SSブログ

ニュージーランドには夢がない [在留邦人批判]

0801.JPG

このブログへの500件目の投稿を期に、半数に当たる260件を削除し、その中にはキーラーコンテンツであった【東大附属 銀杏祭に行ってみた】を削除したにも関わらず、依然として毎日200人がこのブログを見にきている。書いている人は落胆を通り越し、深い悲しみにある。

在留邦人が妄想の中で絶賛する「夢の中のニュージーランド」とは異なり、私の書き綴る内容には「ナマのニュージーランド」があることが、その理由だろう。
人は夢を見る。しかし、人は夢の中だけでは生きていけない。

「はてな匿名ブログ」から「note」へ移行した「ニュージーランド(NZ)増田」も、完全に私のパクリであるが、現地の生活にコミットしていない人の書く内容は薄く、既に更新を止めている。このような「嘘つき」「偽物」は、瞬時にその正体がバレてしまうのだ。  

私は、1998年10月以降、25年近く、一度もニュージーランドに渡航していない。
その私がもっとも信頼性の高い内容を書いていることに、在留邦人は身の振り方を考えるべきだと思うのだ。

散々、私の記述を批判し続けた「はっしー@kaz_hashikuchi」も、日刊ニュージーランドライフ主宰の長田雅史も、日本へ完全帰国し、あれだけ絶賛し続けたニュージーランドのことなど、記憶の片隅にすらない。『日本にいると息が詰まる』『ニュージーランドに戻りたくて仕方がない』と豪語した長田雅史は、大阪での新生活を、心底、楽しんでいる。私からすると『批判したいのはこちらだ』という感にある。
結局のところ、アイツらは、ニュージーランドを売りにカネを稼いでいただけであり、性的搾取を行っていただけである。実際に彼らは、日本で実現できなかった結婚をニュージーランドで実現した。それを「ステータス」に感じている。日本にいればアダルトビデオを見ながらオチンチンをシコって射精するだけの生活がニュージーランドに来て一遍し、結婚もできた。そりゃー「ニュージーランドは地上の楽園」ですよ。
私が思うことは1つで、『なぜ、ニュージーランドでやれた努力を日本でやらなかったのか』ということだ。それが解決すれば、ニュージーランドを絶賛する理由は、1つもなくなる。事実、ニュージーランドに対し疑問を抱かない現地の民は、ニュージーランドを絶賛していない。ニュージーランドの現状と未来には、酷く落胆しているが。

ニュージーランドは世界の僻地にあるド田舎の島国であり、それが故に、人がほとんど住んでおらず、物資は乏しく、精神性も貧しいド田舎である。ド田舎なので国民性は内向的で、他人の行動に敏感で、新しいものを受け入れず、閉鎖的な性格である。そのことを、なぜか自慢する在留邦人が、モダニズム建築の巨匠である ミース・ファン・デル・ローエが語ったとされる「Less is More」(より少ないことは、より豊かである)を引用し、ニュージーランドの貧しい生活環境を絶賛するが、ミースは、そのような言葉は発言していない。建築史家の誰もが、ミースがそのような言葉を発言したと根拠を用いて証言していない。
ナチスに追われアメリカへ移住したミースが活動の舞台としたのは、ニューヨークのマンハッタンである。大量生産体制により工業化され入手しやすくなった鉄とガラスを用いて、透明性が高く整合性の高い建築を実現し「モダンデザイン」の発展に貢献したのが、ミース・ファン・デル・ローエという建築家である。ミースのこの時期の代表作として、世界で初めて鉄とガラスだけで透明性ある高層建築を実現した "Lake Shore Drive Apartments(1951)"、マンハッタンに建設した「近代ビルの極み」と称される "Seagram Building(1958)" の存在を知れば、ミースが「Less is More」など言うわけないことくらい、すぐにわかる。「Less is More」と言う人が、26階建ての "Lake Shore Drive Apartments(1951)"を、38階建ての "Seagram Building(1958)"を建てるわけないことくらい、瞬時にわかる。わかっていないのは在留邦人だけ。
ミース・ファン・デル・ローエが生きていれば『俺、そんなこと、ひと言も言ってねーぞ!』『在留邦人はいいかげんなこと言うな!』『在留邦人はペテン師』って、怒ります。

25年前にニュージーランドを離れ、つくづく思うことは、『ニュージーランドで過ごした日々は、私の血にも肉にも骨にもならなかった』ということである。もっと簡単に言えば、私には、模範例となる大人が1人もいなかった。最下層の最下層、クズの中のクズ、ルンペンや乞食より貧しい人しかいなかった。夢も希望もなければ、そりゃー、惨めな生活になります。貧しさを「ステータス」と自慢しているのは在留邦人だけだ。

これは邦人女性にも言えることで、外国人にモテる自分をとても良く見る傾向が強い。それはつまり、日本ではモテなかったことを意味する。外国でナンパされると『女としての引きがある』『性の対象にされた』と、大きな勘違いをしてしまい「痛い女」になる邦人女性がとても多い。すぐに性的関係になり、同棲を始め、内縁関係になるも、その後、100%、捨てられる。「すぐに拾われる」ということは、「すぐに捨てられる」ということである。年齢は既に40代になり、未来もない。そこで自暴自棄になり、精神病になる。これが邦人女性の王道かなと性格の悪い私は思います。
私が現地校で惨めな高校生をやっていた時も、たいして知り合いでもない邦人女性からグチャグチャの食べ物の写真を見せられ『なにこれ? 犬のエサ?』と思ったら『彼氏が作ってくれたお料理なの♪』と、グチャグチャの食べ物の自慢話をされたことがある。『こんなグチャグチャの、犬も食べないようなものを、喜ぶのか』と、悲しくなった。

香港からニュージーランドへ移住し、次男の22歳の誕生日を前に、日本国籍を脱退しニュージーランド国籍を取得した邦人女性がいる。日本と香港の絡みから、イーストウインドの田中を頼り永住資格を取得した日本人女性。母親との仲が悪く、トラウマを抱え日本を飛び出したのが40年前。認知症になった母親を、いまだに憎んでいる。
他方、地元の神奈川県大船にいる妹は母親を憎んでおらず、この邦人女性の一方的な主張も分裂病かと、性格の悪い私は疑っているのだ。私の疑いは、その通りですから、そういうことです。母親からすれば娘が分裂病ならよく思わない。基本的な意思疎通もできず、都合が悪くなると記憶が飛んでしまう。これが分裂病。記憶が飛ぶので都合よく解釈を変えてしまう。これが分裂病です。当人は母親を憎んでいるが、この人は精神病だから母親と仲が悪いのだ。

この(元)邦人女性も『日本には二度と戻らない』と公言しているが、実際は、毎年、日本に戻っている。そこまで日本が嫌いなら、母親が嫌いなら、もっと早くに日本国籍を脱退し、一切の関係性を持たなければ良いのにそれもやらない。何かにつけて、母親のことを思い出す。もう言っていることもやっていることもメチャクチャであるが、これが日本人女性の平均的な言動である。
だから在留邦人って、皆、仲が良いけれど、同時に、皆、仲が悪い。どの人も同じ性格で一方通行の一方的。皆、日本社会と、日本の学校教育と、日本にいる母親の悪口を言っている。自分と同じ気質の日本人しかいないので、最初は仲が良いが、すぐに仲が悪くなり、悪口を言い出すようになる。私はこのような人間になりたくないと、強く思うのだ。それだけでも、ニュージーランドを離れたことは正しい判断だったと断言できる。この手の日本人女性に捕まると、母親の悪口・悪口・悪口と、愚痴祭りが始まる。これが8時間続く。当人は日本語で愚痴が言えて『スッキリした』『また話したい』と言うが、こちらは『ノーサンキュー』です。私には、他人のオナニーに付き合う時間はないのだ。

分裂病の邦人女性がニュージーランドを絶賛する理由は1つで、母親から逃げた異国の地で「男の子」が生まれたことにある。
男子を持つ母はわかると思うが、男の子は従順で素直、言ったことは確実に行い、「右へ行け!」と命令すれば素直に従い、「左へ行け!」と命令すれば素直に左へ行く。「これが、男の子なのか!」「女とは、まったく別の生き物!」と、心底、驚く。そして、母親になるとは、男の子の母になるとは、こんなにも素晴らしく楽しい人生なのかと、やはり実母を憎む切っ掛けになるのだ。これは、男の子を持つ母にしかない感情なので、女の子の母には理解できない。女は「理性」で判断するのではなく「子宮」で判断するのだ。これが、男の子を持つ母親と、女の子しか持たない母親の決定的な違いである。
そうなると、日本にいる母親が、とにかく憎らしい存在になる。自分はニュージーランドに来たことで素晴らしい人生に変わったと、大きな勘違いをするようになる。ニュージーランドに来たことで人生が良くなれば、完全帰国する在留邦人は1人もいません。それにも気がつかず、嘘・デタラメ・妄想に、誇張・歪曲・隠ぺいでニュージーランドを絶賛するようになる。ここまでやるようになると「疑惑の総合大学」とバカにされる「日本大学」も、腰を抜かします。『さすがに俺達も、そこまでやらねーよ!』ってね。

女の子しか持たない母は、どこにいても「女の子の母」なので、日本にいても、ニュージーランドにいても、それは変わらない。女の子は、何を言っても聞かない。母親の言うことは完全無視する。「わかった、やる」といって、やらない。娘は嫌味しか言わない母親を嫌うので、ニュージーランドの永住権があろうが、日本の国籍があろうが関係なく、母親から逃げる。結局、女の生き方は、母親と同じ生き方に戻るのだ。母親にとってわかりやすい娘の生き方であるが、これが、男の子を持つ母にはないんですよ。だから、同じ母親でも、男の子を持つ母と、女の子の母は、似て非なる「母親」になる。

在留邦人は、そのほとんどが邦人女性なので、女性なら『女って、面倒くせー生き物』だと、子宮で理解できるはず。これは「理性」で判断すべきことではない。女は「子宮」で判断するのだ。

「男の子を持つ母」の厄介な点は、息子に交際相手・結婚相手ができると、飛び上がって喜ぶが、すぐに『息子を取られた』『あの女が憎い』『悔しい』と、被害妄想を持ち、交際相手・結婚相手をつぶしに掛かる。これ、100%起きる「男の子を持つ母の特徴」と理解していただきかまわない。確実に、こうなります。
息子の交際相手・結婚相手を破滅に追い込むのも「母」という存在なのだ。上手く息子が交際相手・結婚相手と破局すれば、やはり飛び上がって喜び『すぐに家に帰ってきなさい!』と、手放しで歓迎する。男の子は従順なので、実際に実家に戻る。母はこの感覚を「子宮」で実感しているので、息子に命令するわけです。これは、ニュージーランドの現地の民でも日常的に起きている。私の肌感覚では、ニュージーランドの男子は、日本の男子以上に母親に従順である。息子とガールフレンドのデートに、母親が付いてくるなんてザラである。それを別に何とも思わない。日本ではすぐに「マザコン」と批判されてしまうが、実は「マザコン」を指示しているのも「母」という存在なのだ。
ニュージーランドに「マザコン」ではない男子がいれば、私はその男子に会ってみたい。たぶん、1人もいないだろう。

25年前、私が世界の僻地にあるニュージーランドというド田舎で惨めな高校生をやっていた時、日本の情報を得るには短波ラジオの放送以外に方法がなかった。インターネット時代の幕開けと言われた「Windows 95」は発売されていたが、一般家庭に普及していなかった。毎日21時(または22時)にNHKの短波放送「ラジオ日本」の10分間放送だけが頼りであった。NHKは邦人がほとんど住んでいない太平洋州向けの短波放送は配信回数が少なく、1日に10分間だけしか日本のニュースを聴くことができなかった。ニュージーランドは島国のため、電離層の関係で夜の遅い時間帯にしか短波が受信できず(「電離層」がわからない人は Wikipedia で調べてください)、家の中で受信感度の良い場所をさがし聴いていた。その当時に使用していたラジオは現在も現役で使用しており「三四郎のオールナイトニッポン」「オードリーのオールナイトニッポン」「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」を聴いている。30年近く前に買った短波ラジオは乾電池2本だけで元気に動いています。未来のないニュージーランドのラジオは1つも聴いていません。それはおそらく、海外に住む100万人を超えるニュージーランド人も、同じことだろう。