓を行う正式な式場が必要となり、この手配に 90ドル(9,000円) が、別途、掛かる。さらに、証人2名の賛同が必要となり、証人2名が賛同しない時は結婚が認められない。在留邦人が大好きな「オンライン方式」も法律婚では認められない。大雨でも、大雪でも、台風でも、火山の噴火でも、結婚する2名と婚姻公証人1名と証人2名の5名が同時に同一箇所に集まり「宣誓」を受けないと「結婚」は認められない。ニュージーランドで「法律婚」を選ぶことは、手間と費用がもの凄く掛かる。これを「無宗教」の人間が選ぶわけない。
結婚するにも手間が掛かるなら、離婚するにも手間が掛かる。双方が同意すれば離婚できるわけもなく、2年間の別居が条件となる。2年間の別居が公的に認められ、収入と納税負担が双方別会計でないと、離婚したくても離婚できない。こんな面倒な仕組みを「無宗教」の人間が選ぶわけない。ニュージーランドで「事実婚」が認められる背景には、非常に複雑な宗教的理由が存在するのだ。

日本の「結婚」と「離婚」が紙1枚で、即時、効果発揮と知れば、ニュージーランド人はそのままひっくり返り、死んじゃうと思います。ニュージーランドでは考えられない簡素化された法手続きだからね。

「法律婚を選ぶ」と公言したアーダーン首相も、コロナの影響で予定していた結婚式を中止した。政治家が公言したことを履行しなければ政治不信につながるので、キリスト教右派が猛反発することは必至。この猛反発は、政党不信、支持率の低迷、そして、落選につながる。ニュージーランドでキリスト教学校に通った私には、キリスト教右派の考えることが手に取るようにわかる。『あの人たちがやりそうなことだな』ってね。在留邦人が大好きなアーダーン首相は、キリスト教右派の顔色を伺うことなく、政治家を続けることはできない。これは、アーダーン氏にかぎらず、歴代のニュージーランドの政治家が経験してきたことである。『キリスト教右派に認められないと政治活動はできない』。これが「宗教立国・ニュージーランド」の、本来の姿である。

ニュージーランドでは、エビデンスを重視する科学者の婚姻率は高く、信仰心も厚い。これは私の肌感覚なので、否定されてもかまわないが、客観的な証拠がないことを信用しない科学者が、宗教を基準とする「婚姻制度」を選び、信仰心が厚いのだ。これが言語では説明できない「宗教立国・ニュージーランド」の姿である。

私はクライストチャーチのキリスト教学校に学んだが、理系学科の教員たちは既婚者で、教会での活動に熱心であった。内縁関係が法的有効性を持つニュージーランドで、内縁関係にある教員は1人もいなかった。内縁関係にある人に対して "Sick" と、差別的発言が飛び交う。キリスト教徒が差別しないと思ったら大間違いだ。私が教員たちから学術的側面を学んだことはほとんどなかったが、教員たちと信仰について語ることは楽しかった。キリスト教学校って、数学の時間でも、物理の時間でも、いきなり宗教論争が始まる(←宗教学校あるある)。さっきまで関数の問題を解いていたのに、その30秒後には、『聖書にはこう書かれている』と、いきなり始まる。しかし、そこは倍率の高いキリスト教学校に採用された専任教員だけあり、正しい神学教養を持ち、宗教的議論は噛み合う。在留邦人のような、トンチンカンな自己解釈は言わない。理系らしく理路整然と信仰を語る。私が見ても『こいつらはキリスト教をよく勉強している』と思いましたから、間違いありません。

在留邦人は思い込みが激しく、事実と異なる一方通行な自己解釈が激しく、会話が成立しない。とにかく、偏りが激しく、接すると、心底、くたびれる。

"K・M" も、この気質そのものであり、日本の食材の全てに「食品添加物」が過剰使用されていると信じ込んでいる。「食品添加物」の多くは、無色・透明・無味・無臭であるにも関わらず(そのため食品に使用できる)『日本の食べ物は食品添加物の味がする』と、機械でも判定できない「添加物の味」を判断できるらしい。ニュージーランドの食品科学者が聞けば、ひっくり返り、二度と立ち上がることはできない。無色・透明・無味・無臭の添加物に「味」がある。これを、どのように科学は説明するのだろう。

"K・M" は日本でエナジードリンクやプロテインバーを食べると『添加物の味がする』と言い出す。同じ物をニュージーランドで食べても何も言わない。ニュージーランドに対する絶大な信頼があるので、ニュージーランドの食品には添加物は入っていないらしい。こちらも、食品科学者が聞いたらひっくり返り立ち上がることのできない事例である。私も、一瞬で良いので、ニュージーランドを信用してみたいものだ。「味のない添加物の味」とは、どのような味なんですかね?

在留邦人の多くも自然界に存在する「天然もの」を信用している。ニュージーランド国内の 60% の河川では、環境基準を超える水質汚染が確認されている。住宅地、酪農・畜産地域を流れる河川の 95% 以上で、環境基準を超える水質汚染が報告されており、ニュージーランド環境省は、これらの地域を流れる河川では泳がないよう住民に注意している。ニュージーランドは世間のイメージとは大きく異なり、深刻な水質汚染と大気汚染に悩まされ、環境汚染は深刻な社会問題になっている。

ニュージーランドの人は海産物は食べないが、在留邦人は天然の「岩ガキ」をとって食べている。「牡蛎」は、1日に400リットルの海水をろ過するので、海洋汚染が深刻なニュージーランドで汚染された海水を吸収した岩ガキも汚染されてしまう。それを獲って、食べて、『天然のものだから美味しくて安全!』と言い出す在留邦人は、死んでしまえと思う。
日本では水質汚染が深刻な河川に牡蛎を放流し、水質改善に役立てる方式が採れられていのも、牡蛎が1日に400リットルの水をろ過できる能力に注目した取り組みである。これらの牡蛎は汚染されているので、食用にはならない。それを、在留邦人は食べて『天然だから美味しい!』と言っているのだ。

ニュージーランドの民は、ニュージーランドの川も海も汚染されているので、そこで獲れた海産物は食べない。ニュージーランド環境省も、海や川での遊泳を推奨していない(泳いでも罰則はないが「病気」になると警告している)。
16の地方議会と研究機関で構成される "Land, Air, Water Aotearoa (LAWA)" は、ニュージーランド国内の65%、三分の二の河川での遊泳は健康に被害を与えると警告している。そんなところで獲れた海産物を『天然ものだから美味しい!』と食べる在留邦人は、キチガイとしか言えません。

クライストチャーチに住む在留邦人は都合が悪くなると『私、アスペ(ルガー症候群)だから、人の気持ちがわからない』と言い出す。私はこの発言、とても危険だと思う。ニュージーランドの永住資格を申請する際に、アスペルガー症候群であることを公言すると、申請は却下されてしまう。 ニュージーランドの滞在許可取得時に "Applicants for a New Zealand visa should be of 'good character' and not pose a security risk to the country." という項目が記載されており、17歳以上の申請者は全員、精神疾患に伴う精神病検査が義務づけられている。しかしこのクライストチャーチ在住の在留邦人は、ニュージーランドの永住資格を取得している。取得時の申請に「虚偽」があった。嘘をついて永住資格を取得しており、これは、滞在許可の不正取得である。これは実際の事例として、ニュージーランド移民局は、ブラジル人家族の子女にASD(アスペルガー症候群)の患者がいたことから、滞在許可を却下した。このブラジル人ASD患者とは、わずか、3歳の子供である。3歳の子供がASD患者という理由だけで、家族全員の滞在許可を却下した。これに対し、ASD患者の保護団体は猛抗議しているが、ニュージーランド移民局は再審は行わないとの判断を下した。これが、ニュージーランド移民局の平均的な対応である。
それが、なぜ、日本人は却下されないのか。日本という国家に信用があるからである。在留邦人は、日本国の信用なくして、ニュージーランドに住めないのである。ブラジル国籍であれば却下される事案が、日本国籍を持つと、すんなり認められてしまう。これが、国家という信用のもとに生きる、在留邦人のずる賢い生き方だ。

私が「日本人はニュージーランドで生きていけない」とする理由はここにある。在留邦人は、ずる賢い人間しかいない。ずる賢い人間しか、ニュージーランドでは生きていけないのだ。

私が「在留邦人とは日本人の仮面を被った悪魔である」とする理由も、ここにある。
私が「悪魔」の正体をさらけ出すため、日本人の仮面を剥がそうとすると猛反発する。それが "K・M" の事例である。

ニュージーランドは、人間が生きる土地ではない。皆さんも、そう、思いませんか? 思わなくていいです。私は、そう、思っていますから。永久に、永遠に、この考えが変わることはありません。
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