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在留邦人は母になってはいけない [在留邦人批判]

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2022年11月に投稿した内容について、このブログの運営元である「シーサー」から削除要求がされた。
削除理由がわからない私は、そのまま掲載を続けたが、『(自主的に削除しないと運営側で)強制削除する』『(当該者との間で)法的問題が生じる』と、内容の信ぴょう性に関わらず、とにかく「削除しろ」「削除しろ」「削除しろ」に、辟易(へきえき)した。
ゴネることが嫌いな私は、削除はせず、該当箇所を「非公開」とした。以後、「シーサー」から連絡は届いていない。

改めて、私の書き込み内容のどこに問題があったのか自己検証をしたが、削除要求がまったくわからない。

同じことは「日刊ニュージーランド」主宰の長田雅史の記述についても、長田本人が苦情を入れ、私が長田雅史を「キチガイ」「精神病者」「包茎」と記述したことについて、返答するまでもなく、通知と同時に強制削除されてしまった(当時の運営元は「ソニーネットワークコミュニケーションズ」)。
こちらについても、削除理由がまったく理解できない。私が長田雅史のことを「包茎」と記述した箇所に、問題があったのだろうか。
当時の運営者である「ソニーネットワークコミュニケーションズ」は、長田雅史のおち〇ちんを確認し『これは真性包茎ではなく、仮性包茎であり、明確に「包茎」と断定はできない」と、判断したのだろうか(注:仮性包茎は保険治療の適用外=治療の必要性がない)。これこそ「プライバシーの侵害」に相当すると思うのだが。

性格の悪い私は、法廷闘争に発展した際の展開を想定していた。

海外に住む日本語の読み書きができない未成年の在留邦人が、どのような法的手段に転じるのか。裁判費用は捻出できるのか、弁護士費用は出せるのか、そもそも、どこの裁判所で審理が行われるのか、自分自身のケーススタディとして、この法廷闘争に乗ることは、私にとって有益なのではないかと考えたのだ。

この件に関し、ニュージーランドは無関係なため、民事訴訟を起こすとなれば日本以外にない。
訴状には、原告の氏名と現住所が記載される。これにより、原告が特定できる。原告は、日本語の読み書きができない在留邦人の未成年の子女であり、日本語で訴状は書けない。弁護士を雇うおカネもない。「法テラス」を利用し訴訟を起こす準備をしても、常識ある弁護士であれば「バカバカしい」と、依頼は受けない。
仮に、無償で引き受けてくれる人権派弁護士を見つけても、日本語の読み書きができない在留邦人の未成年の子女の「母」が代理人となれば、 (#゚,_ゝ゚) バカジャネーノ? と言われ、オワリ。
仮に、訴状を準備できたとしても、人権派弁護士は訴状内容から、明らかな虚偽を指摘するため(実質的な原告が子女の「母」であることから)、明らかな虚偽を認識しながら同調する弁護士は「弁護士職務基本規程 第75条 」により、弁護士法違反になる。そのため、人権派弁護士でも、この訴訟を受けることはない。ここまでのやり取りを、日本語の読み書きができない在留邦人の未成年の子女が、論破できるのかなと。
日本国籍を保有しながら、日本語で訴状も書けないって、日本人として「死んでる」と、性格の悪い私は思います。私は、日本語でも、英語でも、完璧な訴状を書けますが。

一般的には「警察を呼ぶ」「裁判を起こす」と言えば、言われた相手(被疑者)は驚くが、実際のところ、警察は「何でも屋」ではなく、裁判所もバカバカしい稚拙な案件は門前払いにするので「脅迫」の域を出ない。「脅迫」は立派な刑事事件であり、立件対象となる。
そのことを熟知する性格の悪い私は『警察に言いたければ好きなだけ、納得するまで、永遠に言い続ければよい』『裁判所に訴えそれで満足するなら、死ぬまで訴え続ければよい』と、思ったのだ。

私が名(名前)と在籍校、住んでいる大まかな地域を記載した人物は幸せ者だと思う。
娘を溺愛する母親が、常に上空から娘を気遣う「ヘリコプターママ」として、ブンブン飛び回り、身の回りの世話から、食事の世話、送迎から修学支援、生理周期の確認に、性の悩みまで、すべてを解決してくれる。娘は思考停止で生きていける。こんな母親は、なかなか、いないぞと。

世界の僻地にあるニュージーランドというド田舎で惨めな高校生をやっていた私は、25kg の荷物を背負い、新宿駅から1人で成田エクスプレスに乗り、2時間を掛けて成田空港へ行き、1人で搭乗手続きを行い、鬱鬱とした気分でニュージーランドへ渡航した。
帰国時は、受託手荷物の乗り継ぎ手続きを取ったにも関わらず、カンタス航空の失態で荷物が積まれておらず、職員に文句を言って荷物を取り返し、午前6時開港の成田空港到着後は空港内で1時間も待ち(注:早朝は上り列車が運行していない)、また、2時間を掛けて新宿駅まで戻った。この間、親の送迎はなかったが、私は1度もそれを不満に感じたことはなかった。
25kg の荷物を背負ったことがある高校生はわかると思うが、背中は内出血で腫れ、1週間は収まらない。これが、私が惨めな高校生をやっていたニュージーランドでの生活だった。

私にはニュージーランド人の留学エージェントがいたが、この人に会ったのは、年に2回だけ。
1回目は空港に迎えに来てくれたが、その後は、一切の連絡が途絶えた。2回目はこちらから連絡を入れ『高額なエージェント料を支払っているのに何もしないのは酷くないか』と、苦情を入れた。ニュージーランド人のエージェントは『あーだ』『こーだ』と、はぐらかし、『日本の都道府県とはニュージーランドの地方議会は同じ仕組みなのか』『日本人と商売をしたいので紹介してくれ』『日本人の短期留学生は(夏休みの)3週間で 10,000ドル(100万円)を落とす。この商売に乗りたい』と、無理やり話題を変えてきた。私は怒り(いかり)、そのまま退席した。以後、ニュージーランド人エージェントからの連絡は途絶えた(それ以前からも途絶えていたが)。
私が在籍したキリスト教学校は、現地在住の留学エージェントの監視下にない外国人留学生は在籍できない仕組みになっていたが(これは現在も同じ規定である)、私はエージェントなしで在籍した。学校には内緒にしていたが、時効なのでここに記述しておこう。
エージェント料は、年間 6,500ドル(65万円)。これは、学費ではない(学費は 13,000ドル(130万円))。
65万円を支払い、エージェントから連絡がきたのは1年間で2回だけ(うち1回は私から要求した面会)。
これが、ニュージーランド人との、平均的な商売の進め方であり、平均的なお金のやり取りである。ドケチで、極度にお金に細かく、すべてが雑で、いい加減で、やる気がないニュージーランド人とのビジネスには、コリゴリした。この感想は、現在に至るまで変わっていない。

日本人の留学エージェントは『留学は成果ではなく経験である』としているが、1年に 65万円 を支払い、自分の親と同じ年齢のパケハとケンカをして喜ぶバカはいない。私は、日本人留学エージェントに申したい。『だったらオマエが代わりに 65万円 を支払え』と。私の代わりに 65万円 を支払ってくれる留学エージェントがいたのなら、私がこのような記述を残すことはない。

私と在留邦人はレベルが違う。私はレベチ、在留邦人はムチ(無知)。このレベルの差が、私のブログに群がる読者の多さに比例する。私は在留邦人が「嘘」「デタラメ」「妄想」で描く美しいニュージーランドに住んでいない。そんなニュージーランドは、ニュージーランドに存在しない。

在留邦人は現地に住んでいても、現地での生活歴がないので、私が記述するような具体例がない。すべて「嘘」「デタラメ」「妄想」で綺麗に整えられたニュージーランドだけを描きだす。それは、実に美しい世界です。汚いものが1つもない幻想的な世界。
もし、ニュージーランドが美しく、幻想的な世界があるのなら、詐欺師のイーストウインドの田中は存在せず、詐欺師の田中にお金を出してもらい「ニュージーランド大好き社」を設立した 野澤哲夫 社長 は私から逃げ回ることなく、私の書き込みを読めない在留邦人の子女がその内容について苦情を入れることもない。
皆さんも、そう、思いませんか?『在留邦人の言うことって、おかしーよなー』『在留邦人の言うことは、ぜんぶ、嘘なんじゃね?』って。実際に、嘘のデタラメで妄想なんですけれどね。

私の興味の対象は、このブログの読者である「ヘリコプターママ」にある。

「ヘリコプターママ」は、原発事故をきっかけに日本を離れたとしているが、これは嘘で、一番の理由は「母親からの逃避」である。自らの母親の過干渉からの逃避にある。
母は娘を思い、良い学校へ入れ、良い大学へ入れ、良い職業に就かせることが母親としての務めであり、その通りに実行した。これは、母だけが持つ「母性」である。
娘である「ヘリコプターママ」は、小学生の時から進学塾に通い、良い学校に入り、良い職業に就いたが、その職業が向かないことに気がついた。この段階で二十代後半になっており、後戻りはできない。鬱鬱とした日々を過ごす中で、「3・11原発事故」が起き、これを理由として日本を離れた。これで世間体が通る。
「ヘリコプターママ」は、母親から離れ大喜びで飛び跳ねているが、巻き添えを食らった夫と娘・息子は、ニュージーランド生活に辟易している。それが理由で、慢性的に体調が悪い。体調が悪い一番の理由は精神的な問題にある。この家族は「ヘリコプターママ」以外、ニュージーランドでの生活に向いていない。「ヘリコプターママ」はニュージーランド生活を楽しむわけではなく、「母親からの逃避」を喜んでいるだけである。「母親からの逃避」ができれば場所はどこでもよい。「実母」のいない地が、最良の地なのだ。

ニュージーランド国内でも「ヘリコプターママ」の存在は、子の自立を遅らせ、諸問題を解決する能力を失うと、社会問題となっており、「成人期以降に重大な不安障害を引き起こす」と、精神科医が警告している。この不安障害が、ニュージーランドの国民病である「鬱病」と「自殺」を引き起こす。適切な失敗の積み重ねがない人には、将来の成功は訪れない。これは、在留邦人が大嫌いな日本でも、在留邦人が大好きなニュージーランドでも、在留邦人がまったく知らないトルクメニスタンでも同じなのだ。

この「ヘリコプターママ」以外にも、実母を「毒親」と称し、痛烈に批判する日本人女性が多く存在する。私がニュージーランドという僻地で惨めな高校生をやっていた約30年前にもいた。もう、とにかく、母親に対する悪口が凄まじい。同じことを英語では言えず、日本人をさがして母親の悪口を言いにくる。私は『また、始まった』と、逃げ回ったが、在留邦人は精神病者しかいないので、逃げても追いかけてくる。逃げても追いかけてくるって、ホラー映画でしか見たことのない世界だ。

在留邦人は母親になってはいけない。
日本に住む一般的な女性にこのようなことは言えないが、在留邦人は、精神異常者である。脳が正常に機能していないキチガイである。キチガイが子を生み育てていても、キチガイになるだけである。

在留邦人が母親になっても、自らが「毒親」と称する母親のやってきたことしかできない。大嫌いな「毒親」のやり方を踏襲する。もう、言っていることも、やっていることも、メチャクチャ。なぜなら、脳が正常に機能していないキチガイだから。

ニュージーランドは格差が大きく、見た目の差別が根深く残る社会である。現地でも太った子、吃音の子は、例外なくイジメの対象になる。年配の人は「左利き」を「低脳」と判断し『あの子は脳に異常がある』と、差別する。年寄は差別をしないと思ったら大間違いだ。斜視(しゃし)の子も同じ。誰も、絶対に口(くち)に出して言わないが、誰もが斜視に対し、差別意識を持っている。もっと細かい人は、歯並びが悪いだけで差別の対象にするので、ドケチなニュージーランド人も高額な治療費の掛かる幼児の歯科矯正を重視する。すべては「差別」を回避する行動である。これらは、経験則により、現地の民の DNA に深く刻まれている。誰も、口(くち)に出して言わないので平穏に思うだけで、ニュージーランド人の差別意識は内面に深く存在するのため、より厄介である。

日本人がニュージーランドで生活していくことは、マイナス面が多くある。誰もマイナス面を実証的にも計量的にも証明しないので、私が実例と実数を用いて説明しているわけです。

在留邦人の子女は、ニュージーランド生活に疲れている。子女だけでも親から解放してあげることが、親としての最大の務めである。

親が子にしてあげられる唯一の行いは、これからやってくる「大失敗」への備えである。
失敗には「取返しのつく失敗」と「取返しのつかない失敗」がある。準備不足は人生の常であり、失敗もまた、人生の常である。それが、二十代に入ると、一気にやってくる。二十代とは、それだけ危うい年代なのだ。ここで「取返しのつかない失敗」を「取返しのつく失敗」へ変えてあげる。これが、親としてできる唯一の行いである。

「大失敗」の原因は、明らかにされており、一番にして最大の原因は『思い込み』である。「これはこうに決まっている」「文句なしに正しいことをしている」と、在留邦人お得意の偏りある一方的な判断が最も危険な人生の悲劇なのだ。生(なま)のファクトを疑うことなく、その中に誤りの原因が潜んでいても追及しない。在留邦人が最も得意とする「一方的な倫理の展開」である。あなたの周りにいる在留邦人は、皆、このタイプだから、日本でも、ニュージーランドでも、トルクメニスタンでも成功しない。何をやっても失敗者である。永遠に、永久に、負け組である。これを、自分の子に伝えてあげることが、親としての最大にして、唯一の務めなのである。財産を残す、不動産投資を行う、アップルウォッチを買ってあげることが、親の務めではない。

在留邦人のお母さんは子女の手をとり、『よく聞いて。あなたは、私になってはいけない』『私のように、後戻りできない、大失敗を犯してはいけない』と、「しくじり先生」となり伝えてあげることが親としての務めなのだ。
その結果、『お母さんは頭がおかしい』『お母さんはヘンな人』『お母さんといると自分が壊れる』と、思う子に育ち、なるべく早く母から離れ、永久に母のもとへ戻らない子に育てば、大失敗したあなたの育児は大成功と言える。大失敗したあなたの育児が大成功した時、あなたは既に「毒親」になっているのだ。

見えない「私」からの苦情 [在留邦人批判]

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ひさしぶりでもないが、アダルト動画を観ていた。
佐伯由美香という、容姿端麗なセクシー女優の作品だ。
佐伯由美香は、変態が驚く変態である。自らも変態であることを認め
「ヘンタイの周りにはヘンタイが集まる」
「ヘンタイは街灯に集まる蛾(と同じ)」
「ヘンタイを全力で出すとヘンタイがついてこれない」
「(性癖は)"S"(サディズム)でも "M"(マゾヒズム)でもなく "H"(ヘンタイ)」
「本物の変態は普通の裏側が狂っているわけでずっと狂っているわけではない」と、筋金入りの変態である。
数々の裸の女を見てきた私からしても、完璧な変態である。美しき変態。なかなか、このクラスの変態はいないぞと。

美しき裸の世界が「AV新法」で衰退しないことを切に願うだけだ。この業界のことなので、次のことを考えているはず。景気に左右されず、戦争が起きても衰退しないアダルト産業は日本の宝である。日本は自動車でも、機械でも、医療でもなく、エロチズムで食っていくべきなのだ。

「AV新法」は、業界つぶしの法律なので、メーカーどころか、セクシー女優も戦々恐々で、日本の個性をつぶしてしまう。「若い女性を救う法律」と言えば聞こえは良いが、その中身は、裸の世界でしか生きていけない女たちを殺す法律である。性産業に救われる女たちは、世間が想像している以上に、多く存在している。

私は「ヤクザ」と「裸の女たち」から、エロエロなことを、いや、イロイロなことを学んだ。学校でおしえてくれない実学だ。アウトローな世界に生きる人間たちは、人が生きる人生を切り抜ける術を知っている。だから私は「ヤクザ」と「裸の女たち」の言葉を素直に聞くのだ。
「ヤクザ」と「裸の女たち」の言葉には、あなたの人生が少しだけ良くなるヒントがある。そのヒントをつかんでも、あなたの人生が劇的に良くなることはないんですけれどね。

皆さんも機会があれば「完全プライベート映像 業界最強ド変態ビッチ女優とガチ中1泊 佐伯由美香ちゃんと初めての二人きりお泊まり」を観てやってください。タイトル通りのド変態な女がよだれを垂らしながら、白目むき出しで、性行為をしています。

私がこのVを見ている間に、1通の電子メールが届いた。
ド変態女の性行為を観たかったのだが、送信元がこのブログの運営社である「シーサー」であることに注視し、電子メールを確認した。

これより1つ前の投稿に、人の名(名前)、通う学校、住まいの地域を記載した。そのことに関する内容だった。

シーサーが『すぐに返信しろ』と言うので、私はすぐに、以下の3点の内容と共に返信をした。

①当事者間で対応について、「私」と名乗る当該者が誰なのかわからず対処できない
②当該記事に氏名は記載しておらず、それゆえに、当人を特定することはできない
③当該記事に記載した「名(名前)」については、Webで誰もが閲覧でき、かつ、確証がとれる情報のため「プライバシーの侵害」に当たらない

2時間くらい後に、シーサーから返信があり「当該記事を削除せよ」「削除しない時は(運営側で)強制削除する」「(削除しない時は当事者間で)法定闘争に発展する可能性がある」と、一方的な主張に辟易した。
個人を特定できず、誰もが自由に閲覧できる情報を書き込むと「プライバシーの侵害」に当たるとは、理解できない。
私の書き込みをシーサーが強制削除すれば、明確な「著作権侵害」に当たる。これを、どのように捉えるべきか。

シーサー側は、苦情を入れてきた当該者に説明できる内容を記載しろと返信を送ってきたが、そもそも、当該者が誰かもわからず対処できない。
皆さんもお母さんに言われたと思います。『人とお話する時は相手の目を見て話しなさい』と。
私には相手がいるのに、相手が見えない。見えない相手と話し合えと言われても、話しができないのだ。せめて、苦情を入れてきた相手の氏名と連絡先は開示してもらいたい。

対処に困った私は当該記事の全文は削除せず「プライバシーの侵害」と称される(?)箇所のみを「非公開」にした(削除はしていない)。その旨をシーサー側に報告した。以後、シーサーから連絡はきていない。

私はしばらく考えた。当該記事のどこに問題があったのか。
唯一、考えられる箇所は、顔写真を入手した娘の容姿に言及しなかったこと。ロリコンで美少女フリークの私が見ても、この娘の容姿については何も書けない。可愛くない娘を「可愛い」と書けない。そこだけは、譲れないんです。「嘘も方便」という諺(ことわざ)もありますが、ニュージーランドで「絵に描いたような模範生」「宿題を忘れたことがない」と称された私は、嘘はつけません。そこだけは、ご理解いただきたい。

私の書き込みに苦情を入れてきた当該者の「私」とは、誰なのか。

私が名(名前)を記載した人物は、日本語の読み書きができないので、このブログを読むことはできない。そのお母さんが文面を読み、苦情を入れたとすれば、それは当人の問題ではない。私は、お母さんの姓(名字)も、名(名前)も、記載していない。お母さんはこの件に無関係なので、苦情を入れることはできない。
『私、アスペ(ルガー症候群)だから、何を言われてもわからない』というお母さんでないことは確かである。だって、『何を言われてもわからないアスペ』が、私の書き込みを読み、腹を立て、運営元を調べ、自分のことでない苦情を入れたとすれば、『何でもわかるアスペ』となってしまい、医学会はひっくり返る。『何でもわかるアスペがいたら、それ、アスペじゃねーよ!』って、精神科の専門医もびっくりです。私もびっくりしてしまう。

皆さんの中で、この苦情を入れた人物が誰なのかわかる方は、その方にそっと、お伝えください。『あなたのことは何も書かれていないので、苦情は言えないよ』と。『名(名前)を記載された人は、複数人いるかもしれないので、当人とは断定できないよ』と。
その前に、日本語の読み書きができない人は苦情を入れることもできないと思いますが。

「在留邦人は犯罪者」と強く認識しよう [在留邦人批判]

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警察官の前で大麻を吸引し厳しく叱責された自称・韓国籍の "Yon Slowalker" が、私をニュージーランド警察に通報すると書き込みをしてから1年が過ぎた。この間、ニュージーランド警察から連絡は届いていない。
この1年の間に私は、警視庁の警察官から3度、職務質問(職質)を受けた。深夜2時に、一般道に停めた車の中にいただけで、警察官がパトカーから飛び降りて来てイロイロと聞かれた。エロエロな話が好きな私も、イロイロな話に応じることは無駄な時間なので、上手く誤魔化した。しばらくのやり取りの後、不貞腐れた表情を浮かべ警察官は帰って行った。

約30年前、世界の僻地にあるほとんど人が住んでいないド田舎のニュージーランドで『絵に描いたような模範生(←実際にその通りです)』『宿題を忘れたことがない(←実際にその通りです)』と言われた私を捕まえることは、なかなか難しいぞと。警察官がパトカーから飛び降りて来て職質を掛ける。私は警察官に捕まらないように、エロエロなことを、いや、イロイロなことを考えながら生きている。深夜2時に、一般道に停めた車の中で、私は何をしていたのでしょうね。

私はニュージーランド警察の捜査対象にされることに関心があった。
警視庁の捜査対象にならない私を、何事もスーパースローに動くニュージーランドで、何事もいい加減で、間違いが多く、単純なことが正確にできないニュージーランドで、どのように捜査対象になるのか、ワクワク、ドキドキ、心をトキめかせたのだ。どのような法的根拠を用いて捜査を行うのか、どのような司法手順を踏み手続きをとるのか、大きな関心があった。たぶんそこには、私の知らないニュージーランドがあると、知的好奇心を抱いたのだ。
しかし、残念なことに、ニュージーランド警察の捜査対象から外された。私の、ワクワク、ドキドキ、心のトキめき、そして、大きな期待と夢を、返してもらいたい。

私が惨めな中高時代を過ごしたニュージーランドを思い返すと、大口を叩くヤツほど、何もしていない。在留邦人も、パケハも、外人も、私に嫌がらせをしてきた人間は多々いるが、大口を叩くヤツほど何もしない。彼ら・彼女たちは大口を叩くことに優越感を覚える。「自分は勝ち組」と、誤った認識を持つ。この「認識」が「妄想」になるので厄介なのだ。

私は、日本人の(平均的な)感情を理解し、パケハの(平均的な)感情も理解できる。それ故に、在留邦人からも、パケハからも、文句を言われるサウンドバッグ状態になった。在留邦人はニュージーランドの、パケハの文化を理解できない。他方、パケハは日本の、日本人の文化を理解できない。両者の文化を間違いなく正確に理解できる私に両者は文句を言いにくる。15歳の、16歳の私にヒステリックに文句を言いにきて楽しいのかと思った。これが、楽しいんですよ! 奥さん! 楽しくて止められないので、私のところに文句だげが集中する。これが私が経験したニュージーランドの惨めな中高時代である。

日本人はニュージーランドの文化を、パケハの文化を理解できない。他方、ニュージーランドは、パケハは、日本の、日本人の文化を理解できない。両者は同じ認識を持つ必要はないが、両者は共存しなくてはいけない。両者が共存できていないから、両者の事情がわかる私のところに、それぞれの文句が届いたことは、私の「心の傷」として深く残っているのだ。

ニュージーランド警察は、私に関する個人情報を持ち合わせていないのだろうか。私は在留邦人が妄想で語るニュージーランドを体感したわけではなく、現地校に通い、NZQAにも試験結果が登録された過去を持つ卒業生である。返済不要・全額給付型奨学金審査にも合格したので、学校には私の名前が入った賞状が届いている(が、日本人は「お金持ちの国」から来ているので給付対象外)。全額給付型奨学生を出すことは、教員の指導力が評価されることから、学校にとって名誉なことである。ニュージーランド教育省が発行した在籍証明書は現在も所持している(注:ニュージーランドの学校は個別に卒業証明書を出さず教育省の一括管理で在籍証明書を発行する)。
キラキラした妄想だらけのニュージーランド生活を語る在留邦人に、この意味は通じない。実態とかけ離れたキラキラした嘘だらけの妄想話ですからね。

ニュージーランドで "ASD"(自閉症・アスペルガー症候群)は 「精神障害」として扱われ、外国人が滞在許可を申請しても却下される。申請条件に「精神が良好で健全である」という項目があるからだ。実際に、ブラジル国籍、フィリピン国籍の人が "ASD" を理由に却下されている。

日本の滞在許可を不正取得し、2017年に神奈川県大和市の精神病院で死亡したニュージーランド人男性について、在留邦人は日本の体制を猛批判したが、ニュージーランドも精神疾患を抱える人の扱いは非常に難しいので、最初から滞在許可を出さない。実際にこの件は、在留邦人と死亡男性の遺族だけが日本の体制を猛批判をしたが、外交問題を扱う駐日ニュージーランド大使館は何の抗議も声明も出していない。

私が不思議に思うことは、在日中国人・在日韓国人を猛烈に批判する人(たち)は、何故、在留邦人を批判しないのか。

在留邦人は悪いことをやっている。犯罪者である。それなのに、何故、在留邦人は批判されないのか、差別されないのか。

上野や秋葉原に行くと、在日中国人・在日韓国人を痛烈に批判するビラが無数に貼られている。少なくなったが、朝鮮学校に通う生徒が襲撃を受けることもある。それなのに、海外で悪いことをしている在留邦人だけは批判対象にならない。私はこれを非常に不思議に思うのだ。

続・精神分裂病と在留邦人 [在留邦人批判]

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ニュージーランドから書き込まれた、ある書き込みを読んでいた。

執筆者曰く「日本人が日本の悪口を言うことは良い」が「日本人が海外の悪口を言うことは良くない(らしい)」。
とりわけ、執筆者が住む大好きなニュージーランドの悪口を日本人が言うことは良くない(らしい)。

イーストウインドの田中は「日本は人間が住む土地ではない」と言った。
私は「ニュージーランドは人間が住む土地ではない」と言う。
田中の意見は通り、私の意見は通らない。この違いは、何か。

執筆者曰く「ニュージーランドの悪口を見てもグッとこらえる」「(書かれていることは)確かにその通りであるが(書き方が)大げさ」であると。

性格が悪い私はその書き込みを読み『書かれている内容に納得しているのならそれが事実なのではないか』『どーか、これは、私へ対する悪口ではありませんように』と、神にお祈りしました。旧暦の10月である「神無月」は、神様が出雲に集まり神議り(かみはかり)を行う月なので、お祈りをしても、神様はいらっしゃらないんですけれどね。

約30年前、私はニュージーランドという世界の僻地にあるド田舎で惨めな高校生をやっていたわけですが、その当時の出来事を中心に、ここに書き綴るわけです。1998年10月以降は、一度も、ニュージーランドへ渡航していない。約30年に渡りニュージーランドの悪口を言い続けているのは、世界中で私くらいだろうなと。
皆さんは在学していた高校の悪口を、卒業から30年が経っても言い続けているでしょうか? そのような人がいれば、性格の悪い私は、お友達になりたいと思いません。

もう1つ、これは "Youtube" に投稿された自称・日本人女性による投稿である。

この人が非常に興味深いことを述べていることに注視した。

動画投稿者曰く:
*2020年4月1日から日本の水質基準項目は変更された。
*東京都(水道局)は水質基準項目を改悪し「有機フッ素化合物」を入れるようになった。
*「有機フッ素化合物」は「発がん性物質」や「流産」の可能性があり、赤ちゃんは「下痢」をする危険な物質である。

東京都水道局は、水道水にフッ素を添加していない。東京の水道水にフッ素は入っていない。東京都は過去に、一度も、水道水にフッ素を添加していない。

現状、日本の水道水にフッ素を添加している自治体は、1つも存在しない。

過去に実験的に、米軍統治下の沖縄(1945年 ~ 1972年)と、京都市山科地区(1952年 ~ 1964年)で、水道水にフッ素を人工添加したことはあるが、現在、この実験は行っておらず、既に終了している。
京都の実験では、水道水にフッ素を人工添加したことで子供の虫歯が 40% 減少したとする調査結果が報告されたが、科学的に有意な結果とまではいかず、フッ素の人工添加による健康被害も証明されておらず「迷った時はやらない」が基本姿勢である日本国では、水道水へのフッ素添加は行われていない。

この自称・日本人女性は、東京の水道水に有機フッ素化合物が添加されたという話を、どこから入手したのだろう。

遡ること2019年6月、東京・多摩地区の地下水から基準値を超える高濃度の有機フッ素化合物が検出された。発生源は不明。
東京都は地下水のくみ上げを停止し、河川からの取水に切り替えた。この結果、フッ素は検出されていない。

では、基準値を超える高濃度のフッ素はどこから混入したのか。

多摩地区の自治体は地下水汚染の発生源を特定するには莫大な費用が掛かることから、独自調査は行っていない。実はこの問題、調査費用以上に、厄介な問題が絡んでいる。
ジャーナリストの調査では、高濃度のフッ素の混入地は「在日米軍横田基地」の消火訓練で使用された消火剤が地中に染み込み、地下水に混入し、井戸水から検出された可能性が高いとしている。この報道について、在日米軍は公式発表を行っていない。
沖縄県では水道水から基準値を超える高濃度の有機フッ素化合物が検出されている。その発生原も「在日米軍基地」とされているが、在日米軍は公表をしていない。

この報道について知りたい方は、文春オンライン【「21世紀の枯れ葉剤にならないといいが…」東京・多摩地区の地下水は汚染されていた】【消された水汚染: 「永遠の化学物質」PFOS・PFOAの死角(著:諸永裕司)】を参照していただきたい。

この自称・日本人女性も、いつもの「妄想」で、意地悪なお話に仕立て上げたのだろう。

さらに興味深いことに、この自称・日本人女性は、ニュージーランドのオークランドに住んでいると話している。

オークランドでは、1966年から水道水に「有機フッ素化合物」を添加している。つまり、水道水に、人工的にフッ素を加えている。添加量はオークランド市が公表しており 0.7ppm ~ 1.0ppm。

オークランドに暮らす 94% の人は、フッ素が人工添加された水道水を飲んでいる。これについて、この自称・日本人女性は、何も発言していない。
この自称・日本人女性は、フッ素が添加されていない 6% の地区に住んでいるのか。それも公表していない。
ここまで東京の水質を悪く言うのなら、自分がオークランドのどの地区に住んでいるのか公表してもらいたい。

ニュージーランド国内では「ウェリントン」、「ロワー・ハット」、「アッパー・ハット」、「ポリルア」、「ダニーデン」の水道水には、フッ素が人工的に添加されている。普及率は 100% 。
この地域に住む人は、好むと好まざると、フッ素が添加された水道水を飲んでいる。この自称・日本人女性が語る「発がん性物質」「流産」「下痢」を起こす「毒が混入された水」を飲んでいることになる。

「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史も『東京の水は臭くて飲めない』『ニュージーランドの水はおいしいからそのまま飲める』と、毒が混入された水をガブガブ飲んでいた。長田は、フッ素樹脂加工されたフライパンは体に有害と、日本から重くてかさばる鉄のフライパンを買い込み持ち込んだ。その鉄のフライパンを洗う水はフッ素が添加され、フッ素の入った水道水で調理し、フッ素の入った水道水を飲んでいる。

これ、オチですか? オチとして弱すぎませんか?

精神分裂病の典型例である「偏りある激しい思い込み」って怖いですね。

ニュージーランド国内でも、クライストチャーチの水道水にフッ素は添加されていない。理由は「おカネがない」から。
水道水にフッ素を人工添加すると、年間 6300万ドル(63億円) の費用が掛かる。クライストチャーチに、63億円もおカネがあるわけない。
クライストチャーチでは、"Regional Rates"(地方税)と呼ばれる不動産に掛かる固定資産税で水道代を賄うので、各家庭に水道メーターはついていない。メーターがないので、水道代もない。プールがある家でも、浴槽がある家でも、水道代は掛からない。
クライストチャーチでホームステイをしたことがある人なら『家にプールがある!』と驚くが、家庭用プールの設置費用は安く、水道代は無料なので、ミドルクラスの家ならプールがあるのは普通のことである。食器洗い機がある家なら、例外なく、プールもある。どちらも使用に際し、水道代は掛からない。
これが理由で、夏の間、仕事に行く前から庭に水を出し、帰って来るまで9時間も水を出し放しの家庭が多くある。夏場は散水しておかないと芝生が焼けてしまう。これを全ての家庭でやられると、世界の僻地にあるド田舎でも、水不足になる。
そこで、クライストチャーチ市役所の職員が水を出し放しにしていないか、抜き打ち検査にやって来る。いきなり知らない人が庭に入って来るので驚く。これ、けっこう高い確率でやられるので、ひと夏に数回は、抜き打ち検査を受けることになる。
世界の僻地にあるニュージーランドらしい ホッコリ♪ する情景ですね。知らない人が、いきなり、家の中に入ってくるわけですから。

クライストチャーチの著名な歯科医師(?)が、水道水へのフッ素添加は自治体任せではなく、国が主導し行うべきであると提言していた。この著名な歯科医師(?)は、私の知り合いです。お父さんも歯医者さんである「デンタル・ファミリー」の出身なので、「末(すえ)は歯医者」と、運命が決められており、学校の先生も、同級生も「おまえは歯医者だ」と、未来を決められていた。実際に本人も歯医者になった(←歯医者あるある)。お父さんが開業した歯科医院 兼 自宅 を引き継ぎ、歯科院長として立派にやっている(らしい)。この辺りは日本の歯医者さんと同じですね。子女も自分が卒業した出身校に通わせているので、この辺りも日本の歯医者さんと同じですね。出身校では "Prefect" に選ばれ "Deputy" を務めていたような記憶があるが、私とは出身校が異なるため、よく覚えていない。

日本人の留学エージェントは、ニュージーランドでの生活体験がないため、"Prefect" のことを「生徒会」と訳しているが、"Prefect" は「生徒会」ではない。

"Prefect" は「代表生徒」「模範生徒」を示す意味で、主に、下級生に対し処罰を与える権限を持つ生徒を意味する(が、実際に処罰を下す "Prefect" は存在しない)。

そもそも、ニュージーランドの学校には「生徒の会」である「生徒会」は存在しない。「生徒会」が存在しないのに、"Prefect" を「生徒会」と訳すことは間違っている。

日本の学校にある「生徒会」は「生徒の代表者」を選ぶための生徒会選挙がある。ニュージーランドの学校で "Prefect" を選ぶための選挙はあるのか? "Prefect" は、誰が選んでいるのかわからない。必ずしも「成績優秀」「品行方正」「スポーツ万能」な生徒が選ばれるわけでもない。『何でコイツが "Prefect" に選ばれたの?』という生徒が、何人も混ざっている。理解できない。選ばれた顔ぶれを見ると、教員に対し「YESマン」ばかりなので、教員にとって扱いやすい生徒が選ばれることは事実である。

"Prefect" は、日本の学校に存在しない制度のため、日本語で説明することが非常に難しい。ニュージーランドでも各校ごとに "Prefect" の選出方式や役割は異なり、共通方式は存在しない。

ニュージーランドの学校でも "Head Boy"(首席男子代表)と、"Head Girl"(首席女子代表)以外は、誰が "Prefect" に選ばれたのか、誰も、何とも思わないので、教員も生徒も、誰も知らない。これが "Prefect" の実態である。
これが日本人の留学エージェントに伝わると「生徒会」に変わってしまい『ヘッド・ボーイは生徒会長です』になってしまう(←ヘッド・ガールはどこへ行ったの?)。これ、おかしくねーか? って、性格の悪い私は思います。

これが、ニュージーランドで生活体験のない在留邦人が語る「嘘」「デタラメ」「妄想」で仕立て上げた『夢の国・ニュージーランド」の実態である。「夢の国」だから、好きなように仕立てることができる。「嘘」「デタラメ」「妄想」、何でもあり。だって、夢の国ですから。
ニュージーランドの出身者なら「ニュージーランドが夢の国なら、そこは、ニュージーランドではない」と答える。これが、正論だからである。

私はニュージーランドで、惨めな高校生をやっていたわけですが、その頃、周りに、これだけ多くの精神分裂病を患う日本人がいる認識を持つべきであった。
彼女たちは(←在留邦人のほとんどは日本人女性)は、精神病である。キチガイである。英語も通じなければ、日本語も通じない。あらゆる言語が通じず、意思疎通が図れない。

現地の民は日本語が通じないから会話が成立しないと日本人女性を私のところに連れて来たが、頭がイカれた女(たち)なので、私とも何も通じなかった。この認識を持つべきであった。『日本人女性は精神分裂病』『精神が分裂する病気』とは普通は思わない。私だって思わない。しかし、これが、邦人社会の実情である。

あのね、自分だけだからね。自分はおかしくないと思っているのは。

パケハは、英語が通じないから日本人とコミュニケーションが取れないと勘違いするが、在留邦人は、英語以前、日本語以前に、コミュニケーションが取れない。なぜなら、精神分裂病であるから。

私がニュージーランドの悪口を書き込み『ニュージーランドは人間が住む土地ではない』とすることは、それほどいけないことなのだろうか。
私の書き込みを読んだ人が「ニュージーランドに行かない」「ニュージーランドを離れる」「在留邦人は精神病」と、正しい認識を持つことは、有意な結果を招くと解釈できないのだろうか。

ニュージーランドで生き残るには、スマホを持つことでも、スマートウォッチを持つことでもなく「正しい情報を正確に知る」ことである。それだけで「あなた」は、命を守ることができるのだ。

精神分裂病と在留邦人 [在留邦人批判]

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9月に入った。「人間よ、今年もあと4ヵ月だ。おまえはこの8ヵ月の間、何をしてきた」と、神に言われるような気がする。
「夏休みは終わるのに、夏休みの宿題は終わらない」と、文教地区に住む私の耳には聞こえてくる。
ニュージーランドの学校は休みに入ると、学年が上の上級生以外は、まったく宿題が出ない。遊んで過ごすことが許されるので、生徒たちはまったく勉強ができない。もう、悲惨なくらい、可哀そうなくらい、勉強できない生徒が量産されてしまう。ここに莫大な税金が投入されているので、ニュージーランドの教育大臣だけが "Headache" と、頭を抱えている。ニュージーランドの生徒は、20年前よりも、頭が悪くなっていることは、計量的に証明されているので、教育大臣が頭を抱えてしまうのだ。

私はクライストチャーチの名門校に通ったので、勉強のできる生徒は、皆、家庭教師をつけて勉強していた。
学校から「この生徒はここが弱いので補完してほしい」「次の課題はこれを用意してほしい」と、家庭教師向けのプリントが渡される。学校の勉強は限定的なため、家庭教師・個人教授の先生の支援が前提になっている。
家庭教師をつけて勉強していた生徒は、皆、医学部に入った。医学部に入れなかった生徒は、歯学部か薬学部に進学した。
器楽を履修する生徒で個人教授をつけない生徒は存在しない。個人教授をつけないと器楽は履修できない。
在留邦人の中には『個人教授をつけなくても音楽は履修できる』という人がいる。自己経験がないこと、こうなってしまう。やれやれ、またかと、タメ息しか出てこない。
『制度上履修はできても、個人教授をつけないことを音楽科教員はよく思わない』『履修はできても成績が残せない』が、正しい言葉であり、正しい意味である。

ニュージーランドで良い成績を残したいのなら、家庭教師・個人教授をつけることが前提である。

ニュージーランドは、日本以上に、教育格差の大きいことを強く認識すべきである。
「勉強はやらなくて良い」「頭が悪くても生きていける」は、魅力的な言葉かもしれないが、ニュージーランドの民で、それを認める人は1人もいない。絶賛しているのは、ニュージーランドのことを何も知らない在留邦人だけ。
ニュージーランドの教育格差がここまで広がってしまった理由は「自由」ではなく「怠け」である。

ニュージーランドでは、高校中退者は減少傾向にあるが、依然として高い水準にある。高校生の10人に1人は卒業前に中退しており、大学生の3人に1人、看護学生の3人に1人は卒業前に中退している。
高校中退者は無資格で中退するため、進学も就職もできず、「ニート」になる。15歳から24歳の「ニート」は増加傾向にあり、ニュージーランドの大きな社会問題になっている。
2022年9月、ニュージーランド首相府は若年層対策として 5300万ドル(53億円) を拠出する緊急対策費を決定。このうち、2300万ドル(23億円)が「ニート対策」に使われる計画案を発表した。
ニュージーランドでは「働きもせず、学校にも行かないニート」が、社会問題になっている実例を証明する予算だ。
オークランドを中心に商店を襲撃し商品を略奪する強盗事件が急増し、この加害者に14歳以下が含まれることから犯罪対策費と、とにかく、ニュージーランドの犯罪は急増傾向にあるので「犯罪対策(Crime Package)」としての予算が組まれた。
これに対し、メディアは「たった53億円で解決する問題か」と、冷ややかな対応だ。野党からも「もっと予算を増やし根本的な対応が必要」と、ニュージーランドの「ニート問題」は社会の根深い位置から悪影響を与えているのだ。

2022年7月に、日本へ帰国した長田雅史は驚いていることだろう。娘の日本語力が、驚異的な速度で向上していることに。これは、他の在留邦人も同様である。日本へ完全帰国した邦人子女は、驚異的な速度で勉強力が向上している。特に、算数の計算力は、親が追いつけないほど向上している。ニュージーランドは算数の弱い国なので、先生でも簡単な計算問題を間違う。間違って習った生徒も間違う「負の連鎖」が続く。
同時に、驚異的な速度で英語が抜けている。もう、怖いくらい、英語が抜けている。
でもね、安心してください。来年は、まだ、大丈夫。再来年、2024年の夏までに、娘の英語力は、完全に消えてなくなる。もうこれは、確実に断言できる未来です。もうね、全ての英語が消えてなくなる。同時に、ニュージーランドの記憶も、全て消えている。自分は生まれてから、ずっと、大阪で暮らしていたと思うようになる。子供の能力は急激に伸びるが、急激に消える。どこの家庭でも「うちの子は天才」と思うことも、計量的に証明されている。もう怖いくらい、全ての英語力は消えてなくなる。親の立場からすれば「ニュージーランドの生活は何だったのか」と、不信になり、鬱病になること間違いなし。親になって初めてわかる「親子あるある」ですね。

ニュージーランドの報道を見ても、暗いニュースしか流れて来ない。
大人の8人に1人、子供の10人に1人が、健康障害をもたらす「肥満」に分類される「デブの村・ニュージーランド」では、肥満による弊害で、膝(ひざ)を悪くする子供が増加している。子供の膝の手術が追いつかないと、「デブの村」らしい ホッコリ♪ する報道だけが虚しく流れてくる。
肥満児は野菜を食べる量が少なすぎると、農業が主たる産業であるデブの村の栄養学者が嘆いている。
『食う物には困らない』と、在留邦人が絶賛するニュージーランドの食育環境を、ニュージーランドの栄養学者は絶賛していないのだ。

しかし、朗報もある。「デブの村・ニュージーランド」では、4歳児の小児肥満が減少傾向にある。これは歴史的快挙と、ニュージーランドの医学会はお神輿を担ぐ勢いで踊っているが、依然として、4歳児の3人に1人は平均体重より太った「過体重」にある。親が肥満だと、子も肥満児になる。「デブの連鎖」が止まらない「デブの村・ニュージーランド」らしい ホッコリ♪ するニュースですね。

さらに、暗いニュースを飛び越え、ニュージーランドの民には、どストライクで突き刺さる衝撃的なニュースが飛び込んできた。
2022年6月の補欠選挙で初当選した38歳の新人議員(男性)が、23年前に寄宿寮で起こした「イジメ」について吊るし挙げられている。
下級生を寄宿寮で殴り、怪我を負わせ、下級生は鬱病になり、現在も精神疾患を抱えている。イジメの加害者である人物を、国民の代表に選んで良いのかと、23年前に寄宿寮で起きた事件を、よく見つけてきたなと。
当の新人議員は『俺たちの時代じゃ日常的なことだ」と、ニュージーランドの陰湿なイジメ体質を支持し、謝罪もしていない。
私もこの新人議員と同世代なので、ニュージーランドの陰湿なイジメ体質は骨の髄までわかる。このイジメ体質が骨の髄までわからないと、ニュージーランドでは生きていけない。特に寄宿寮は「イジメの温床」と言われ、暴力や窃盗は当たりまえ。同性に対する強姦やフェラチオ強要など、性被害の報告は日常的であった。実際にそのようなことが寄宿寮内で起きていたのか不明であるが(私は寄宿寮に住んだことがない)、このような話は、寄宿寮を併設する学校に通った私のような元生徒であれば、誰もが知る事実である。
同様の事件は、大学内の学生寮でも起きている。オタゴ大学が名門学生寮で起きた強姦事件をもみ消した「セックス・スキャンダル」は、その代表例である。

ニュージーランドの民であれば、ニュージーランドの陰湿なイジメ体質は骨の髄まで理解しているので、メディアは食いつく。『あー、また、始まった』とね。同様に、一般市民も、『はいはいはい、いつものイジメですね 自殺者を出すニュージーランドの陰湿なイジメですね』となる。それゆえに、この報道は、ニュージーランドの民に、どストライクで突き刺さるのだ。
このイジメ報道はニュージーランドでは大々的に報じられ、連日、トップニュースになるのだが、「夢見る夢子ちゃん」である在留邦人は、一切を語ることがない。「ニュージーランドは地上の楽園」ですから、23年前に寄宿寮内でイジメがあったこと、イジメの加害者が国民の代表である国会議員になったこと、イジメの被害者が精神的苦痛を受け苦しんでいることなど、ニュージーランドの報道はすべて、でっち上げですから、「キラキラしたニュージーランド」以外は公言しない在留邦人は語ることはありません。「ドス黒いニュージーランド」は、在留邦人の知るニュージーランドじゃないからね。

ニュージーランドでは、12月・1月の長期休暇に向け、予定を組む人が増える時期だ。
私は、ニュージーランド人に休みはいらないと思っている。ニュージーランドでは、1日・8時間しか働けない。「働かない」ではなく「働けない」。なぜなら、労働組合が8時間以上の就労を認めていないからだ。令和になり4年が経つが、ニュージーランドでは、社会主義的な影響力だけが色濃く残っている。ニュージーランドは、本当に、21世紀に入っているのだろうか。

では、ニュージーランド人は、1日・8時間を働くのか。1日・8時間は働かない。長くて、1日・3時間が限界だろう。まず、30分遅刻して来る。ニュージーランドでは30分の遅刻は遅刻に入らない。そこから、3時間のおしゃべりタイムが始まる。労働組合との交渉で、1日・3時間だけは働く。この3時間だけは働くよ。ランチに1時間、就業規定より30分早く帰る。ニュージーランドでは30分の早退は早退に入らない。やっぱり、どー考えても、1日・3時間しか働ない。
これは、労働組合の権限が厳しい社会主義国のフランスと同じ仕組みであり、かつてのフランスも、1日・3時間しか働かなかったが、現在は1日・6時間は働くようになった。ニュージーランドの人も、1日・6時間は働いてもらいたいものだ。それだけで生産性が向上し、物価高騰による食糧危機を脱出できるはず。だって、ニュージーランドは農業国であり、生産する酪農品の90%を輸出しているわけですから。それで生産性の低さから、国内で購入する牛乳より、海外で購入するニュージーランド産牛乳の方が安いという逆転現象が発生してしまう。ニュージーランドに住む人なら『牛乳を作っている国の牛乳は、何でこんなに高いんだ』と感じているはず。

ニュージーランドの高校生は、進学に必要な学年末試験が控えている。
高校生は、1科目・3時間の試験を受ける。"Sitting Exam" と呼ばれる記述式の試験であることから、教室で座って試験を受ける。1科目・3時間も座りっぱなしなので、お尻と腰が痛くなる。
学校はこの試験日程から逆算し、時間割を組むのだが、生徒によっては、1日・2科目・計6時間の試験を受けることがある。私は飛び級をしていたので、試験日程が他の生徒と異なり、2日で4科目・計12時間の試験を受けたことがある。2日で4科目・計12時間の試験を受け、学年で3番目か4番目(?)の成績をとった。言語に不慣れな外国人留学生が、成績上位に上がることは稀なので、教員たちは驚いていたが、驚く教員たちの顔を見て、私が驚いた。

留学生は助けてくれる人が誰もいないので「何でもやる必要はないが何でもできなくてはいけない」。
現地生であれば、親が何でもやってくれる。留学生には代わりにやってくれる人がいないので留学エージェントに相談すると『あたしにも自分の生活があるんだから自分でやれ!』『夜遅くまで働いたら日本と同じじゃない!」と、ヒステリックに怒鳴られる。だから「何でもやる必要はないが何でもできなくてはいけない」。
何もできない留学生は、どんどん、落ちぶれていく。精神的におかしくなる。コンプレックスと被害妄想の塊で、在留邦人と同じ気質になってしまう。実際に私の周りにも精神的におかしな留学生がたくさんいた。
ニュージーランドでアジア系住民のカウンセリングと公衆衛生を担当する「アジアン・ファミリー・サービス(AFS)」は、アジア系住民の 44.4% は、鬱病に直面していると報告している(韓国人に限定すると 64.1%)。私はその数字を示されても『まー、そーだろーねー』としか言えない。精神的におかしな外国人留学生がたくさんいたので『まー、そーだろーねー』としか言えない。

私は海外留学を希望する高校生にオススメできない。現地で生活する苦労を知っているので、同じことができる人はいないと確信しているからだ。忍耐強い私でも『ニュージーランドの生活は、二度と、御免だ!』と、心の底から叫びたい。もう、二度と、ニュージーランドには行きたくない。まぁ、二度と、ニュージーランドに行くことはないんですけれどね。
留学エージェントは、この苦労を知らない。すべて、妄想の作り話。だから、『海外留学は経験だ』『日本の受験地獄から解放される』と、都合の良い言葉だけを並べ、留学生の保護者から、100万円単位のお世話料を受け取っている。そして、何もやらない。
料金に見合った見返りがあるのかと言えば、ない。何もない。だから私は、海外留学はオススメできない。日本で真面目に勉強をしていれば良い。それだけで、ニュージーランドで学ぶ学力以上の学力がつく。多くの人は、真面目に勉強していないから学力が伸びないだけであり、ニュージーランドに行けば、悪い頭が良くなるわけでもなく、勉強しない自分が勉強をするようになるわけでもない。

私の周りにいた留学生で、日本人留学生だけで20人くらいいたが、現地に残る日本人の元留学生は1人だけ。これは滞在許可の問題ではなく、苦労した元留学生ほど、現地に残りたくない。強いトラウマだけが残ってしまう。
在留邦人は、日本に強いトラウマがある。特に「母親」に対する強い憎しみがある。それで、日本を離れた。同じことは私にも言えるのだ。私はニュージーランドの生活に、強いトラウマがある。不幸な記憶しかない。「不運」ではなく「不幸」な記憶しかない。その人が現地に残るわけない。
在留邦人がニュージーランドを絶賛する理由は、ニュージーランドに強いトラウマが存在しないから。そりゃーそーだ。ニュージーランドで何もやっていないんだもの。トラウマになる理由がない。
ニュージーランドの「中の事情」を知る私には、ニュージーランドに残りたい理由が1つも存在しないのだ。ニュージーランドには、トラウマだらけの記憶しかない。23年前、寄宿寮でイジメを受けた被害者と同じトラウマしかない。

私は在留邦人は、全員、精神分裂病だと思っている。
「統合失調症」と言えば体裁は整うかもしれないが、精神が分裂する「分裂病」に変わりない。
日本での強いトラウマから「日本」という言葉を聞くだけで被害妄想を抱く。「母親」の言葉だけが聞こえてくる。日本の食べ物は「添加物の味がする」と言い出す。妄想も幻聴も幻臭も、典型的な分裂病の症例である。
既に脳が正常に機能していないので、何も知らないニュージーランド人には普通に見えても、数多くの在留邦人・日本人留学生を見てきた私にすれば『また、分裂病か』となってしまう。分裂病者の中にいれば、自分が分裂病であることがわからず、隠し通すことができる。故に、ニュージーランド人からすれば、何の不信感も抱かない。この状態を在留邦人は歓迎するので、分裂病だけがどんどん進行してしまい、手のつけられない状態になってしまう。その処理をさせれたのが私ということだ。その私が、ニュージーランドに良い記憶を持つわけない。在留邦人には、この意味がわからない。なぜなら、分裂病だから。

ニュージーランドの学期末試験は超簡単なので、評定が低く、オーストラリアの一部の州を除くと、この試験結果を採用する国はない。アメリカの大学も、イギリスの大学も、ニュージーランドの学力の低さを認識しているので、この試験結果は採用していない。日本の大学は、定員割れの田舎の短大くらいしか採用していないので、非常に不利な試験なのだ。このあたりの事情を深く考慮した上でニュージーランドへの留学を判断してもらいたい。「経験を積む」ためだけに、年間400万円、3年間で1200万円を使うだけの価値はあるのか、ニュージーランド留学に価値はあるのか、厳しく判断してもらいたい。何も実情を知らない、過去もなければ記憶も経験もない留学エージェントと、その留学エージェントを束ねる "ENZ"(Education New Zealand) の口車に乗ってはいけない。彼女たちは良いことしか言わない。都合の悪いことは、すべて、もみ消す。都合の悪いことをもみ消さないと、ニュージーランドで日本人が生き残ることは不可能である。

ニュージーランドの1科目・3時間を費やす学期末試験は、超簡単なので、勉強しなくても良い点数が取れる。私は、かってにカンタベリー大学中央図書館に入り、試験勉強をやった。過去問もなく、勉強のやりようもない。例外的に「微分積分学」の担当教員だけは、3年分の過去問を用意してあったが、ニュージーランド人はケチなので、過去問は有料で貸し出しをしていた。貸し出し料は 5ドル(過去問を返却すると返金される)。本当にケチな教員だなと思ったが「借りた物は返さない(借りパク)」が当たり前のニュージーランドでは、妥当な金額だと思った。
この教員は、日本人以上に規律を重視する神経質で非常に細かな性格の人物であったが、同じ学校に通う実の息子(←ニュージーランドあるある)は、学内で不祥事を起こし、退学処分になった。停学(Suspended) ではなく、退学(Expelled) になった。数学教員の息子は何をやったのだろう。人でも殺したのだろうか。数学の先生をやっているお父さんは、他の生徒を指導するより、自分の子を指導した方が良いのではと思ったが、おそらく、自分の子を指導するより、他所の子を指導する方が負担が軽く、成果が出るのだろう。親になって初めてわかる「親子あるある」ですね。

カンタベリー大学には3つの図書館があるが、「マクミラン・ブラウン図書館」(Macmillan Brown Library)は、明るくて綺麗な図書室であるが、扱う図書が特殊なため、ほとんど利用する学生がいない書庫のような図書室である。ウロウロしていると職員に声を掛けられるのでモグリは侵入できない。「EPS(Engineering and Physical Sciences)」と呼ばれる工学部内にある専門図書館は狭くて、暗くて、倉庫みたいな図書室なので、長くいると鬱病になりそうで入れない。モグリが入れるのは中央図書館だけになる。
中央図書館の4階は、人文学系の開架図書室になっているので、日本語の本が、かなりの数、揃っている。日本の大学から送られてくる献本がたくさんある。世界の僻地にある誰も知らないローカル大学にまで、日本から献本が送られてくることに驚いた。同じことをニュージーランドの大学ではできない。私は試験勉強はやらずに日本の小説ばかり読んでいた。後日、韓国人のタクシー運転手の車に乗車した際、その韓国人運転手は中年の人であったが、なぜか日本語が上手で、その韓国人もカンタベリー大学中央図書館の4階にかってに入り、日本語の本を読んでいると話していた。『モグリをやっているのは私だけじゃないのか』と、腹を立てたので、よく覚えている。
カンタベリー大学中央図書館は、貸し出しを受けなければ誰でも自由に入れるので「住居侵入罪」で逮捕されない。学食も誰でも利用でき、書店 兼 文具店で買い物もできる(少しだけ割引になる)。広く市民に開放された図書館ではないが、かってに入っても何も言われない。リンカーン大学の大学院生はカンタベリー大学中央図書館で図書の貸し出しを受けられるが(学部生は貸し出し不可)、この仕組みを知っている院生も、ほとんどいない。モグリをやっていると、悪い知識だけが増えていく。

ニュージーランドは、私のように、現地校を卒業した卒業生の意見を重視すべきである。実情を語ってくれる、生の情報を提供してくれる卒業生を大切にするべきである。
何も知らない、何もやったことがない、外側から見ただけの妄想しか抱かない日本人の留学エージェントと、ENZの日本人職員の言うことは、最初から聞くべきではない。何もしらなければ良いことしか言わない。何もしらないんだもの。こんな妄想だらけ、嘘で、ペテンで、丁稚あげた作り話を聞いて、同じく妄想を抱く日本人留学生を見ると「可哀そう」と、心底思う私がいる。

私と同じく現地校を卒業し「ニュージーランドで苦い経験」をしたニュージーランド人は、ニュージーランドを捨て去る。野党第一党のニュージーランド国民党は「ニュージーランドを離れたいと考えるニュージーランド人」は、国民の5人に1人、100万人を超えていると公表している。2022年度だけで、10 - 20万人のニュージーランド人がニュージーランドを離れ、二度と戻って来ない。

『中身を知っている人の意見』を熟知した上で、間違いない選択をしてもらいたい。なぜ私が、ニュージーランドの中の事情を知る私がニュージーランドに残っていないのか考えていただきたい。
在留邦人のように手遅れな人間にならないように。

「嘘・デタラメ・妄想」の次はボッタくり! 在留邦人が隠す汚れたニュージーランドの姿 [在留邦人批判]

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このブログを続けることに飽きていることは、10回か、20回か、30回くらい書いているが、その気持ちは変わっていない。

当初の私の目的である、イーストウインドの田中を抹殺すること、「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史と、その娘を土に埋めることは、私が手を加えるまでもなく自滅したので、もうやることがない。

そこで、イーストウインドに関するいくつかの書き込みを削除したところ、アクセス数が激減した。多くの人がこのブログに何を求めていたのか、書いている人が、一番、知りたい。

この書き込みも投稿すると、直後にアクセス数が急上昇する。『どれだけ私のファンがいるんだ』と、書いている人は心配しています。

在留邦人の書き込みを見ても、私のパクリばかりで、一つも面白くない。

「ニュージーランドは社会主義国家である」と、車の中からラジオ実況のような動画を "Youtube" に投稿していた人も、私からの批判を受け、配信を停止した。ニュージーランドのことを「社会主義国家」と定義づけするのは私と、大多数のニュージーランド人くらいで、在留邦人はニュージーランドのことを「社会主義国家」と言うことはない。そもそも在留邦人は「社会主義」の意味を理解できていない。

在留邦人は、私にお月謝を支払わないのに、私から良質な情報を搾取し、如何にも自分が見つけた「特ダネ」と言わんばかりの書き方だ。だから、私のパクリだと、瞬時にわかってしまう。

1998年10月以降、一度もニュージーランドに入国していない私の持つ情報力が最も正確で、確かで、嘘がない。この事実に、書いている人が、一番、驚いている。

継続はチカラなりとはよく言った言葉で、過去にブログを書いていた人たちもネタ切れでやめてしまい、動画投稿していた人たちもネタ切れでやめてしまい、24年間、一度も、ニュージーランドへ入国していない私が続けており、在留邦人より正確で、確かで、嘘のない情報提供をしていることに、やっぱり私はレベチだなと、深い悲しみを感じるのだ。

ここへ書くまでに、在留邦人二名の悪口を 6,000字くらい書いたのだが、安倍(元)総理が暗殺されたこともあり、私が暗殺されると悲しむ人がたくさんいるので、全てを消した。ここが、家族と不仲な人ばかり、日本を恨んでばかりの在留邦人と、私との、決定的な違いである。

ニュージーランドの報道を見ても、明るい話題は1つも見られない。

物価高騰は国民生活を直撃し、インフレ率は 7.3% と、32年ぶりの高い上昇率を記録した。
もともとニュージーランドは、生鮮食品以外の全てを輸入に頼る、ハワイとよく似た輸入社会のため物価は高く、驚きの数値ではないが、このインフレ率に給与が追いつかないことが問題になっている。

「貯蓄」という概念が存在せず、物価高騰の続くニュージーランドでは「死人が出る」と言われるほど、国民生活はひっ迫している。
ニュージーランド首相府は緊急対策として、ニュージーランドの人口の半数に相当する 210万人を対象に 3カ月分・350ドル(35,000円)の特別給付手当の支給を開始した。この 35,000円で何とか食いつなげというわけだ。この手当が、さらなる騒動を引き起こした。

休業補償金と同じく、ニュージーランド首相府は2日以内に受給資格者の銀行口座へ 1ヵ月分に当たる 116ドル(11,600円)を振り込んだのだが(振込が遅れると商店が暴動を受け商品が根こそぎ奪われる)、既に死亡している人や、受給資格のない海外在住者にも振り込んでしまった。ドジっ子のニュージーランドが、またやっちまった!
中東のドバイに22年間住んでいるニュージーランド人にも 11,600円を振り込んでしまったので、受け取った本人が『このカネはなんだ! やばいカネなのか!? 』と、驚いて連絡を入れてきたことで、ことが発覚した。
ニュージーランドの税制では、183日以上、ニュージーランドを離れる人は納税者番号である "IRD"番号を抹消しなくてはいけない。しかし、海外在住者のほとんどは、この手続きを行っていない。このことから、受給資格者が知らない間に、ニュージーランドの税務署から給付金が振り込まれていた。
給付業務を担当するデビッド・パーカー国庫庁担当大臣は、誤送金は給付対象者の 1%に当たる 20,000件以下であることから、既に振り込んでしまった海外在住者にも受給資格を認めた。パーカー大臣はニュージーランド人であることから『ニュージーランド人にカネを返せと言っても無理』なことを承知している。ニュージーランド首相府の金庫番であるロバートソン財務大臣に至っては『想定内の間違い』と、謝罪すらしていない。
山口県阿武町の誤送金で4630万円が振り込まれた詐欺事件で、在留邦人があれだけ「アナログ社会の日本」を叩いたのとは比べものにならない事態に発展している。ニュージーランドはアナログ以前の、給付対象者すら確認していない。確認していないから、何事もスーパースローに動くニュージーランドで、2日以内に給付金の送金業務が終わるのだ。
なぜ、在留邦人はこの件に触れないのか。自分も低所得で 35,000円を受け取る受給資格を得ているからだ。自分が損をしなければそれで良い。自分さえ良ければそれで良い。これが、在留邦人のホンネである。

在留邦人だけが『ニュージーランドの給与は毎年上がるので問題ない』としても、私が見るかぎり、現地の民からそのような声は、一切、聞こえてこない。
ニュージーランドで給与が毎年上がる人は、最低賃金で働く非正規の労働者だけであり、週40時間を働く人は自動的に正規労働者となってしまい、正規労働者は年俸制のため、給与は上がらない。
ニュージーランドの求人広告を見るとわかるが、給与水準は「目安」で示されるだけであり、実際の給与額は入社前の最終面接で決まる。実際に自分がいくらの給与を得られるのかは、実際に働くまでわからず、給与保障もない。ここで交渉決裂することが多く、人事を悩ませている。
ニュージーランド人の転職が多い理由も「年俸制」にあり、年俸制に満足する労働者は、ほぼ、存在しない。
年俸制の労働では給与は、ほぼ、上がらないので、転職することで、次の会社との交渉時に賃上げを要求する。労働者側は、これしかできない。
しかも「雇用」は経営側ではなく「労働組合」が握っているので、労働組合に入っているかぎり失業することはない。会社がつぶれたら、同業他社に移ればいいだけ。同業他社なので業務も同じく、新人教育の必要もない。この橋渡しをしてくれるのが「労働組合」という存在である。
そのため、同じ会社に10年を超えて在籍している人は奇特な目で見られる。『おまえ、給与アップ、いらないのか!?』って、思われちゃう。給与アップは入社時以外は、ほぼ、不可能なので、転職を繰り返さないと、給与は上がらない。そうなると人材難が発生し、ベテラン社員から新入社員への知識・技術の伝承は乏しく、経営は安定しないのだ。

ニュージーランドには、240万人分の仕事しかないので、職業選択の自由はない。オーストラリアに行けば 1,300万人分の仕事があり、イギリスに行くと 3,000万人分の仕事があり、日本に行くと 6,000万人分の仕事がある。
ニュージーランド最大手の ANZ銀行と、キーウイ銀行(旧・郵便銀行)は、2022年度単体で、20,000人のニュージーランド人が職業機会を求め、ニュージーランドを離れる試算を発表した。ニュージーランドの試算なんて天気予報と同じくハズレますから、信用しなくていいです。「ニュージーランドは地上の楽園」ですから、ニュージーランドを捨て去ることなどありえません。ニュージーランド最大手の銀行が発表した報道なんて「日刊ニュージーランドライフ」の嘘つきブログと同じく、「夢の中のニュージーランド」を描いた妄想話と断言できるのだ。

在留邦人が大好きなアーダーン首相が率いる労働党は移民流入には消極的な姿勢を保ち、選挙対策では移民流入数の削減を掲げている。コロナで移民流入数は激減したのでこの政策はあまり重要視されていないが、独立法人の「ニュージーランド生産性委員会」(NZPC)は、永住者を対象に、6年ごとの審査による永住資格の更新制導入を提言している。独立法人は政府機関から独立しているため、政権交代による政策変更に影響を受けない。日本では区市町村に設置されている「教育委員会」と同じ性格の組織である。
NZPCは、永住資格を得ても「使えない外人」が多数存在することから、6年ごとに学歴(学位)や有資格を基準に、人材不足業種への配置転換を求める提言をしている。この提言で、最も影響を受けるのが在留邦人である。在留邦人は、日本人向けの仕事しかできないので、NZPCから『おまえ、いらない!』と、永住権がはく奪される可能性が高い。NZPCは『使えない外人」から「使える外人労働者」への政策変更を提言しており、これは安楽死法案と同じく、議会で法制化される見通しである。実際に、永住資格を得て社会保障を受けながら、生活保護を受けながら何をやっているのかわらない、永住資格を持っていても永住していない、納税もしなければ、消費も行わない外国人永住者は多数存在し、それを「永住者」と呼べるのかと、NZPCは「使えない外人」に厳しい姿勢をとっている。そして「外人永住者はいらない」「必要性ある人材は有期採用の外人労働者だけ」と、政策提言をしている。有期採用の外人労働者であれば、滞在許可が切れたら社会保障費の負担がなくなる。『外人永住者はいらんべ?』『外人労働者だけでいけるべ?』と、NZPCは在留邦人が大好きなアーダーン首相に提言している。労働党は外国人移民の流入に反対の立場をとることから話も早い。労働党は移民の削減に積極的であることを踏まえると、次の移民政策の中身が見えてくる。アーダーン首相は、外人に優しくないことを、決して忘れてはいけない。

SNS調査会社の "InterNations" は、外国人が移住しやすい52ヵ国の国別ランキングを発表。最上位はメキシコ、次にインドネシアと台湾が続くのだが、ニュージーランドは下から2番目の51位。最下位はクウェート。
これは調査会社の意向に偏りが激しく重視すべき指数ではないが、気になる人は気にしてください。私は気にします。
ニュージーランドが52ヵ国中の51位になった理由は、物価高騰、ガソリン価格の高騰、住宅価格の高騰と、ニュージーランド国内でも厳しい批判に晒される内容が占めている。
また、貧富の差が拡大し「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」と、私がここに書き綴ることがそのまま反映される結果となった。
この調査結果を、イギリスの左派系新聞社 "The Guardian" が『100% 純粋はデタラメか?』と報じたため、ニュージーランドにも伝わることになった。「100% 純粋」(100% Pure) とは、ニュージーランド観光局が外国人観光客・外国人留学生の誘致に用いるスローガンであり『純粋とは偽りか?』と、"The Guardian" は揶揄しているのだ。
イギリスには、48,000人のニュージーランド人が居住しているので、この手の報道は現地で大々的に報じられ、ニュージーランドに伝わる。イギリスのメディアは、公共放送の "BBC" でも王室批判をガンガンやるように、同胞に対しても容赦ない。「同級生なのに性格が悪い野郎」って、どこの学校にもいる。私の学校にもいたし、私も嫌がらせを受けたし、他の人からすると『おまえが一番性格が悪い』と、私が言われると思いますけれどね。

イギリスはニュージーランドを格下に見ているので容赦ないが、ニュージーランドはイギリスの顔色をもの凄く意識する社会である。

2018年12月、イギリス人女性の "Grace Millane"(当時22歳) が、オークランドで強姦され殺害された。観光シーズンであることから、アーダーン首相は遺族に弔意を表明した。過去に何度も外国人旅行者を狙った強姦殺人事件は起きているが、特定の遺族に首相が弔意を表明することはなかった。私は、ひっくり返りそうになった。ここまでイギリス政府に忖度するのかと驚いたのだ。実際にここまでやらないと、イギリスのニュージーランド叩きは凄まじいものがある。それはたぶん、イギリス人はニュージーランドの「デタラメ」と、大げさな表現による「ボッタクリ」を、認識しているからだと思います。

「コロナの優等生」だった(←過去形)ニュージーランドも、死亡率では世界最高水準に達し、オーストラリアのメディアが叩きに叩きまくっている。
政治決断で都市封鎖を断行した国は、コロナ感染者数と死亡者数が急拡大しており、打つ手がなく、野放し状態になっている。
コロナ感染者の急増に病院はひっ迫しており、医療従事者の感染も報告され、スタッフの減少に伴い、看護師資格を持たない看護学生が患者対応に当たっている。まさに「学徒動員」。「コロナの優等生」は、どこへ行ってしまったのか。
この「学徒動員」に対し、看護師の労働組合である「ニュージーランド看護師協会」(NZCN)は、猛反発を表明。「正規の看護師資格を持たない看護学生を病院に配属するな」と、表向きの反発を強めているが、そこはニュージーランド、こんな表明は表向きの発言であることはニュージーランドの民なら誰もが理解している。理解していないのは、在留邦人だけ。
労働組合は圧力団体なので、政治に圧力を掛けることは当然のことである。看護師組合の目的は、看護学生を保護することではなく、この圧力による政権交代の実現にある。自分たちの都合の良いように政治を動かす。これが、ニュージーランドで労働組合が生き残れる、唯一の理由である。
ニュージーランドの労働組合組織率は日本と同等にあるが、労働組合が持つ「労働規約」が凄まじい厳しさで「組合員の雇用は何があっても守る」と、意思表明が凄まじい。公選で選ばれる政治家は、労働組合の意見を無視すれば選挙で落ちてしまう。統一教会に支援されないと選挙で落ちてしまうどこかの国の政治家と同じ構図なのだ。その労働組合の支持を得ているのが、在留邦人が大好きなアーダーン首相の労働党である。

当初の私はこれより先、コロナ対策の野放し状態を謳歌する在留邦人が日本へ帰国後に感じた「日本の違和感と在留邦人に厳しい日本人」について、批判的投稿を 6,000字まで書いたのだが、飽きたので全てを消した。日本語の通じない在留邦人に対する批判的内容は、童貞喪失に失敗した男子学生のようで、虚しいと思ったのだ。

ニュージーランドで18歳から21歳くらいの男子を持つ母親は『うちの息子は童貞を捨てたのか』と、とても心配する。生殖能力がないと「男」として認められないニュージーランドでは、男子の性体験を非常に重視するのだ。

息子に彼女ができると、親は飛び上がって喜ぶ。『すぐに連れて来い!』『どんな女の子なのか審査する』と、息子よりも親の方が喜ぶ。親が喜ぶ理由は『これで息子も童貞を捨てられる』と、思うからだ。
これは、初めての彼女に対し行われる「慣例儀式」ではない。異性であれば、どの交際相手にも行われる慣例儀式である。
息子が適切な性経験を積み、子を儲ける。これが、ニュージーランドの親にとっては最重視する課題であり、息子にとっては最大級の「親孝行」である。
そのため、結婚(法律婚)はしたが子が授からない、子が授からないので養子を迎えることは、ニュージーランドでは3階級くらいの「降格」を意味する。
日本ほど、養子を迎えることに偏見を受けないニュージーランドでも「実子がいない中での養子縁組」には、厳しい批判が根強く存在する。実子がいる中で、2番目の子が養子は大丈夫。しかし、実子がいない中での養子縁組には根強い偏見がある。誰も、そのことは言わない。決して言わない。でも、皆、そう、思っている。『それって違うよな』ってね。

生殖能力を持たない同姓婚など論外。同姓婚が法律婚に昇格したことで、同姓カップルが次に求めることは、養子を迎えることである。無神論者は、それでいいじゃないか、何が問題なんだ、と言うが、キリスト教右派が社会を牛耳るニュージーランドでは「考えられない」「馬鹿げた行為」と、凄まじい批判の嵐である。教会が、どのような理由があっても、同姓カップルの結婚式を認めない背景には、宗教と生殖能力を巡る複雑な社会構造がある。それだけ、ニュージーランドでは「生殖能力」が重要な位置を占めるので、不妊治療や、内縁・同棲関係が、社会制度的にも法律的にも整備が進み、国民の代表者である国会議員にも多くの教養が求められる。言い方を変えると、ニュージーランドは、それだけ複雑な社会構造を持つ国であり、マイノリティーには、生きにくい国である。

ニュージーランドで現地男性と交際したことがある人はわかると思うけれど、男女関係になると、相手の両親に食事に招かれる。あれは、単にお食事をすることが目的ではなく、食事中に、相手の女を厳しく審査しているのだ。挨拶に始まり、食前のおしゃべり(の内容)、食事中のマナー、食後のおしゃべり(の内容)、帰宅時の挨拶まで、厳しく審査される。女が帰ったあとで、あの子は、どーだ、こーだという家族会議が行われる。ニュージーランドの子だと早い子は中学生から、これらの審査が始まるので、中高生の彼女でも、例外なく自宅に招かれるのだ。
その後も、自宅に招かれ家人と同等の扱いを受ける人は、概ね「合格」の女である。その後のコンタクトがない女は、残念ながら「不合格」。相手の両親と食事をしたことがない交際関係など論外である。

ニュージーランドは田舎社会だから、日本人が思うよりも、人間関係が複雑である。人と人との距離が遠く、人と人との壁が厚い。これを突破できるか否かが焦点であり、これを突破できない人は、ニュージーランド人の中にも数多く存在する。そのような人たちが、日本人を含む外国人を交際相手・配偶者に選んでいる。

結婚したカップルに子供が授からないと、その人たちはとても悲惨な扱いを受けるニュージーランドでは、性体験を非常に重視する。性体験の失敗により、その後の性生活に支障をきたす人たちは、統計上に現れる実数より多く存在する。とりわけ男性はプライドが高く、性行為に失敗すると、その後の性生活に支障を来す。特に母親たちは、それを肌感覚で熟知しているので、息子の性体験を非常に重視する。日本の若い女子からすると「マザコン」と言われのだろうが、ニュージーランドの男子で「非マザコン」は、存在しない。特に母親の息子に対する愛情は凄まじいものがある。誘拐の多いニュージーランドでは、14歳の誕生日を過ぎるまで、子は親の監督下での行動に制限され、17-18歳まで、親は子の付き添いをする。大学生になっても息子の送迎を行う母親はザラであり、息子のデートに付き添う母親もいる。ニュージーランドの親子関係を知る人なら「マザコン社会」を一瞬で理解できるだろう。過保護・過干渉な母親が多く「ヘリコプターママ」の存在は、ニュージーランドの社会問題である。母親と嫁が対立し、結果的に離婚する家庭は、実数に現れるより多く存在する。このあたりのデリケートな指数は、決して、統計上に現れないから、在留邦人は知らないだけ。

20歳前後の息子を持つ母親たちが集まると『うちの息子は童貞を捨てたのか』が話題の中心になる。日本では、この手の話題はご法度なので、できません。日本でも、多くの母親たちは同じことを考えていると思われるが、やっぱりこの話題はご法度、禁句扱いなのだ。ニュージーランドでも公の場ではされないが「息子の童貞問題」は、母親たちの重大な悩みである。

日本から来た女子学生で、現地の白人男性にメロメロになり、白人の彼氏ができたと自慢してくる人たちをたくさん見てきたが、現地の性事情に精通する私にしてみれば『性の対象にされて嬉しいのか』『やり逃げされる女が喜んでいる』『おカネをもらえない "prostitute"(←意味は自分で調べろ)』と、日本の女子学生を見ては腹を抱え笑っていたので、やっぱり、私の性格の悪さって当時から筋金入りだったと、いまさらながら自分の性格の悪さに呆れています。皆さんも、私のような性格の悪い人間にならないでください。在留邦人は、私以上に性格の悪い人しかいないんですけれどね。

オタゴ大学の名門学生寮で長年に渡り強姦事件が放置された理由。性被害に会う女子学生が存在する理由。オタゴ大学が強姦事件の事実を認めない理由。ニュージーランドの性事情が理解できると『まー、そーだろーねー』としか言えない私がいる。ニュージーランドでは、童貞を捨てることが「男」への登竜門なので、隠された性文化を肌感覚で理解できる人には、『はいはいはい、そんなもん、皆、知ってますよ』と、なってしまう。「童貞を捨てるためであれば強姦する」。田舎社会なので、皆、同じ生活なので、イチイチ、何かを言う必要もない。ニュージーランド人は、他人のことを、イチイチ言わないは、事実である。

在留邦人はニュージーランドのことを何も知らない「夢の国・ニュージーランド」の村民だから、嘘・デタラメ・妄想でお話を作っているだけ。在留邦人って本当にオメデタイ人たちだなって、性格の悪い私は思います。

在留邦人が日本で失敗した最大の理由 [在留邦人批判]

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クライストチャーチの出身校が同窓生向けに学校情報の提供を始めた。メールアドレスを登録すると、広報誌(Newsletter)の最新版を配信するというので登録をしてみた。
これまでも広報誌はオンライン上で読むことはできたが、いつ更新されるのか不明で、不定期に確認する煩わしい作業が省けると思ったのだ。
メールアドレスを登録してみたが、そこはニュージーランド、オンライン上の広報誌は最新版に更新されているが、更新情報は届かない。『この緩さがニュージーランド!』と、在留邦人は絶賛するのだろうが、私は絶賛できない。広報誌が最新版に更新されていても、更新情報は届かない。これは「緩い」ではなく「無能」である。
言葉には、それぞれ意味がある。似たような言葉でも、同じ意味にはならない。「緩い」と「無能」は、異なる言葉であり、異なる意味を持つ。

約30年前、私はクライストチャーチのキリスト教学校で惨めな高校生をやっていたわけですが、そのころから在留邦人・日本人留学生とは、日本語が通じなかった。日本語を学ぶ現地生と日本語は通じたが、在留邦人・日本人留学生の話す日本語は通じなかった。この感覚は、2022年になっても変わっていない。

ひさしぶりでもないが、出身校のホームページを見てみた。教員名簿を見ると、私の1学年下の後輩1名と、2学年下の1名が、現職の正教員になっている。1人は数学科の教員、もう1人は理科の教員。どちらも成績優秀な(元)生徒で、いつも表彰を受けていたのでよく覚えている。
数学科の教員になった子は、確か、数学オリンピックのニュージーランド代表だか、代表候補になった(元)生徒だと思う。数学能力って、十代が最大で、二十代に入り数理学的な能力を伸ばせる人は、ほぼ、いない。高校時代の手柄を勲章に母校の数学科教員になったことは正しい選択だと思う。
理科教員の後輩の子は、私の同級生と結婚している。ニュージーランドらしい狭い範囲の狭い人間関係である。地元の高校を卒業し、地元の大学に進学し(クライストチャーチには大学が2つある)、出身校に勤務し、出身校の人と結婚し、出身校の近くに住み、学校の人と同じ教会に通うので親同士も知り合いだから『あの子の親は真面目な人だから、あの子となら付き合ってもいい』と、早くから親公認の交際に発展する典型的なニュージーランドの男女関係である。ニュージーランドは社会も狭いが、人間関係は、より狭く、同じ学校に通う人との結婚が、ものすごく多い(同時に離婚も多い)。そのくらいしか男女の出会いがない。そこから漏れた人が、日本人を含む外国人と結婚している。だから、真面目な現地の人は、外国人と結婚しない。日本人を含む外国人と結婚する人が不真面目とは言えないが、少なくとも「真面目な人」ではない。その人は「良い人」かもしれないが「真面目な人」ではない。「悪い人」ではないかもしれないが「真面目な人」ではない。それゆえに、配偶者や交際相手が誰なのか、相手の存在がわかってしまうと、その人の隠された内面がわかってしまう。どこでも田舎って、そんなもんだと思いますけどね。

出身校の学費を見ると、現地生の学費は 25,000ドル(250万円)、外国人生徒の学費は 40,000ドル(400万円)と記載されている。約30年前、私がこの学校に通っていた当時の学費は 13,000ドル(130万円)だったので、私立の名門校としては安い学費を維持している。

ニュージーランド人の1人あたりの平均所得は 55,000ドル(550万円)、1世帯あたりの平均家計所得は 100,000ドル(1000万円)なので、所得の「平均」に位置する家庭では、この学校に子女を通わせることはできない。
ニュージーランドでは、70,000ドル(700万円)を超えると高額所得者に位置づけられ、所得税率がグッと上がるのだが、私がいた約30年前は、年間所得が 54,000ドル(540万円)を超えると高額所得者と規定されていた。約30年前の高額所得者が、現在は平均所得者へ格下げされているので、それを考えると、私の出身校の学費は「安い」と判断できるのだ。

私はこの学校に在学時、親から2年分の学費を預かり、資産運用をして、3年分の学費に増やした。午前8時から午後3時30分まで授業があり、午後4時に家に着き、銀行は午後4時30分まで営業しているが、そこはニュージーランド、午後4時を過ぎると銀行員は帰り支度を始めるので、業務を受け付けてくれない。『もう帰るから、明日来い』と、普通に言われる。まだ営業時間終了まで30分もあるのに。社会全体が午後5時で機能停止する「9時・5時(17時)社会」なので、取引に使える時間は、実質、30分くらいしかなかったが、高い利回りを出し、2年分の学費を3年分に増やすことに成功した。学費負担が軽くなったことを親に報告をすると、うちの親はとても驚いていたが、驚く親の顔を見て、私が驚いた。

会計学担当教員は「元銀行員」という不思議な経歴を持つ人物であったが、私の資産運用に対し『もっと上手く利回りを出せ』と、ずいぶん、手厳しい指導を受けた。日本の学校で教員と生徒が金儲けの話をしていれば、他の教員から白い目で見られることは当然のことであるが、これは、ニュージーランドの学校でもまったく同じである。
「元銀行員」という不思議な経歴を持つ教員だったので、銀行内でどれだけの不正が日常的に起きているのか、実例を用いて説明してくれたことはよく覚えている。一度、授業中に、元勤務先の銀行に連れて行ってもらい、元同僚を講師に、話を聞かせてもらったことがある。ニュージーランドの学校でよくある「いきなり社会科見学」。先生が自分の車(または学校の車)を運転し、車で通学している他の生徒の車に分乗しお出掛けする「いきなり社会科見学」は、どの学校でも見られる日常的な授業風景である。日本の学校では、高校生が車を運転し通学していないので、できません。
元同僚の銀行講師から何の話を聞いたのかまったく覚えていないが、スクエアにある銀行本部の上層階にある会議室に通され、エアコンが効いていたので『ニュージーランドにもエアコンってあるのか』と、驚いたことだけは覚えている。また、元同僚という銀行員が背広を着ていたので『ニュージーランドの人で背広を着る人がいるのか』と、驚いた(注:一般的なニュージーランドのビジネスマンは背広を着ない)。

私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたが、これは私の歴史なので、他者の干渉は受けない。私の歴史は、あなたの歴史ではない。あなたの歴史は、私の歴史ではない。私がどれだけ、あなたが大好きなニュージーランドを批判しても、それが私の歴史なのだ。

オーストラリアに住む在留邦人が "twitter" に「ニュージーランド在住の日本人で「ニュージーランド大嫌いブログ」を知らない人はいない」と、酷評していた。名誉で迷惑な書き込みだ。とにかく私を「キチガイ」と言いたいらしい。その書き込みの中で、パースの教会に出入りしていた日本人もキチガイだった、海外在住の日本人はキチガイばかりと、私を批判しているのか肯定しているのかわからない書き込みをしていた。自分の書き込みに絶対の自信があるのなら、"twitter" の投稿を非公開にせず、堂々と、私のように公開すればいいのにね。私を批判しながら、自分の書き込みは公開しない。公開できない理由があるのか、おまえが一番キチガイだと、性格の悪い私は疑ってしまうのだ。

以前もこのブログに書いたニュージーランドで不動産投資をしているおじさんが『学校では不労所得(の方法)を教えてくれない』と投稿している。当たり前のことだ。学校はお勉強をする場である。働かずしてカネを稼ぐ方法を教えるわけない。在留邦人が絶賛するニュージーランドの学校でも「不労所得」のやり方など教えるわけない。バカじゃないのかと思った。そんな常識的なことも理解できないのかと悲しくなる。本当にバカなんだなって。在留邦人はバカで、常識のカケラすらないんですけどね。
私が惨めな高校生を終えて約30年が経っても、やっぱり在留邦人って「人間のクズ」「核廃棄物以下の存在」「最下層の最下層」だと思います。皆さんも、そう、思いませんか?

ニュージーランド不動産おじさんも『人の意見は聞かない』と、意固地になっている。
ニュージーランド不動産おじさんは日本語で書き込みをしているので、見ている人が「日本人」であることを認識した上での投稿である。
その一方で、パケハの言うこと、それに、大好きな中国人妻の言うことは素直に聞き入れる。それで、大やけどはしていないだけである。
在留邦人は、日本人向けの意見と、外国人向けの意見が、まったく異なる。このことに、在留邦人は気がついていない。「裏アカウント」を持ち、海外生活の「毒」を裏アカに吐き続けるのは、それが理由である。キラキラした海外生活を発信し続けないと、自分が食っていけない。『やっぱり何でも日本の方が良い』となってしまうと、日本人相手の商売が成り立たず、お金が入ってこない。現に、日本人相手の商売が成り立たない在留邦人は帰国ラッシュを迎えている。「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史もその1人である。帰国決定後からのニュージーランド批判が凄まじい。『あれあれあれ? あのキラキラしたニュージーランドライフは、どこへいったの?』と、恐怖を感じるほど、ニュージーランド批判しか見られない。これが、在留邦人の本当の姿である。

約30年前、私の周りには現地生活に困っている日本人や日本人留学生がたくさんいた。現地の民は『頭のおかしな日本人が困っている。おまえが助けてやれ』と、私に言いにくる。私は『日本人とは日本語が通じないから助けたくない』『助けてあげてもお礼も言わない見知らぬ人を助けられない』と言っても、現地の民は納得しない。『おまえがやれ』の一点張り。しぶしぶ、助けてあげると問題は解決するが、日本人はお礼も言わず、どこかへ消えてしまう。それを見た現地の民は『ほら、上手くいったじゃないか』と言うが、それは私がやったから上手くいっただけで、問題を抱えた日本人は何もやっていない。

その一方で、現地のパケハ(白人)が手助けしてくれると、飛び上がって喜ぶ。『日本人でこんな親切な人はいない!』と、飛び跳ねて喜ぶ。そして「ニュージーランド LOVE!」「パケハ LOVE!」になる。現地の女性には見向きもされない最下層に位置するパケハ(男性)からすれば、こんなに嬉しいことはない。然したる努力もしていないのに、簡単な手助けをすると日本人女性は大喜びし、飛びついてくる。すぐに男女の関係、性的関係になるので、パケハ(男性)と日本人女性のカップルは非常に多い。同時に、破局する確率も非常に高い。

私がニュージーランド不動産おじさんに『おじさん、そこにある箱は宝箱だよ。開けたら財宝が入っている』とおしえても、日本人である私からの助言を受けた意固地のニュージーランド不動産おじさんは『それはゴミ箱だ!』『 ゴミしか入っていない! おまえは嘘つきのキチガイだ!』と、私を総批判して、敵対視して、総攻撃を仕掛けてくる。これが実際に、私が約30年前に在留邦人と日本人留学生にされた仕打ちなのだ。このカルチャーは現在に至るまで現地に残っている。
同じことをパケハが言えば『日本人でこんな親切な人はいない!』と、飛び跳ねて喜ぶ。「LOVE LOVE ニュージーランド LOVE」になっちゃう。これが、私が約30年前にニュージーランドという世界の僻地で惨めな高校生をやっていた頃の日常である。

海外生活を体験する在留邦人は、謙虚さを取り戻す。日本では意固地で人の話は聞かない、動かない、何でも反対する日本共産党の支持者のような人たちが、海外生活を経験することで素直になり、人の意見を聞き入れ、実行に移し、協調性を持ち行動するようになる。これって、典型的な日本の学校で学ぶ「義務教育」なんですけれどね。

学校の先生も、実家の母親も、生徒や子供が社会に出て苦労しないよう、幼少期から青年期に掛けて厳しく指導する。これは、在留邦人が大好きなニュージーランドでもまったく同じである。おカネの使い方から時間の使い方、言葉遣いに身だしなみ、学校生活から私生活まで、厳しく指導する。生徒や子供が社会に出て苦労しないよう、自分が悪役になっても構わないので厳しく指導する。それが教員としての、母親としての、務めである。

大人は大人に厳しい目で見る。一般常識はあるのか、基礎教養はあるのか、正しい言葉遣い・振る舞いはできるのか、人に対する礼儀はあるのか。一挙手一投足を厳しく確認する。なぜか。それが、大人の世界だからだ。これらができていなければ批判されるのは本人ではなく、その指導者であり、親である。それゆえに、学校の先生も、実家の母親も、厳しく指導するのだ。それらを全て批判し、否定し、聞く耳を持たなかった人たちが、在留邦人である。

在留邦人が日本で上手くやれるわけない。一般常識はなく、基礎教養もない。挨拶もできず、人に対する礼儀もない。『おまえは学校で、家庭で、何を学んできたのか』と、怒られる。そりゃーそーだ。在留邦人は逃げるだけの人生で、学校でも家庭でも逃げ続け、何も学んでいない。常識もなければ、教養もない。そんな人間が厳しい日本社会で上手くやれるわけない。結果、在留邦人が流れ流され辿り着いたのが、世界の僻地にあるほとんど人が住んでいない孤島である。

二十代半ばで社会に出るまでは学校という閉ざされた空間で、準備期間を過ごす。すべては、社会に出るまでの準備期間である。在留邦人は、この準備期間を批判し、否定し、反発してきた人たちである。
社会に出ても、10年間は見習い期間である。在留邦人は、この期間も批判し、否定し、反発してきた人たちである。自分では正しいことをしているつもりで、大失敗を犯している。激しい思い込みに基づく大失敗は、取返しがつかない。適切な年齢で修学も、就労も経験していない、一般常識も基礎教養もない在留邦人が、日本社会で上手くやっていけるわけない。それ以上に、ニュージーランドでは上手くやれないので、ニュージーランドにいても、日本人相手の仕事以外は何もできない。実際に在留邦人を見てよ。日本人相手の仕事か、単純労働以外は何もできない。大口は叩くが、実際には何もできていない。
パケハの言うことだけはよく聞く在留邦人に対し、パケハは良い印象を持つ。ラジコンカーのように、右に行けと指示すれば右に行き、左に行けと指示すれば左に行く。こんな操作が楽な人間は、世界の僻地にあるド田舎のニュージーランドにいねーわ、となる。まったく同じことを私が言っても、在留邦人も日本人留学生も意固地なので何も聞かない、何もやらない。代わりに私がやることで、自分がやった気になるので、礼もなく、どこかへ消えてしまう。私が全て代わりにやっているので、良い結果だけは付いて来るので、私とパケハも、在留邦人・日本人留学生をめぐり意見が一致しない。この感覚は、2022年になっても変わっていない。

日本人でも外国人でもない。それが、在留邦人という存在である。「在留邦人」とは誰なのか。「在留邦人」は「在留邦人」である。「在留邦人」は、日本人ではない。しかし、外国人でもない。「在留邦人」は「在留邦人」としか答えられないのだ。外国人と「在留邦人」について話すことは不可能である。外国人の中に「在留邦人」という存在がないからだ。

「学費」という概念が存在しないニュージーランドの教育界で、年間250万円も掛かる私立校に通わせる家庭があるのは、学校という閉ざされた空間で、厳しい指導を受けさせることにある。保護者から年間250万円の学費負担をいただき、大切な子女を預かる私立校には「教養」という概念が存在する。幼少期から青年期に掛けて、厳しい指導を受けないと、大人になっても、大人になれない。在留邦人を見てよ。顔も体も大人でも、中身がクズ、人間のクズ、最下層のクズしかいないじゃない。

『ニュージーランド人は、他人について、とやかく言わない』と公言する在留邦人の発言は事実である。

ニュージーランドで「学費」という概念が存在しない公立校で、生徒1人・1人に、厳しい指導なんかやらない。「ペイしない(給与に見合った見返りが期待できない)」からね。私が公立校の教員なら、指導する生徒には何も言わない。厳しく指導をしても何も変わらず、生徒は文句ばかり言い出す。自分の給与が増えるわけでもない。その生徒が社会に出て成功しても失敗しても、それは私の責任ではないので、指導にも身が入らない。やってもやらなくても同じなら、負担の少ない方を選ぶことは当然のことである。それなら、何もしないが「善」と判断する。これが、ニュージーランドの公立校の指導方針である。

他方、私立校はどうだろう。シャツの第一ボタンが外れていたらボタンを掛けなおすまで厳しく注意される。髪の毛が長ければ切るように(女子の場合は結ぶように)厳しく指導される。靴下が下がったままであれば、靴下を上げるまでその場を離れることはできない。白いシャツの下に赤いインナーシャツを着ていればその場で脱がされる。教員を呼ぶ際に "Excuse me(us)" が抜けていれば、教員は返事をしてくれない。来校者に対し、一礼し、敬意を払わなければ、あとで呼び出しをくらう。これら全て、社会の一般常識として、ニュージーランド社会で最重視される、最低限のマナーである。それゆえに、私がクライストチャーチの出身校の名前を出せば "Good School" と称賛される所以だ。学校名がわかる人は、その学校に子女を通わせる親の教養レベルまでわかってしまうので、見たことも会ったこともない、うちの親も褒められ『Youの親は真面目で正しい人だね』と言われる。
「学費」という概念が存在しないニュージーランドで、年間250万円の学費負担が生じる私立校へ通わせる家庭があるのには、明確な理由が存在するのだ。

ニュージーランドの人は『何も言わないが良いことではない』ことを理解している。理解していないのは、日本で失敗した在留邦人・日本人留学生だけだ。

いつも思うことは、在留邦人・日本人留学生は、なぜ、ニュージーランドで出来ることを、日本では出来なかったのか。私には理解不能なのだが、わかる人がいれば私にではなく、在留邦人・日本人留学生におしえてあげてください。たぶん、あなたの助言を素直に聞き入れる在留邦人は、この世に1人もいないと思いますけれど。

ずる賢いバカだけが得するニュージーランド [在留邦人批判]

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「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史の帰国理由が娘の重度の知的障害にあったこと、「たけNZ大工さん」の娘が先天性の難聴であることを笑いネタとして用意してあったのだが、これを書いているのが「4月1日」ということもあり、私の書き込みを楽しみにしている 600 - 800人 の「見知らぬ読者」に誤解を与えないため、あえて、書き加えることをやめることにした。

私は数少ない邦人男性を目の敵にしていると思う人が多く見られるが、実際のところ、邦人男性など、どーでもいい。在留邦人の6割は女性であり、邦人女性の平均年齢は34歳を超えている。他方、邦人男性の平均年齢は19歳。この19歳とは、短期滞在の留学生である。すなわち、ニュージーランドの邦人社会は長期滞在者を中心とした圧倒的な「女社会」であり、男女の年齢差に15歳も開きが見られる人種層は日本人以外にいない。

私のブログにやってくる 600 - 800人の「見知らぬ読者」は、なぜ、私が見知らぬ在留邦人を攻撃しているのか疑問に感じるだろう。それはとても簡単な理由で、在留邦人には1つの性格しかない。1つの生き方しかない。在留邦人は、皆、異なる人物であるが、その性格も生き方も「1つ」しか存在しない。この「1つ」(英語では "Identical" と表す)という概念が「民主社会主義国家」のニュージーランドでは上手く機能する。「自由民主主義国家」の日本を離れ、初めて体感する「民主社会主義国家」に居心地の良さを感じ、左翼の生き方に感銘を受けたのが、在留邦人である。

約30年前、私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたわけですが、私に嫌がらせを行い、いろいろとやらかした在留邦人と日本人留学生は、皆、同じ性格、同じ生き方しか持てない人たちであった。

私は見知らぬ在留邦人を攻撃しているわけでない。私は、かつて、私に対し嫌がらせを行った在留邦人と日本人留学生に「復讐」を行っているだけである。
これは何かと似ていないかと思い返すと、ロシアによるウクライナ侵攻と同じ精神構造なのだ。ソ連邦が崩壊した1991年12月25日、ウラジーミル・プーチンは東ドイツのドレスデンで諜報活動をしていた。祖国を愛し、祖国のために働き、祖国のためにスパイ活動を行った。しかし、ソ連邦の崩壊と同時に東ドイツの民に取り囲まれたプーチンは命の危険を感じた。自分が殺されると感じた。自分が仕えるソ連邦が崩壊する姿を見て大きな屈辱を感じた。祖国を愛し、祖国に尽くす自分が、なぜ、命を狙われる側へ変わったのか。KGBの諜報員のプライドは無残にも打ち砕かれたのだ。これがヨーロッパへ対する敵対心と復讐心へと変わった。ヨーロッパへ対する敵対心と復讐心は、30年後の2022年に現実化することになる。

それでは私は ウラジーミル・プーチン なのかという疑問は「4月1日」にすべきでことではない。私はウラジミール・プーチンではないからだ。
しかし私は、「長田雅史の娘」の首を飛ばすこと、「たけNZ大工さんの娘」の首を飛ばすことを、決して忘れていない。父親であるオヤジたちに言っても日本語が通じないので、この落とし前は娘たちにつけてもらう。これは「聖戦」であり、今、この瞬間も、私は娘たちの首を狙っている。それは、ある日、確実に起きる。私のすべてを掛け実行に移す。ウラジミール・プーチンが受けた屈辱と同じことをして見せる。

『さすがにこの人は、私の書き込みは読まない』と、信じていた在留邦人が4名、私の書き込みを読んでいた。
私が書く文面は差別化しているので、他の人は同じ文面を書けない。同じ書き方をしているとすぐに私の文面を読んでいることがバレてしまうのだ。私もそれが狙いで差別化した文面を、あえて、書いている。「バカ探知機」に正確に反応するようにね。幸運にしてか不運なのか「バカ探知機」は、正常に機能している。

日本に帰国中の在留邦人"K・M"(女性) も、私のブログの熱心な読者である。この人も典型的な在留邦人で、非常に面倒な性格の持ち主である。日本にいる母親に対する憎しみが非常に強いが、本人はそのことを認めたくない。母親は自分を認めてくれないとイジけている。中学生の女子ならまだしも、25歳をすぎた良い年をした女性がイジけているのだ。痛々しい姿です。"K・M" の言葉を用いれば「母親は背中を押してくれない」となるが、良い年をした大人の背中を押してくれる母親が、この世にいるのだろうかと、性格の悪い私は深く考え込んでしまう。
平均的な母親、一般的な母親は、自分の子を褒めない。幼少期はまだしも、成人に達した実の子を親が褒めることはない。これは、在留邦人が大好きなニュージーランドでも同様である。ニュージーランドは人間関係がドライなので、成人になれば実の子の誕生日もやらない。幼児の誕生会は派手に、そして盛大にやるが、成人になった子の誕生会はやらない。プレゼントも渡さない。子は親の誕生会をやるよ。でも、親は子の誕生会はやらない。
ニュージーランドの母親は自分の子は褒めない。3歳児や4歳児は褒める。『今日は上手にウンチができたね』って。それ以上の年齢では褒めているように見えるだけで、母親は自分の子を褒めていない。

"K・M" は母親に対する憎しみが強い一方で、パケハ(白人)に言われたことをすぐに聴く。よく聴く。そして、即、実行に移す。それゆえに、パケハからはウケが良い。それで『自分は(パケハに)愛されている』と、勘違いしている。
他方、自分の母親に言われたことはまったく聴かない。何もやらない。もちろん、実行にも移さない。母親に対する信頼がないからだ。まったく同じことを「パケハ」と「母親」に言われても、「母親」に言われたことは無視して、「パケハ」に言われたことだけを聴く。そして、『パケハに言われてハッと気づいた』『私を気づかせてくれたパケハ LOVE』となる。この「LOVE」は「ニュージーランド LOVE」になる。

私からすると、まったく同じことを言い続けた母親が可哀そうに感じますが、そこは母親なので、娘に対する憎しみは生じない。これが母だけが持つ「母性」である。"K・M" に助言してくれたパケハに「母性」は存在しない。母親ではない "K・M" にも母性はない。

"K・M" のような人は、かつて、私が色々なことをやって助けてあげても、お礼も言わず、そのままいなくなってしまう在留邦人と同じなのだ。パケハが助けてくれると飛び跳ねて喜ぶ。『日本人はこんなに親切に助けてくれない!』と、叫びならがら喜ぶ。他方、私が(教員に言われて)助けてあげても「反感」しか持たない。そのうち、文句を言い出し個人攻撃が始まる。何で私が日本人を助けて、文句を言われ、攻撃を受けなくてはいけないのか。"Headache" "Headache" と、頭を抱えてしまうのだ。これが、私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた約30年前の日常である。

"K・M" には、すぐそばで、大きな愛で包み込んでくれる母親がいても、その愛情を感じることがない。他方、見知らぬパケハの言うことだけを絶賛する。そのパケハは、"K・M" の "ヘソから下" だけを狙っていることを知らない。生殖能力がある一定の年齢まで、"K・M" はパケハからウケが良い。それが「モテる」と勘違いしてしまう典型的な在留邦人である。このタイプの在留邦人が「圧倒的な女社会」のニュージーランド邦人社会にはウジャウジャ存在し「日本人代表」になり、あることないこと、メチャクチャなことを言い始め、反日思想へと偏るので、私は "Headache" と頭を抱え、ニュージーランドを脱出した。その決断ができた私は『ニュージーランドにいなくて幸せ』と、心の底から幸せを感じてしまうのだ。在留邦人よりは確実に良い人生を歩んでいることを神に感謝したい。

私は "K・M" は、「抑うつ状態」だと思う。かつて「気分変調症」と呼ばれた「持続性抑うつ障害」だと思う。母親に対する憎しみ、過剰なまでに「認められたい」と願う承認欲求、拒食症と過食症、自尊心の低下、悲観主義、絶望感。
「持続性抑うつ状態」の面倒な点は、いつから調子が悪くなったという感覚がなく、慢性的に悪い状態が続いている。おそらく、"K・M" は、中学生の初めには、抑うつ状態になっている。これが慢性的に続くので、「調子が悪い」が日常化してしまい、重度の精神疾患になってしまう。同時に「パーソナリティー障害」を併発している。慢性的に思春期が続く状態、母親のやることは認めない一方で他人に愛され認められたい承認欲求、極めて偏りある考え方、人と同じでありたいのに同じことはしたくない欲求は「パーソナリティー障害」の典型例である。"K・M" も、大多数の在留邦人と同じく「精神病者」である。在留邦人には、このタイプの精神病者が本当に多い。その精神病者のお世話をさせられたのが私であるのなら、私がニュージーランド嫌いになるのも当然のことである。"K・M" のように重度の精神疾患を抱えると、精神科医も『こりゃ、無理だ』と、私に丸投げする。特に勤労意欲のないニュージーランド人は、仕事をしないことを仕事にしているので、1つでも仕事は減らし、他人に押しつける。その間に、自分は逃げる。世界の僻地にある島国の民がやりそうなことだ。

私は "K・M" の人間性について、一切の関心はないが、"K・M" の滞在許可に関心がある。
この人がオークランドでやっている職業では滞在許可は降りない。しかし "K・M" は、滞在許可を取得している。
"K・M" には、内縁関係にあった夫に準ずる交際男性がいた(これは "K・M" が公言していたことである)。この人をスポンサー(保護責任者)に登録し、滞在許可を取得したのではないかと。現在 "K・M" は、この男性との内縁関係を解消したので(これについても "K・M" が公言している)、"K・M" の滞在許可も無効になったはずだが、ニュージーランドに滞在している。このことについて、私は、"K・M" が設置していた "Peing(ペイング)" という匿名質問箱に滞在許可について説明を求めたが、"K・M" は「屈辱的な質問が届いた」と、返答しなかった。それまでの日本叩きや、添加物、ダイエット、過食・拒食症に関する質問には雄弁に返答していたが、私が送った滞在許可の真相については、一切返答しなかった。そして、「屈辱的な質問が届いた」と、 "Peing" を閉じてしまった。「屈辱的な質問」とは、どのような質問だったのでしょう。私が投稿した質問が屈辱的でないことを願うばかりです。

私は、今でも、"K・M" が持つ滞在許可の種類を知りたい。あなたは、どのような滞在許可を所持し、それゆえに、オークランドで自由な生活が送れるのかと。
ニュージーランドが自由で、公平で、平等な社会だから「生きやすい」のではなく、元交際相手に、おんぶに、だっこ、乳母車に、肩車をしてもらっていたから「生きやすい」のではないかと、性格の悪い私は疑ってしまうのだ。日本にいる母親は25歳をすぎた娘をおんぶも、だっこもせず、乳母車に乗せ、肩車もやらない。スケベな理由で「ヘソから下を狙う」パケハだから、"K・M" をおんぶして、だっこして、乳母車に乗せ、肩車をしたのではなかと、同じくスケベな私は疑ってしまうのだ。
その真相を "K・M" にぶつけてみたが、"K・M" は私の質問に返答しなかった。ここに、悪意に満ちたおぞましさを感じてしまうのだ。
私が送ったイーストウインドに関する質問状3通のどれにも返答してくれない「ニュージーランド大好き社」の 野澤哲夫 社長も、そう、思いませんか? 自分から『質問があれば送って来い!』と書き込んでいたので質問を送ると、返事をしない。「ニュージーランド大好き社」の 野澤哲夫 社長も、"K・M" の醜態に悪意を感じませんか? やっていることが非人間的で反社会的だと、思いませんか?

私が "K・M" に滞在許可に関する質問を送っても、"K・M"は答えてくれないので、皆さんから "K・M" に、質問を送ってください。『おまえ、どんな滞在許可もってんだよ』『パケハに、おんぶに、だっこ、乳母車に、肩車してもらってんだろ』『自立して二本の足で立て!』って。皆さんからの質問にも "K・M" が答えられない時は、『そーいうことなんじゃないかなー』って、性格の悪い私は疑ってしまうのだ。

私は、弱く、自立できない人がいるのは、自然なことだと思う。「婚姻」という制度は、それを象徴しているのだ。弱い者は強い者へ助けを求める。強い者は弱い者を支配下に置く。これに宗教観が入り、歴史的変遷を経て、「婚姻」という制度が成立した。結婚する時は神の前で、仏の前で誓いを述べる。子供が生まれたらお宮参りで報告する、教会で洗礼を受ける。人が死ねばアーメンでも、仏壇でも神棚でも、お葬式を行う。「婚姻と宗教」が、強いつながりを持つことは歴史的事実である。そして「婚姻」とは、現在でも、弱者と強者の関係を法的に立証する制度である。

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた頃も、ニュージーランド国内に所在する熱心な信仰者は人口の 7% 程度と言われたので、現在は 5% くらいしかいないと思う。人口の 5% と言っても、30万人くらいは存在するので、政治を動かすこともできる人数である。しかし、この比率になってしまうと、宗教を基準とする婚姻制度は破綻している。信仰心ない人に、宗教を基準とする法律婚は存在意義がない。

ニュージーランドで内縁関係が法的有効性を持つ理由は宗教にある。それゆえに、ニュージーランド国内では、内縁関係の法的有効性が理解されるのだ。ニュージーランドが先進国だから内縁関係が認められるわけではない。日本が遅れているので内縁関係に法的有効性が認められていないわけでもない。すべては「宗教が基準か否か」が重要なファクターになる。なぜなら、ニュージーランドは宗教を基準に全てが動く「宗教立国」だからである。聖金曜日(Good Friday)は、なぜ、公休日に指定されているのか。復活祭(Easter Sunday)を、なぜ、宗教行事として最重視するのか。聖誕祭(Christmas)は、なぜ、アルコールの販売が終日禁止され、店舗が営業をすると 1,000ドル(10万円)の罰金刑になるのか。生活の中に宗教があり、法律の中に宗教がある。これが、ニュージーランドの日常である。

日本は宗教を基準に社会が動く「宗教立国」であろうか。「日本は天皇を中心とする神の国」と発言し、総理大臣が失脚した国なので、日本を宗教立国と見る向きはない。日本が宗教立国であれば「天皇を中心とする神の国」は、その発言通りとなる。日本のように信仰の自由が保障され、移動の自由が保障され、言論の自由、職業選択の自由が保障された国を、私は見たことがない。学校で日本国国旗を揚げる、国歌斉唱をするだけで社会問題になる。在留邦人が大好きなニュージーランドも、ここまで自由ではない。キリスト教以外の宗教を認めないニュージーランド人は、人口の 5%、30万人くらいは存在するわけです。私は、クライストチャーチのキリスト教学校に通ったので、教員はキリスト教右派政党の熱烈な支持者であり、聖書に書いてあること以外は信じていなかった。理科で「ダーウィンの進化論」は教えない。聖書にダーウィンの進化論は書いていないから教員は信じていない。『ニュージーランドは自由な国か?』と、聞かれたら『日本のような自由な国でない』としか答えられない。キリスト教学校でダーウィンの進化論の話をすれば『おまえは進化論を信じているのか?』と、厳しく指導される。これが、宗教学校の標準的な指導である。そこに特別な驚きはない。そのような考えを受け入れられない人は、高額な学費を支払う宗教学校に通わなければ良いだけのことだ。

世界各地で内縁関係に法的有効性を持たせる国は宗教立国である。先進国ではない。宗教立国で宗教が機能していなければ内縁関係を認めざるを得ない。内縁関係を認めないと、法治国家として機能しない。人々の自由な生き方を認めるために、内縁関係を認めるわけではない。在留邦人はお勉強のできないおバカ集団ですから、訳のわからない自己解釈でニュージーランドを絶賛するが、ニュージーランド側は『そのような事実はない』と、否定するのだ。これが、すべては宗教を基準に社会が動くニュージーランドの法解釈である。内縁関係を法律婚とみなす法解釈についてキリスト教右派から反発はない(ただし、同姓婚の法制化については、キリスト教右派が猛反発している)。

人間は「婚姻」により、一度、死ぬ。これは、どの宗教にも共通する概念である。人間は結婚すると、一度、死ぬ。結婚することは死ぬことなので、結婚式は白い正装で行う。肉体が死んだ時も白装束で葬式を行う。キリスト教も、仏教も、神道も、イスラム教も、結婚式と葬式は白い正装を身にまとう。
内縁関係では結婚式を行わないので、死ぬ必要がない。死ぬ必要がないので、婚姻も必要ない。それゆえに、内縁関係は法律婚として認められるが、宗教を基軸とする宗教婚ではない。それでは、この概念が、広く一般に浸透しているのかと言えば、少なくとも、宗教立国・ニュージーランドでは認められていない。ニュージーランドで内縁関係でいる人は、複雑な事情から結婚できない人、宗教間の対立から宗教婚が認められない時に限る。そのため、無宗教の人が内縁関係を保つことに異議はなくとも、「ノーマルな人間ではない」と、レッテルを貼られる。ニュージーランドの教会は、一か所として、内縁関係にあるカップル、同性愛者の結婚を認めていない。正式な婚姻関係にない人間は「ノーマルではない」と、判断するからだ。

在留邦人が大好きなジェシンダ・アーダーン首相も内縁関係であることから、結婚式は挙げられない。「結婚式をしていない」ではなく「結婚式ができない」。宗教立国・ニュージーランドでは、1つの教会も、内縁関係にあるカップルの結婚式を認めていないからだ。そのアーダーン首相も支持率の低迷からなのか、母になった心境の変化からなのか、「官僚以上の官僚」と揶揄されるキリスト教右派の支持を取りつけたいからなのか、「法律婚」を選び、婚約したことを認めた。次は、法律婚に基づく結婚となるが、ニュージーランドでは、教会の牧師が結婚を認めるわけではなく、「婚姻公証人」と呼ばれる人の前で宣誓を行い結婚したことを認めてもらわないと結婚できない。なぜなら、「婚姻」は「法律婚」であることから、有資格者に認められないと「結婚」できないからだ。この費用に 150ドル(15,000円) が掛かる。さらに、宣誓を行う正式な式場が必要となり、この手配に 90ドル(9,000円) が、別途、掛かる。さらに、証人2名の賛同が必要となり、証人2名が賛同しない時は結婚が認められない。在留邦人が大好きな「オンライン方式」も法律婚では認められない。大雨でも、大雪でも、台風でも、火山の噴火でも、結婚する2名と婚姻公証人1名と証人2名の5名が同時に同一箇所に集まり「宣誓」を受けないと「結婚」は認められない。ニュージーランドで「法律婚」を選ぶことは、手間と費用がもの凄く掛かる。これを「無宗教」の人間が選ぶわけない。
結婚するにも手間が掛かるなら、離婚するにも手間が掛かる。双方が同意すれば離婚できるわけもなく、2年間の別居が条件となる。2年間の別居が公的に認められ、収入と納税負担が双方別会計でないと、離婚したくても離婚できない。こんな面倒な仕組みを「無宗教」の人間が選ぶわけない。ニュージーランドで「事実婚」が認められる背景には、非常に複雑な宗教的理由が存在するのだ。

日本の「結婚」と「離婚」が紙1枚で、即時、効果発揮と知れば、ニュージーランド人はそのままひっくり返り、死んじゃうと思います。ニュージーランドでは考えられない簡素化された法手続きだからね。

「法律婚を選ぶ」と公言したアーダーン首相も、コロナの影響で予定していた結婚式を中止した。政治家が公言したことを履行しなければ政治不信につながるので、キリスト教右派が猛反発することは必至。この猛反発は、政党不信、支持率の低迷、そして、落選につながる。ニュージーランドでキリスト教学校に通った私には、キリスト教右派の考えることが手に取るようにわかる。『あの人たちがやりそうなことだな』ってね。在留邦人が大好きなアーダーン首相は、キリスト教右派の顔色を伺うことなく、政治家を続けることはできない。これは、アーダーン氏にかぎらず、歴代のニュージーランドの政治家が経験してきたことである。『キリスト教右派に認められないと政治活動はできない』。これが「宗教立国・ニュージーランド」の、本来の姿である。

ニュージーランドでは、エビデンスを重視する科学者の婚姻率は高く、信仰心も厚い。これは私の肌感覚なので、否定されてもかまわないが、客観的な証拠がないことを信用しない科学者が、宗教を基準とする「婚姻制度」を選び、信仰心が厚いのだ。これが言語では説明できない「宗教立国・ニュージーランド」の姿である。

私はクライストチャーチのキリスト教学校に学んだが、理系学科の教員たちは既婚者で、教会での活動に熱心であった。内縁関係が法的有効性を持つニュージーランドで、内縁関係にある教員は1人もいなかった。内縁関係にある人に対して "Sick" と、差別的発言が飛び交う。キリスト教徒が差別しないと思ったら大間違いだ。私が教員たちから学術的側面を学んだことはほとんどなかったが、教員たちと信仰について語ることは楽しかった。キリスト教学校って、数学の時間でも、物理の時間でも、いきなり宗教論争が始まる(←宗教学校あるある)。さっきまで関数の問題を解いていたのに、その30秒後には、『聖書にはこう書かれている』と、いきなり始まる。しかし、そこは倍率の高いキリスト教学校に採用された専任教員だけあり、正しい神学教養を持ち、宗教的議論は噛み合う。在留邦人のような、トンチンカンな自己解釈は言わない。理系らしく理路整然と信仰を語る。私が見ても『こいつらはキリスト教をよく勉強している』と思いましたから、間違いありません。

在留邦人は思い込みが激しく、事実と異なる一方通行な自己解釈が激しく、会話が成立しない。とにかく、偏りが激しく、接すると、心底、くたびれる。

"K・M" も、この気質そのものであり、日本の食材の全てに「食品添加物」が過剰使用されていると信じ込んでいる。「食品添加物」の多くは、無色・透明・無味・無臭であるにも関わらず(そのため食品に使用できる)『日本の食べ物は食品添加物の味がする』と、機械でも判定できない「添加物の味」を判断できるらしい。ニュージーランドの食品科学者が聞けば、ひっくり返り、二度と立ち上がることはできない。無色・透明・無味・無臭の添加物に「味」がある。これを、どのように科学は説明するのだろう。

"K・M" は日本でエナジードリンクやプロテインバーを食べると『添加物の味がする』と言い出す。同じ物をニュージーランドで食べても何も言わない。ニュージーランドに対する絶大な信頼があるので、ニュージーランドの食品には添加物は入っていないらしい。こちらも、食品科学者が聞いたらひっくり返り立ち上がることのできない事例である。私も、一瞬で良いので、ニュージーランドを信用してみたいものだ。「味のない添加物の味」とは、どのような味なんですかね?

在留邦人の多くも自然界に存在する「天然もの」を信用している。ニュージーランド国内の 60% の河川では、環境基準を超える水質汚染が確認されている。住宅地、酪農・畜産地域を流れる河川の 95% 以上で、環境基準を超える水質汚染が報告されており、ニュージーランド環境省は、これらの地域を流れる河川では泳がないよう住民に注意している。ニュージーランドは世間のイメージとは大きく異なり、深刻な水質汚染と大気汚染に悩まされ、環境汚染は深刻な社会問題になっている。

ニュージーランドの人は海産物は食べないが、在留邦人は天然の「岩ガキ」をとって食べている。「牡蛎」は、1日に400リットルの海水をろ過するので、海洋汚染が深刻なニュージーランドで汚染された海水を吸収した岩ガキも汚染されてしまう。それを獲って、食べて、『天然のものだから美味しくて安全!』と言い出す在留邦人は、死んでしまえと思う。
日本では水質汚染が深刻な河川に牡蛎を放流し、水質改善に役立てる方式が採れられていのも、牡蛎が1日に400リットルの水をろ過できる能力に注目した取り組みである。これらの牡蛎は汚染されているので、食用にはならない。それを、在留邦人は食べて『天然だから美味しい!』と言っているのだ。

ニュージーランドの民は、ニュージーランドの川も海も汚染されているので、そこで獲れた海産物は食べない。ニュージーランド環境省も、海や川での遊泳を推奨していない(泳いでも罰則はないが「病気」になると警告している)。
16の地方議会と研究機関で構成される "Land, Air, Water Aotearoa (LAWA)" は、ニュージーランド国内の65%、三分の二の河川での遊泳は健康に被害を与えると警告している。そんなところで獲れた海産物を『天然ものだから美味しい!』と食べる在留邦人は、キチガイとしか言えません。

クライストチャーチに住む在留邦人は都合が悪くなると『私、アスペ(ルガー症候群)だから、人の気持ちがわからない』と言い出す。私はこの発言、とても危険だと思う。ニュージーランドの永住資格を申請する際に、アスペルガー症候群であることを公言すると、申請は却下されてしまう。 ニュージーランドの滞在許可取得時に "Applicants for a New Zealand visa should be of 'good character' and not pose a security risk to the country." という項目が記載されており、17歳以上の申請者は全員、精神疾患に伴う精神病検査が義務づけられている。しかしこのクライストチャーチ在住の在留邦人は、ニュージーランドの永住資格を取得している。取得時の申請に「虚偽」があった。嘘をついて永住資格を取得しており、これは、滞在許可の不正取得である。これは実際の事例として、ニュージーランド移民局は、ブラジル人家族の子女にASD(アスペルガー症候群)の患者がいたことから、滞在許可を却下した。このブラジル人ASD患者とは、わずか、3歳の子供である。3歳の子供がASD患者という理由だけで、家族全員の滞在許可を却下した。これに対し、ASD患者の保護団体は猛抗議しているが、ニュージーランド移民局は再審は行わないとの判断を下した。これが、ニュージーランド移民局の平均的な対応である。
それが、なぜ、日本人は却下されないのか。日本という国家に信用があるからである。在留邦人は、日本国の信用なくして、ニュージーランドに住めないのである。ブラジル国籍であれば却下される事案が、日本国籍を持つと、すんなり認められてしまう。これが、国家という信用のもとに生きる、在留邦人のずる賢い生き方だ。

私が「日本人はニュージーランドで生きていけない」とする理由はここにある。在留邦人は、ずる賢い人間しかいない。ずる賢い人間しか、ニュージーランドでは生きていけないのだ。

私が「在留邦人とは日本人の仮面を被った悪魔である」とする理由も、ここにある。
私が「悪魔」の正体をさらけ出すため、日本人の仮面を剥がそうとすると猛反発する。それが "K・M" の事例である。

ニュージーランドは、人間が生きる土地ではない。皆さんも、そう、思いませんか? 思わなくていいです。私は、そう、思っていますから。永久に、永遠に、この考えが変わることはありません。
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在留邦人は人間的人格が腐っている [在留邦人批判]

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ニュージーランドの報道は、悲惨なニュースしか目につかない。

「コロナの優等生」と称されたニュージーランドも、1日あたりの感染者数は、15,000 - 20,000人に達し、死亡者数は100人を超え、1,000人近くの患者が入院している。日本の人口比にすれば、1日あたり、40万人から50万人が感染している計算になる。

これだけ感染者数が増加してしまうと、ニュージーランドを「コロナの優等生」と絶賛した日本のメディアは、何も報道できなくなる。もう、誰も、ニュージーランドを「コロナの優等生」と、思っていない。
学校も、4校のうち3校でコロナ感染の報告があり、保育施設では5つの園のうち2つの園でコロナ感染の報告がある。
アメリカの疾病予防管理センター(CDC)は、ニュージーランドへの渡航レベルを最高値の「4」へ引き上げ、全面的に避けるよう注意喚起している。また、アメリカ国務省も渡航勧告レベルを最高値の「4」へ引き上げ「渡航中止地域」へ改訂した。

オミクロン株は、水疱瘡(みずぼうそう)と同じ程度の感染力を持ち、1家族に1人の感染者がいると、家族全員が感染してしまう。当初の私の推測通り『集団感染が起きるとすれば「学校」か「老人ホーム」のどちらか』は、ここでも的中したのだ。ニュージーランドは、ほとんど人が住んでいない国なので、人の溜まる場所は「学校」か「老人ホーム」のどちらかしかない。そこで1人が感染し、家にウイルスを持ち帰ると、家庭内感染が起きる。実に、単純な構図である。

実は、新規陽性者数が増加する理由には「カラクリ」がある。
オミクロン株に感染すると「公休扱い」となり、10日間の有給手当が支給されるのだ。これは、自営業・フリーランスも同じ基準である。勤労意欲の乏しいニュージーランドでは、「陽性結果の検査キット」が販売されており、仮病を装い、有給手当を不正受給する例が後を絶えない。このような不正が生じると、誰が本当に感染しているのかわからず、深刻な社会不安に陥る。オタゴ大学医学部公衆衛生学講座のマイケル・ベイカー教授は『冗談では済まされない』と、強い懸念を示しているが、職場の雇用主も『黙っていればわからない』と、陰性の従業員を陽性扱いにして、休ませるケースが多発している。有給手当は社会開発省が支給するため、雇用主負担は生じないからだ。在留邦人は、ずる賢い人間しかいないので、このような不正情報は光よりも早く伝達する。仮病で公休手当を不正受給する在留邦人はウジャウジャいる。検査を受け『陰性で良かった』と、同僚に伝えれば『おまえはバカだ』と、言われてしまう。雇用主からも『おまえはバカだ』と言われる。黙っていれば有給手当と10日間の休みがもらえるのに『コイツ、本当にバカ』と言われてしまうのがニュージーランドの労働環境である。この労働環境を絶賛しているのが、在留邦人である。

ニュージーランドでは、目に見える「カラクリ」と、目に見えない「カラクリ」の両方が肌感覚で理解できないと、生きていくことは不可能なのだ。

ニュージーランド保健省はコロナ感染を諦め(?)、麻疹(はしか)の感染拡大を恐れている。年間2,000人が麻疹に感染するニュージーランドでは、1938年以来、最悪の麻疹感染状況にあり、外国人の流入と同時に、麻疹ウイルスの蔓延が危惧されている。ニュージーランド保健省はコロナ対策を諦め、麻疹対策に注視すべきと警戒している。しかし、ニュージーランド首相府は、当初の予定を大幅に前倒し、2022年4月12日より、オーストラリアからの観光客と、海外留学生の入国を決定したのだ。

海外留学生が落とす莫大なお金は年間50億ドル(5,000億円)を超えており、ニュージーランドでは5番目の外貨獲得産業となっている。これは、ニュージーランド産の果実、日本へは「りんご」「梨」「レモン」「キーウイフルーツ」などが、ニュージーランドから輸出されているが、これら果実の総売り上げよりも大きなお金が空から降ってくる。ニュージーランド首相府は、空から降ってくる 5,000億円 を掴むため、予定を前倒し、海外留学生の入国を決定した。感染予防を担当する保健省のキャロライン・マカーニ公衆衛生局長は、コロナと麻疹の同時感染が起きると頭を抱えている。

ニュージーランドでは、予防接種は「生物化学兵器」と信じる向きが根強く、麻疹の予防ワクチンは、接種率が非常に低い。麻疹は、単独の病原体としては、最大の死亡原因である。特に、0~4歳が感染すると致死率が非常に高い。この対策がなされていないので、公衆衛生局長は頭を抱えているのだ。

「コロナの優等生」は、単なる幻想であったと、性格の悪い私は思いますが、皆さんも、そう、思いませんか?

このブログの閲覧数を見ても「日刊ニュージーランドライフの捏造記事」と「イーストウインド」以外に、アクセス数の上昇は見られない。

日刊ニュージーランドライフ主宰の長田雅史は、日本への帰国を決めたようだ。極めて偏りあるイジけた性格の人物なので、いろいろと屁理屈をこねるだろうが、帰国する理由は、お金がなくなったから。これ以上ニュージーランドにいても、日本人相手の商売では食っていけない。同じ理由で帰国する在留邦人は少なくない。日本人はニュージーランドで生きていくことはできないのだ。
帰る場所のある人は幸せである。帰ることのできるうちに帰るべきである。ニュージーランドには難民認定を受け生活する難民がいるので『いいだろ! 僕には帰る場所があるんだ!』『大嫌いな日本に帰るんだ!』と、難民の前で大きな声で主張すればいいのにね。難民は、難民であることがバレると虐めと差別を受けるので何も言わず、難民であることを隠し通す。その人たちの前で大声で日本叩きを繰り返せばいいのにね。難民は、何も言わない。なぜなら、難民だから何も言えない。
何の実績も業績もない47歳が、大嫌いな日本で再出発。彼と、彼の家族に、輝かしい未来が開けることを願っております。たぶん、地獄の未来しかないと思うけれどね。
長田のムスメの英語は、半年で、きれい、さっぱり、消えてなくなる。これだけは、断言できる。ムスメの英語は、全部、消える。半年で完全に消える。何も残らない。幼少期は模倣能力が高いので、覚えも早い一方で、忘れる能力も高い。あっという間に忘れる。きれい、さっぱり、忘れる。親の想いとは裏腹に、子は現実的に育つ。
私の知り合いに、ロンドンで7年間を過ごし、ロンドン日本人学校(ロンニチ)に通っていた人がいるが、中学で日本に帰国後は、英語はきれい、さっぱり、消えてなくなった。それなりに英語を上手く話せていたが、何も覚えていない。加齢に伴い、ロンドンでの記憶もほとんど消えてなくなったので、親が苦労し持ち帰った思い出の品も、これらが何なのか、まったく覚えていない。これは特例ではない、この年齢の子女に共通して見られる典型的な認知機能であり、「覚えていないことを覚える」記憶である。
12歳までロンドンで過ごした人でもこの程度なので、より若い長田のムスメは何も覚えていない。模倣能力が高い幼少期に覚えたことは、あっという間に覚えるが、あっという間に忘れると、ここに断言しておこう。長田雅史は私のブログを読んで、悪い頭が良くなるのだから、お月謝をいただきたいです。

「イーストウインド」で14年間に渡り金庫番を務めた「ハニュウ・ユウコ」は、6件の容疑で起訴されたが、その全てで「無罪」を主張している。今後の公判でも無罪を主張するだろう。
「ハニュウ・ユウコ」の頭の中は、田中に対する悪意も、顧客に対する罪悪感もなく、自分の滞在許可がどうなるのか、それしかない。ここで有罪判決を受けると、滞在許可は取り消され、永住資格は失効する。失効決定から二週間で、ニュージーランドを離れなくてはいけない。「ハニュウ・ユウコ」も、大嫌いな日本へ戻されないよう、公判では無罪を主張し続ける。このくらい、自己中心的で、自分のことしか考えられない人しか、ニュージーランドでは生きていけない。他人を蹴り落しても、自分だけは生き残る。そのくらいの気力がないとニュージーランドでは生きていけない。「ハニュウ・ユウコ」は、その典型例なのだ。

田中が手塩に掛け育てた部下も、公判では、あっさり田中を裏切り無罪を主張する。「侍の国」から来た人間とは思えません。ニュージーランドに流入する数少ない日本文化に「切腹」があるので、ニュージーランド人の前で切腹してもらいたい。ニュージーランド人に「切腹」と言っても何のことか通じないので「ハラキリ」と言えば通じます。「ハラキリ」って、マオリ語っぽいので、現地の人に 100% 通じます。

ニュージーランド大好き社の野澤哲夫社長も「ハニュウ・ユウコ」と面識あるはずだが、こちらも、ダンマリを決め込んでいる。田中が溺愛した野澤社長ですら、このザマです。野澤社長も公判に証人として出廷すればいいのにね。『僕たちは田中に育てられ、田中に溺愛され、田中の援助で永住資格を取れた「田中チルドレンです!」』ってね。ニュージーランド人には 100% 通じませんけれど。

大人になってから知り合った人は、どんなに仲が良くなっても「ビジネスフレンド」「外部協力者」の枠を超えない。邦人社会を見れば、一目瞭然です。皆、仲が良く、皆、仲が悪い。その人がいない裏側では、悪口しか聞こえてこない。ニュージーランド大好き社の野澤哲夫社長も、裏では社員から、そして顧客から、私のような悪意に満ちた悪口を言われていないことを願います。たぶん、無理だと思いますが。

日本人の留学エージェントが、NCEA(ニュージーランドの高等教育機関への入学資格試験)は、オンラインで成績開示される一方、日本の「大学入学共通テスト」は、いまだに自己採点以外にないと書き込みをしている。私の記憶では大学入学共通テスト導入前の「大学入試センター試験」でも、追加費用800円を支払うと、成績開示されたはず。40秒ほどで調べてみると、2002年度から成績開示されていることがわかった。
ニュージーランドのオンライン社会を絶賛する一方で、日本のアナログ社会を批判したいのだろうが、持っている情報がメチャクチャで合理性をなさない。そこから3分ほどで、この日本人留学エージェントが代表を務める留学斡旋会社の登記情報を確認すると、会社の設立は「2003年8月25日」とある。自分が会社を作った1年前には、大学入試の成績開示はされていた。20年間も、この程度の情報すら把握せず「日本はアナログ社会」と批判する姿勢に説得力はあるのだろうか。私には、この日本人の留学エージェントの人間的人格こそがアナログだと思います。皆さんも、そう、思いませんか?
100万円単位の「お世話料」を受け取る日本人の留学エージェントが、40秒で調べられる情報ですら、20年間も把握していなかった。そして、自分の知らないニュージーランドだけを盲目的に絶賛する。その対比として、徹底的な日本叩きを行う。これはもう「詐欺」としか表現できないのだ。イーストウインドの田中が、ハニュウ・ユウコがやっていた「詐欺」と同じである。

私はニュージーランドで散々な目に合ったので、ニュージーランドでオンライン化がどれだけ進んでも、何も変わらないことを熟知している。情報処理する人の能力が低いので、ハイテク化しても、アナログのままでも、何も変わらない。これは私の偏見なので、皆さんに同調は求めませんが、たぶん、私の偏見は当たっていると思います。同調を求めると、在留邦人から「同調圧力」と、怒られちゃうからね。

この日本人の留学エージェントは「留学は経験」と書き綴っている。この言葉を頻繁に目にするが、本当に「留学は経験」なのだろうか。
私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたわけですが、あの経験が何かに役立ったのかと、100億1回、考えましたが、何の役にも立っていないと断言できる。『あんなことはやらなくてよかった』と、100億1回は、思いますが。

別の日本人の留学エージェントも『グローバル人材として国際的に活躍できる日本人留学生をサポート(支援)したい』と書き綴っている。100万円単位の「お世話料」を受け取り、自分は何もやらず、留学生が手柄を取れば『ワシが育てた留学生』と、その手柄を横取りする。自分が面倒を見る日本人留学生が不祥事を犯し退学処分となっても『ワシが育てた留学生』とは、決して言わない。死んだ星野仙一だって、こんなインチキは言いません。こんなインチキなお気楽商売がまかり通るなら、誰だって、留学エージェントになりたい。ニュージーランドの留学生ビジネスでは、5万人が雇用されている。この5万人と、ENZを「詐欺師でペテン師」と見て間違いない。イーストウインドも留学生ビジネスを無許可でやっていた。そのイーストウインドにお金を出してもらい設立されたのが「ニュージーランド大好き社」である。私は、決して、ニュージーランド大好き社の野澤哲夫社長を批判しているわけでない。「詐欺師でペテン師」と、言っているだけです。「詐欺師でペテン師」に仕事を依頼したい人がいれば、それで良いと思う。仕事依頼する相手も「詐欺師でペテン師」だと思うからだ。

NCEAは、自分の成績に不満がある際、添削の再点検を要求できる。この仕組みは私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた頃にも導入されていた制度である。1科目につき25ドル(2,500円)だか、30ドル(3,000円)を追加手数料で支払うと、自分の答案の再点検を要求できる。
再点検の結果、点数が上がると、手数料として支払ったお金が戻ってくる。再点検の結果、点数が下がった時はどうなるのか。どの教員に聞いても答えてくれなかったことを覚えている。教育は「不確実性」に満ちているので、「答えられないという答え」が存在するからだ。
しかし、私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた時、ニュージーランドから海外へ戻ってしまった海外留学生の再点検は行わないとする規律が存在した。私は "Mathematics with Statistics"(確率統計学)という科目を履修しており、この成績が自己採点より低かった。私は余裕で、(最低でも)97%は取れていると確信していた(注:ニュージーランドの成績開示はパーセンテージ表示)。
得点開示された成績でも、十分、合格点に達していたが、それでも、97%より低い成績になった。これに不満を感じたが、この不思議な規律のため、既に日本に帰国していた私は、試験を統括する "NZQA"(ニュージーランドの資格審査機関)にクレームを入れることができなかったのだ。

日本人の留学エージェントは、「ニュージーランドは極めて公平で平等な社会」であると絶賛しているが、私からすると「極めて不公平で不平等な社会」なのだ。なぜ、日本に帰国した海外留学生は、成績の再点検を要求できないのか。試験料は、現地生も、留学生もまったく同じである。しかし、現地生に再点検は認められ、海外留学生の再点検はやりません! って、皆さんは、不公平で不平等な仕組みだと思いませんか? これは実際に、私に起きたことである。

ニュージーランドに学ぶ海外留学生は、不公平で不平等でも、何かを言ってはいけない。それは許されない。発言も許されない。黙っていなくてはいけない。いまどき北朝鮮だってやらない「言論統制」である。これのどこが「公平で平等なニュージーランド社会」なのか、私にはまったく理解できない。2022年になっても理解できない。この仕組みを言語で説明できる人に出会いたい。本当に、心の底から、そう、思います。

この科目で「99%」の成績を取った同級生は、カンタベリー大学に進学し、数学者になった。ド田舎の僻地にあるカンタベリー大学で、数学の Ph.D. が取れることにも驚いたが、職安に行っても数学者の求人なんか出ていないので、この同級生は就職に難儀した。Ph.D. 取得後、アメリカの無名大学でポスドクをやり、任期終了後は、ニュージーランドに戻り家庭教師をやり、再度、渡米し、またもや無名の短大で助教授(助手扱い)になった後、行方不明になった。下手に数学で 99% の成績なんか取るもんじゃないなと思います。でも、絶対に私は、97%は(最低でも)取れていたはず。いまでも、試験問題を覚えている。あの成績は、点数をつけた人が間違っている。これが私が、どれだけニュージーランドのハイテク化が進んでも、情報処理する人の能力が低いので意味がないとする根拠である。身をもって経験していますから、外野席から、塀の外から、見たことのないニュージーランドの内部を絶賛する在留邦人とは違います。この恨みは、永久に忘れない。

私の数学担当教師は『自分の採点時は午前3時までかかるので間違いもある』『不満があれば納得するまで要求しろ』と言われていたので、添削の再点検を要求したかったが『おまえはダメ!』と、門前払いを食らいできませんでした。これのどこが平等で公平な社会なのでしょう? 言語で説明できる人は、エビデンスを出し、客観的根拠を示し、明確に説明してください。心の底からお願いします。

皆さんも、私の言葉には説得力あると思いませんか? 私の言葉は在留邦人が語る「嘘」「デタラメ」「妄想」で作り出した虚構のニュージーランドではありません。
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在留邦人は幸せになれない [在留邦人批判]

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「コロナより深刻なニュージーランドの肥満」というタイトルで、6,500字 まで書いたが、飽きたので、全て消した。

実際に、ニュージーランドの肥満は、コロナより深刻な状況にある。
ニュージーランドは「アメリカ」「メキシコ」「チリ」に次ぐ、世界で4番目の肥満村である。「肥満大国(たいこく)」と呼べるほど、人が住んでいないので、「肥満村」とするのが最も適した日本語だろう。

ニュージーランドの大人の3人に1人、子供の8人に1人は「肥満」である。これは、先進国の中では、最も悪い数字である。

在留邦人が大嫌いな日本は、大韓民国と並び、大人も子供も、先進国の中で最も肥満率は低い。

在留邦人が日本を嫌う理由がよくわかります。在留邦人って、特に日本人女性って、太った人しかいないんだもの。マツコ・デラックスのように、ノッシノシ、ドスンドスンと、お相撲さんのような歩き方でやってくる。『あの人はサモアの人か、トンガの人か』と思ったら、日本の女性だったということがよくある。日本人女性は太った人しかいない。

良い年(25歳以上)をした日本人女性も、ニュージーランドでは人前で化粧をしない。化粧をしないことが日本との最大の違いであり「自由」らしい。だから、日本人女性は本当に汚い。歩く汚物。

それに加え、色黒なのに紫外線対策をしないので、肌は真っ黒。紫外線対策をしないことが「自由」らしい(注:「皮膚がん」と「白内障」の発症が多いニュージーランドでは幼稚園児にも紫外線対策が義務づけられている。小学生がサングラスを着用し登校する姿はファッションではなく白内障予防のためである)。

長い黒髪の手入れをしないので、日本人でなくても美容師が見たら "Sick" と、叫ぶこと間違いなし。髪の毛の手入れをしないことも日本には存在しない「自由」らしい。私には理解不能な在留邦人特有の倫理観である。

このような在留邦人でも苦労していれば、現地の民は『助けてやれ』と、私に言いに来る。同じ国から来ているので、言葉も習慣もわかるおまえは助けられるだろということらしい。『在留邦人とは日本語が通じない』『何か手伝ってもお礼も言わないからやりたくない』『パケハ(白人)が手伝うと喜ぶが、私が手伝うと、反感を持たれる』と、現地の民に説明しても、現地の民には理解できない。『そりゃー、そーだろーなー』と、思った。日本人同士、日本語が通じないとは普通は思わない。私だって思わない。しかし、在留邦人は異常人格者、精神病者しかいないので、日本語も、日本の習慣も通じない。本当に通じない。在留邦人から痛い目に合った日本人以外は、この意味が通じない。それゆえに、現地の民には通じないのだ。これは、言語の問題ではない。

美味しい物がないニュージーランドで、何を食べても水っぽい味しかしないニュージーランドで、何を食べると太るのか。ニュージーランドで「栄養失調気味」と言われた私には大きな疑問である。

私は、太った日本人女性は、ニュージーランドに行った方が良いと思う。たぶん、日本にいるより幸せになれる。ニュージーランドに行くと、周りは太った人しかいないので、太っていることがバレない。誰からも、何とも、言われない。『ニュージーランド人は、他人のことを、とやかく言わない』は、事実である。だって、太っている人に『あなたは、太っている』と言わない。『おまえに言われたくねーよ!』と、ツッコミが入るからね。

ニュージーランドが世界4位の肥満村であっても良いのだが、生活習慣病を起源とする循環器疾患(CVD)を患う患者は、17万人を超えている。ニュージーランド人の17人に1人は、心臓の病を抱え、90分に1人の割合で死亡している。ニュージーランドで死亡する3人に1人は、心臓の病を抱えているので、心臓病の研究は盛んに行われている。日本からも少ないが、心臓外科医がニュージーランドの病院に留学しているのは、それが理由である。

持病を抱える人が新型コロナウイルスに感染すると急激に悪化するが、ニュージーランドではこの報告例が極めて少ない。ニュージーランド保健省はこの報告を注視しているが、実は、これには「カラクリ」がある。
ニュージーランドでコロナに感染し死亡した時、死亡時の検査で「心臓病」を患っていれば、死因は「心臓病」になる。「コロナで死亡」とはならない。他方、日本では、交通事故で死亡した人でも、死亡時の検査で「コロナ陽性」となれば、「コロナで死亡」に分けられてしまう。ニュージーランドでは「コロナ陽性」でも、隔離してしまえば「コロナ陽性者」に入らない。このような「カラクリ」があるので、ニュージーランド保健省が発表する数字は「参考」に留める程度で、実数を見ても意味がない。実際に、コロナで何人が死亡したのか、ニュージーランド保健省は把握できていない。オークランド大学物理学科の ディオン・オニール博士(複雑系科学専攻)は『実際の感染者数は公表値の4倍』と試算している。

ニュージーランドではワクチンの2回目接種を終えた割合は94%に達し、5歳から11歳のワクチン接種率も50%に達した。ワクチン接種が進んだ理由に、ファストフードの無料提供が指摘されている。ワクチンを打つと、ケンタッキーフライドチキンがもらえる、ピザがもらえる、ケバブがもらえることから、ワクチン接種が進んだ。ファストフードはお店が無償提供するわけではなく(無償提供するほどニュージーランドの商人はやさしくない!)、公費で費用が賄われている。ニュージーランド政府は、ニュージーランド人の肥満対策に、年間20億ドル(2,000億円)を費やしている。公費を投入し肥満抑制を行う一方で、肥満の原因となるファストフードを配っている。オークランド大学栄養学講座教授のボイド・スウィンバーン教授は、ニュージーランド政府の対策を「極めて歪んだやり方」と、厳しく批判している。

ニュージーランドの「外側」にいても、ニュージーランドの「内側」のことがわかる私は『何か利益がないと、ニュージーランド人が自ら動くことはない』ことを、瞬時に判断できてしまう。特に、ケンタッキーフライドチキンの無償提供は「アタリ」だと思う。ケンタッキーフライドチキンは、ニュージーランドの外食の中でも高額な分類に入るので、これが無償提供されるとあれば、フライドチキン目当てに、ワクチンの接種が進む。『乞食が喜びそうなこと』と思います。

在留邦人は、クリスマスに(日本の)ケンタッキー店舗で行列ができる様子をイジったイギリスの新聞を引き合いに出し、日本を批判するが、ケンタッキーフライドチキンは、ニュージーランドでも大人気である。
ニュージーランドは宗教を中心に社会が動く宗教立国なので、クリスマスは法律で「特別な日」に指定されることから、ケンタッキーは営業できない。しかし、12月24日と12月26日は、ケンタッキー店舗前では大行列ができる。
オークランドで107日間続いた都市封鎖が解除された2021年12月3日、最初に行列ができた店は、床屋と、ケンタッキーフライドチキンである。

在留邦人の「ケンタッキー論 」から生じる「日本叩き」は、意味をなさない。
日本KFCは、クリスマス7日間で70億円を売り上げるが、これは、年間売り上げの、わずか、15%にすぎない。
私の肌感覚では、クリスマスにフライドチキンを食べるのは、年配の人だけで、若い人は正月にフライドチキンを食べている。日本KFCが使用する鶏肉は生後38日の国産鶏に限定し(一般的なフライドチキンは生後50日の鶏肉を使用)、衛生管理された店内調理、持ち帰りに特化と、食品に厳しい目を向ける日本人の「食べたい」が詰まったエグい商戦を展開している。正月に販売する「ケンタお重」は、クリスマス商品より割安感があり、若者受けする。実際に「ケンタお重」は、毎年、完売する。日本のケンタッキーに行列ができる理由は、言葉で説明できてしまい、ニュージーランドの「肥満とフライドチキン」とは、まったく異なるロジックが成立する。異なるロジックを比べても、何の意味もない。何の意味もないことを比べ、日本を叩いているのが、在留邦人である。

「子供の肥満」と「子供の貧困」は、相関関係があり、ニュージーランドの子供の7人に1人は貧困状態にあると、ユニセフが警告している。在留邦人が声高々に叫ぶニュージーランドの手厚い社会保障とは無縁の状況にある。

ニュージーランドでは、貧乏人はより貧乏になるので、格差拡大が止まらない。
2022年2月15日、救世軍の2022年度報告書は、ニュージーランドの子供の5人に1人は生活保護を受ける世帯で暮らしていると報告。国からの生活保護が打ち切られると、死に直面する子供が 21,000 人もいる。もう本当に、ギリギリのところで生きている子供たちがたくさんいる。これが、先進国のやることか? 在留邦人が「地上の楽園」と絶賛するニュージーランドを、ニュージーランド人は絶賛していない。

「子供のイジメ」は、ニュージーランドの社会問題であり、15歳~19歳の自殺率は、エストニアに次ぐ、世界第2位と、こちらも悲惨な状況にある。若年層の自殺者数は、年間600人(2020年:628人 2021年:607人)。コロナで死んだニュージーランドの十代の若者は、0人。

私は、ニュージーランドを離れ、本当に良かったと思う。
ニュージーランドに残っていたら、100%、自殺していた。
これだけは断言できる。私は、自殺していた。

ニュージーランドの若年層の健康と幸福に関する調査を行う "Youth 19" の報告書は、ニュージーランドの高校生の4人に1人、23%は、「鬱状態」にあると衝撃的な報告をしている。鬱になる高校生は、この10年で、2倍に増えた。ニュージーランドの生活環境を骨の髄まで知る私は『そーだろーね』と、思います。アジア系の生徒に限ると、4人に1人は、教員から不公平な対応をされ「人種差別を受けた」と答えている。これは、パケハ(白人)の生徒より、11%も高い。
東洋系の学生の鬱病率は29%と、極めて高い数字であるが、ニュージーランド社会はアジア系に無関心ですから、シカトされてます。"Youth 19" の報告書では、この「シカト」が大問題と指摘しているが、改善案に耳を傾けるパケハはいないのが現実である。

ニュージーランドの差別は、根深いところにある。
大人にこの差別は見えない。『子供のケンカ』『大したことじゃない』で済まされるので『ニュージーランドに差別はありません』になっちゃう。
これは、半分正しく、半分間違っている。
子供の中にある差別は、大人には、決して見えない。『そこに差別がある』と、指を差して指摘しても、大人には見えない。本当に見えない。なぜなら、それが「大人」という存在だからである。
しかし、数字は忠実に現状を物語り嘘はつかない。大人に見えない世界も数字は正確に記録する。これが「ニュージーランドに存在する見えない差別」である。

在留邦人は日本での経験があるから、親にこう言われた、学校でこうされ、太っている体形をイジメられたと言う。センシティブな思春期に言われたことを、いつまでも覚えている。それは、ニュージーランドの若者も、同じことをされているのだ。それを、25歳を過ぎた大人は理解できない。過去に自分がされたことは、いつまでも覚えており、そのことを根に持ち、反日感情となるのに、ニュージーランドで、いま、あなたの隣で起きているイジメと差別は見えない。それが「大人」になったことの意味である。だから、何でも、ニュージーランドのことが良く見える。自分が経験していない「夢の世界の出来事」だから、何でも良く見え、何でも良く思える。なぜなら、自分は何もしていないから。

私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたので、現地生活の「内野(ないや)」の状況がよくわかる。内野の守備につく現役プレイヤーだ。
他方、在留邦人は、25歳を過ぎた大人になり、初めてニュージーランドにやってきた「外野(がいや)」の客席に座るお客さんだ。自分もお客さんだと思い、周りもお客さんだと思っている。永久にお客さんだ。お客さんに内野(ないや)の状況はわからない。外野席から内野(ないや)で起きているクロスプレイ(微妙な判定)は見えるだろうか。見えたら内野(ないや)に審判はいらない。野球もクリケットも、内野に審判が立っている。何のために審判がいるのか、偏差値2しかない在留邦人も、さすがにわかるだろう。この意味がわからなければ、偏差値1に降格だ!

私も多くの在留邦人と同じく、25歳を過ぎてから、ニュージーランドに行ってみたかった。そこでは、在留邦人と同じく、ニュージーランドを絶賛できるのかと。「地上の楽園」「夢の国ネバーランド」と、ニュージーランドを絶賛できるのかと。
ニュージーランドで惨めな高校生をやり、いろいろな人からヒステリックな批判を受け、教員から怒鳴られ続けた私が、ニュージーランドに戻っても、嫌な記憶しか戻らない。私の人生のトラウマである。私も、眞子さまと同じく「複雑性PTSD」と診断されたい。

『1人でも感染者が出たら都市封鎖に踏み切る』と断言し、実際に都市封鎖に踏み切ったニュージーランドも、オミクロン株の感染拡大に歯止めが掛からず、感染者数は 6,000 人を超えた(2022年2月24日: 6,137人)。
『国が国民の命を守っている』『どこまで優しいんだ』と、アーダーン首相を絶賛していた在留邦人は、まだ、41歳の女性首相を絶賛しているのでしょうか。
ウェリントンの議事堂前では、反ワクチン派による大規模な抗議活動が展開され、2022年2月28日に新学期を迎える予定であったヴィクトリア大学は、大学校舎で暴動が起きることを恐れ、8週間の新学期延期を決めた。既にウェリントン入りしていた学生たちは『俺たち、8週間も、どうなるの???』と、困惑している。
ニュージーランドは労使関係が悪く、選挙で選ばれた政治家より、労働組合が強靭な権限を持つ左派社会なので、このようなことがフツーに起きる。8週間も取り残された学生たちが、どうなるのかなんて『そんなの関係ねー! ハーイ! おっぱっぴー♪』と、労働組合の手厚い保護を受ける教職員は、学生たちを置き去り、どこかへ遊びに行ってしまった。この労働環境を「天国」と絶賛するのが、在留邦人という存在である。ニュージーランドに来て初めて左派の存在に感銘を受け、射精だか、失禁だかをしてしまい、昇天しまった人たちが、在留邦人である。

ニュージーランドの民は政治に希望を持てないので、政治家の発言を注視して、投票率が高い。なぜなら、政治に希望を持てないから、選挙で政治家を落とすために投票に行くのだ。

『パジャマ姿で動画配信するアーダーン首相をニュージーランド国民は全面的に支持している』と、TBSの「グッとラック!」に出演し答えていた「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史も、消えていなくなった。あれだけ、嘘で嘘を固めた「虚構のニュージーランド」を描いたら、そりゃ、嘘がバレるよ。
「グッとラック!」の担当プロデューサーは、私の同級生です。創造性のカケラすらない、会社の名前だけで大きくなった典型的な人間が担当する番組なので『こんな番組、すぐになくなる』と思ったら、本当になくなってしまいました。番組がなくなったので、長田雅史が得意とする「日本叩き」「日本潰し」「日本バッシング」はできなくなってしまった。残念でした。いまでは、ニュージーランドを担ぐ日本のメディアは、1つもない。「コロナの優等生」と言われたニュージーランドは、単なる、幻想だったのだ。

在留邦人はニュージーランドに感謝するのではなく、日本に感謝すべきである。
在留邦人は日本の生活について行けず、日本から蹴り出され、世界の僻地へ逃げて行った。
そして、日本という比較対象ができたことで、ニュージーランドで乞食として生きることを決めた人たちだ。乞食でも難民でも、働く者を手厚くもてなすのが労働組合。比較対象となる下地を作ったのは、ニュージーランドではなく日本である。それ故に、在留邦人は日本に感謝すべきなのである。
しかし在留邦人で、日本に感謝する人はいるのだろうか? 1人もいない。どの在留邦人も、日本批判と日本叩きは繰り返すが、日本に感謝する心は持たない。感謝の心を持たない在留邦人に幸せはやってこない。「幸せは歩いて来ない、だから、歩いて行くんだね」と、気がつかせてくれたのは日本であり、ニュージーランドではない。ニュージーランドは、在留邦人に何もせず、今後も、何もしていない。都合が悪くなれば『おまえらは国籍のある国へ帰れ』でオシマイ。

感謝の心を持たない在留邦人は幸せになれない。永久に、永遠に幸せになれない。お母さんが幸せになれないから、自分の子も幸せになれない。残念でした。子供はセンシティブだから『うちのお母さんは頭がおかしい』『お母さんはヘンな人』と言い出すのはそれが理由。子供は自分の親をよくわかっている。かつてのあなたが、自分の親を批判したように、これから自分の子に批判され、バカにされ、相手にされない。そして、独り孤独に最期を迎える。辛く、貧しい、在留邦人の最期だ。
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