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在留邦人は幸せになれない [在留邦人批判]

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「コロナより深刻なニュージーランドの肥満」というタイトルで、6,500字 まで書いたが、飽きたので、全て消した。

実際に、ニュージーランドの肥満は、コロナより深刻な状況にある。
ニュージーランドは「アメリカ」「メキシコ」「チリ」に次ぐ、世界で4番目の肥満村である。「肥満大国(たいこく)」と呼べるほど、人が住んでいないので、「肥満村」とするのが最も適した日本語だろう。

ニュージーランドの大人の3人に1人、子供の8人に1人は「肥満」である。これは、先進国の中では、最も悪い数字である。

在留邦人が大嫌いな日本は、大韓民国と並び、大人も子供も、先進国の中で最も肥満率は低い。

在留邦人が日本を嫌う理由がよくわかります。在留邦人って、特に日本人女性って、太った人しかいないんだもの。マツコ・デラックスのように、ノッシノシ、ドスンドスンと、お相撲さんのような歩き方でやってくる。『あの人はサモアの人か、トンガの人か』と思ったら、日本の女性だったということがよくある。日本人女性は太った人しかいない。

良い年(25歳以上)をした日本人女性も、ニュージーランドでは人前で化粧をしない。化粧をしないことが日本との最大の違いであり「自由」らしい。だから、日本人女性は本当に汚い。歩く汚物。

それに加え、色黒なのに紫外線対策をしないので、肌は真っ黒。紫外線対策をしないことが「自由」らしい(注:「皮膚がん」と「白内障」の発症が多いニュージーランドでは幼稚園児にも紫外線対策が義務づけられている。小学生がサングラスを着用し登校する姿はファッションではなく白内障予防のためである)。

長い黒髪の手入れをしないので、日本人でなくても美容師が見たら "Sick" と、叫ぶこと間違いなし。髪の毛の手入れをしないことも日本には存在しない「自由」らしい。私には理解不能な在留邦人特有の倫理観である。

このような在留邦人でも苦労していれば、現地の民は『助けてやれ』と、私に言いに来る。同じ国から来ているので、言葉も習慣もわかるおまえは助けられるだろということらしい。『在留邦人とは日本語が通じない』『何か手伝ってもお礼も言わないからやりたくない』『パケハ(白人)が手伝うと喜ぶが、私が手伝うと、反感を持たれる』と、現地の民に説明しても、現地の民には理解できない。『そりゃー、そーだろーなー』と、思った。日本人同士、日本語が通じないとは普通は思わない。私だって思わない。しかし、在留邦人は異常人格者、精神病者しかいないので、日本語も、日本の習慣も通じない。本当に通じない。在留邦人から痛い目に合った日本人以外は、この意味が通じない。それゆえに、現地の民には通じないのだ。これは、言語の問題ではない。

美味しい物がないニュージーランドで、何を食べても水っぽい味しかしないニュージーランドで、何を食べると太るのか。ニュージーランドで「栄養失調気味」と言われた私には大きな疑問である。

私は、太った日本人女性は、ニュージーランドに行った方が良いと思う。たぶん、日本にいるより幸せになれる。ニュージーランドに行くと、周りは太った人しかいないので、太っていることがバレない。誰からも、何とも、言われない。『ニュージーランド人は、他人のことを、とやかく言わない』は、事実である。だって、太っている人に『あなたは、太っている』と言わない。『おまえに言われたくねーよ!』と、ツッコミが入るからね。

ニュージーランドが世界4位の肥満村であっても良いのだが、生活習慣病を起源とする循環器疾患(CVD)を患う患者は、17万人を超えている。ニュージーランド人の17人に1人は、心臓の病を抱え、90分に1人の割合で死亡している。ニュージーランドで死亡する3人に1人は、心臓の病を抱えているので、心臓病の研究は盛んに行われている。日本からも少ないが、心臓外科医がニュージーランドの病院に留学しているのは、それが理由である。

持病を抱える人が新型コロナウイルスに感染すると急激に悪化するが、ニュージーランドではこの報告例が極めて少ない。ニュージーランド保健省はこの報告を注視しているが、実は、これには「カラクリ」がある。
ニュージーランドでコロナに感染し死亡した時、死亡時の検査で「心臓病」を患っていれば、死因は「心臓病」になる。「コロナで死亡」とはならない。他方、日本では、交通事故で死亡した人でも、死亡時の検査で「コロナ陽性」となれば、「コロナで死亡」に分けられてしまう。ニュージーランドでは「コロナ陽性」でも、隔離してしまえば「コロナ陽性者」に入らない。このような「カラクリ」があるので、ニュージーランド保健省が発表する数字は「参考」に留める程度で、実数を見ても意味がない。実際に、コロナで何人が死亡したのか、ニュージーランド保健省は把握できていない。オークランド大学物理学科の ディオン・オニール博士(複雑系科学専攻)は『実際の感染者数は公表値の4倍』と試算している。

ニュージーランドではワクチンの2回目接種を終えた割合は94%に達し、5歳から11歳のワクチン接種率も50%に達した。ワクチン接種が進んだ理由に、ファストフードの無料提供が指摘されている。ワクチンを打つと、ケンタッキーフライドチキンがもらえる、ピザがもらえる、ケバブがもらえることから、ワクチン接種が進んだ。ファストフードはお店が無償提供するわけではなく(無償提供するほどニュージーランドの商人はやさしくない!)、公費で費用が賄われている。ニュージーランド政府は、ニュージーランド人の肥満対策に、年間20億ドル(2,000億円)を費やしている。公費を投入し肥満抑制を行う一方で、肥満の原因となるファストフードを配っている。オークランド大学栄養学講座教授のボイド・スウィンバーン教授は、ニュージーランド政府の対策を「極めて歪んだやり方」と、厳しく批判している。

ニュージーランドの「外側」にいても、ニュージーランドの「内側」のことがわかる私は『何か利益がないと、ニュージーランド人が自ら動くことはない』ことを、瞬時に判断できてしまう。特に、ケンタッキーフライドチキンの無償提供は「アタリ」だと思う。ケンタッキーフライドチキンは、ニュージーランドの外食の中でも高額な分類に入るので、これが無償提供されるとあれば、フライドチキン目当てに、ワクチンの接種が進む。『乞食が喜びそうなこと』と思います。

在留邦人は、クリスマスに(日本の)ケンタッキー店舗で行列ができる様子をイジったイギリスの新聞を引き合いに出し、日本を批判するが、ケンタッキーフライドチキンは、ニュージーランドでも大人気である。
ニュージーランドは宗教を中心に社会が動く宗教立国なので、クリスマスは法律で「特別な日」に指定されることから、ケンタッキーは営業できない。しかし、12月24日と12月26日は、ケンタッキー店舗前では大行列ができる。
オークランドで107日間続いた都市封鎖が解除された2021年12月3日、最初に行列ができた店は、床屋と、ケンタッキーフライドチキンである。

在留邦人の「ケンタッキー論 」から生じる「日本叩き」は、意味をなさない。
日本KFCは、クリスマス7日間で70億円を売り上げるが、これは、年間売り上げの、わずか、15%にすぎない。
私の肌感覚では、クリスマスにフライドチキンを食べるのは、年配の人だけで、若い人は正月にフライドチキンを食べている。日本KFCが使用する鶏肉は生後38日の国産鶏に限定し(一般的なフライドチキンは生後50日の鶏肉を使用)、衛生管理された店内調理、持ち帰りに特化と、食品に厳しい目を向ける日本人の「食べたい」が詰まったエグい商戦を展開している。正月に販売する「ケンタお重」は、クリスマス商品より割安感があり、若者受けする。実際に「ケンタお重」は、毎年、完売する。日本のケンタッキーに行列ができる理由は、言葉で説明できてしまい、ニュージーランドの「肥満とフライドチキン」とは、まったく異なるロジックが成立する。異なるロジックを比べても、何の意味もない。何の意味もないことを比べ、日本を叩いているのが、在留邦人である。

「子供の肥満」と「子供の貧困」は、相関関係があり、ニュージーランドの子供の7人に1人は貧困状態にあると、ユニセフが警告している。在留邦人が声高々に叫ぶニュージーランドの手厚い社会保障とは無縁の状況にある。

ニュージーランドでは、貧乏人はより貧乏になるので、格差拡大が止まらない。
2022年2月15日、救世軍の2022年度報告書は、ニュージーランドの子供の5人に1人は生活保護を受ける世帯で暮らしていると報告。国からの生活保護が打ち切られると、死に直面する子供が 21,000 人もいる。もう本当に、ギリギリのところで生きている子供たちがたくさんいる。これが、先進国のやることか? 在留邦人が「地上の楽園」と絶賛するニュージーランドを、ニュージーランド人は絶賛していない。

「子供のイジメ」は、ニュージーランドの社会問題であり、15歳~19歳の自殺率は、エストニアに次ぐ、世界第2位と、こちらも悲惨な状況にある。若年層の自殺者数は、年間600人(2020年:628人 2021年:607人)。コロナで死んだニュージーランドの十代の若者は、0人。

私は、ニュージーランドを離れ、本当に良かったと思う。
ニュージーランドに残っていたら、100%、自殺していた。
これだけは断言できる。私は、自殺していた。

ニュージーランドの若年層の健康と幸福に関する調査を行う "Youth 19" の報告書は、ニュージーランドの高校生の4人に1人、23%は、「鬱状態」にあると衝撃的な報告をしている。鬱になる高校生は、この10年で、2倍に増えた。ニュージーランドの生活環境を骨の髄まで知る私は『そーだろーね』と、思います。アジア系の生徒に限ると、4人に1人は、教員から不公平な対応をされ「人種差別を受けた」と答えている。これは、パケハ(白人)の生徒より、11%も高い。
東洋系の学生の鬱病率は29%と、極めて高い数字であるが、ニュージーランド社会はアジア系に無関心ですから、シカトされてます。"Youth 19" の報告書では、この「シカト」が大問題と指摘しているが、改善案に耳を傾けるパケハはいないのが現実である。

ニュージーランドの差別は、根深いところにある。
大人にこの差別は見えない。『子供のケンカ』『大したことじゃない』で済まされるので『ニュージーランドに差別はありません』になっちゃう。
これは、半分正しく、半分間違っている。
子供の中にある差別は、大人には、決して見えない。『そこに差別がある』と、指を差して指摘しても、大人には見えない。本当に見えない。なぜなら、それが「大人」という存在だからである。
しかし、数字は忠実に現状を物語り嘘はつかない。大人に見えない世界も数字は正確に記録する。これが「ニュージーランドに存在する見えない差別」である。

在留邦人は日本での経験があるから、親にこう言われた、学校でこうされ、太っている体形をイジメられたと言う。センシティブな思春期に言われたことを、いつまでも覚えている。それは、ニュージーランドの若者も、同じことをされているのだ。それを、25歳を過ぎた大人は理解できない。過去に自分がされたことは、いつまでも覚えており、そのことを根に持ち、反日感情となるのに、ニュージーランドで、いま、あなたの隣で起きているイジメと差別は見えない。それが「大人」になったことの意味である。だから、何でも、ニュージーランドのことが良く見える。自分が経験していない「夢の世界の出来事」だから、何でも良く見え、何でも良く思える。なぜなら、自分は何もしていないから。

私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたので、現地生活の「内野(ないや)」の状況がよくわかる。内野の守備につく現役プレイヤーだ。
他方、在留邦人は、25歳を過ぎた大人になり、初めてニュージーランドにやってきた「外野(がいや)」の客席に座るお客さんだ。自分もお客さんだと思い、周りもお客さんだと思っている。永久にお客さんだ。お客さんに内野(ないや)の状況はわからない。外野席から内野(ないや)で起きているクロスプレイ(微妙な判定)は見えるだろうか。見えたら内野(ないや)に審判はいらない。野球もクリケットも、内野に審判が立っている。何のために審判がいるのか、偏差値2しかない在留邦人も、さすがにわかるだろう。この意味がわからなければ、偏差値1に降格だ!

私も多くの在留邦人と同じく、25歳を過ぎてから、ニュージーランドに行ってみたかった。そこでは、在留邦人と同じく、ニュージーランドを絶賛できるのかと。「地上の楽園」「夢の国ネバーランド」と、ニュージーランドを絶賛できるのかと。
ニュージーランドで惨めな高校生をやり、いろいろな人からヒステリックな批判を受け、教員から怒鳴られ続けた私が、ニュージーランドに戻っても、嫌な記憶しか戻らない。私の人生のトラウマである。私も、眞子さまと同じく「複雑性PTSD」と診断されたい。

『1人でも感染者が出たら都市封鎖に踏み切る』と断言し、実際に都市封鎖に踏み切ったニュージーランドも、オミクロン株の感染拡大に歯止めが掛からず、感染者数は 6,000 人を超えた(2022年2月24日: 6,137人)。
『国が国民の命を守っている』『どこまで優しいんだ』と、アーダーン首相を絶賛していた在留邦人は、まだ、41歳の女性首相を絶賛しているのでしょうか。
ウェリントンの議事堂前では、反ワクチン派による大規模な抗議活動が展開され、2022年2月28日に新学期を迎える予定であったヴィクトリア大学は、大学校舎で暴動が起きることを恐れ、8週間の新学期延期を決めた。既にウェリントン入りしていた学生たちは『俺たち、8週間も、どうなるの???』と、困惑している。
ニュージーランドは労使関係が悪く、選挙で選ばれた政治家より、労働組合が強靭な権限を持つ左派社会なので、このようなことがフツーに起きる。8週間も取り残された学生たちが、どうなるのかなんて『そんなの関係ねー! ハーイ! おっぱっぴー♪』と、労働組合の手厚い保護を受ける教職員は、学生たちを置き去り、どこかへ遊びに行ってしまった。この労働環境を「天国」と絶賛するのが、在留邦人という存在である。ニュージーランドに来て初めて左派の存在に感銘を受け、射精だか、失禁だかをしてしまい、昇天しまった人たちが、在留邦人である。

ニュージーランドの民は政治に希望を持てないので、政治家の発言を注視して、投票率が高い。なぜなら、政治に希望を持てないから、選挙で政治家を落とすために投票に行くのだ。

『パジャマ姿で動画配信するアーダーン首相をニュージーランド国民は全面的に支持している』と、TBSの「グッとラック!」に出演し答えていた「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史も、消えていなくなった。あれだけ、嘘で嘘を固めた「虚構のニュージーランド」を描いたら、そりゃ、嘘がバレるよ。
「グッとラック!」の担当プロデューサーは、私の同級生です。創造性のカケラすらない、会社の名前だけで大きくなった典型的な人間が担当する番組なので『こんな番組、すぐになくなる』と思ったら、本当になくなってしまいました。番組がなくなったので、長田雅史が得意とする「日本叩き」「日本潰し」「日本バッシング」はできなくなってしまった。残念でした。いまでは、ニュージーランドを担ぐ日本のメディアは、1つもない。「コロナの優等生」と言われたニュージーランドは、単なる、幻想だったのだ。

在留邦人はニュージーランドに感謝するのではなく、日本に感謝すべきである。
在留邦人は日本の生活について行けず、日本から蹴り出され、世界の僻地へ逃げて行った。
そして、日本という比較対象ができたことで、ニュージーランドで乞食として生きることを決めた人たちだ。乞食でも難民でも、働く者を手厚くもてなすのが労働組合。比較対象となる下地を作ったのは、ニュージーランドではなく日本である。それ故に、在留邦人は日本に感謝すべきなのである。
しかし在留邦人で、日本に感謝する人はいるのだろうか? 1人もいない。どの在留邦人も、日本批判と日本叩きは繰り返すが、日本に感謝する心は持たない。感謝の心を持たない在留邦人に幸せはやってこない。「幸せは歩いて来ない、だから、歩いて行くんだね」と、気がつかせてくれたのは日本であり、ニュージーランドではない。ニュージーランドは、在留邦人に何もせず、今後も、何もしていない。都合が悪くなれば『おまえらは国籍のある国へ帰れ』でオシマイ。

感謝の心を持たない在留邦人は幸せになれない。永久に、永遠に幸せになれない。お母さんが幸せになれないから、自分の子も幸せになれない。残念でした。子供はセンシティブだから『うちのお母さんは頭がおかしい』『お母さんはヘンな人』と言い出すのはそれが理由。子供は自分の親をよくわかっている。かつてのあなたが、自分の親を批判したように、これから自分の子に批判され、バカにされ、相手にされない。そして、独り孤独に最期を迎える。辛く、貧しい、在留邦人の最期だ。
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ニュージーランドはなくていい [在留邦人批判]

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この1ヵ月、私は2つのことを考えていた。

1つは、2021年12月30日 午前6時30分ごろ、東京都杉並区方南2丁目の環状七号線で、男性が都バスにひかれ死亡した。
ここは、私が車で通勤する際に使用する通勤道路である。この場所を知る人はわかると思うが、立正佼成会の大聖堂から方南町駅へ、上り坂になっており、速度が出ることはない。私が運転する時は、時速30kmが最高速度である(制限速度は50km)。中央分離帯にフェンスが張られ道路を横断することはできない。その場所で事故は起きた。都バスに搭載されたドライブレコーダーには、被害者が歩道側から車道に倒れ込む姿が映っていた。事故なのか、自殺なのか不明だが、死亡事故となった。
事故現場には近隣住民から花束が10束ほど手向けられ、缶ビールや缶ジュースが10缶ほど供えられた。これらは全て私的な行動であり、町内会や商店街、杉並区や警視庁がおカネを出し供えた物ではない。誰なのかわからない、見たこともない人の事故現場へやってきて、死者の御霊を供養し、祈りを捧げる。
同じことがニュージーランドで起きた時、在留邦人は口(くち)を揃え『ニュージーランド人は、何と、やさしい心を持つ人たちなのか』と、絶賛することは目に見えてわかる。環七で起きた交通事故現場を見た在留邦人は、同じことを思うのだろうか。

もう1つは、私のブログから記事を無断盗用し、URLを無断使用した自称・韓国籍の "Yon Slowalker" が、私をニュージーランド警察に通報するとのことで、どのように、ニュージーランド警察が私を逮捕するのか、ワクワク、ドキドキ、ココロをトキメかせ待つも、何ごともスーパースローに動くニュージーランドから、
||Φ|(|´|Д|`|)|Φ|| (タイーホ) の通知はきていない。今、きていないので、今後もこないだろう。これには、非常に落胆したのだ。私の、ワクワク、ドキドキ、それに、トキメキを返してもらいたい。

日本国の在外公館には「警備対策官」と呼ばれる警察官が常駐し、閣僚や国会議員の訪問時に地元警察と連携し、警備を担当する専門官が派遣されている。この警察官の身分は外交官であり、警備責任者になるので、二等書記官の職位が与えられる。ウェリントンの日本国大使館にも警察官が派遣されている。
他方、ニュージーランドはビンボーな国なので、ニュージーランド外務省は日本国へ警察官を派遣できない。そもそも、神山町の駐日ニュージーランド大使館に勤務する外交官は6名くらいしかおらず、それ以外の職員は、日本で採用された有期採用の日本人職員なので、何の権限も有していない。ニュージーランド軍から軍人1名が派遣されているが、この軍人は安全保障担当官であり、自衛隊との交渉役である。軍人なので逮捕権を有することなく、私を逮捕できない。「治外法権」があることから、ニュージーランド警察は私を逮捕できないのが現実である。日本国が「犯罪人引渡し条約」を結ぶ国は、韓国と、アメリカだけなので、仮に私がニュージーランド国内で犯罪行為を行っても、日本国にいるかぎり、日本側は身柄の引き渡しに応じることはない。カルロス・ゴーンが、レバノンで悠悠自適な生活を送るのと中身は同じです。やっぱり、私のワクワク、ドキドキ、それに、トキメキを返してもらいたい。

ニュージーランドで著作権法違反は刑事罰の対象となり、最高で懲役5年、罰金15万ドル(1,500万円)の刑事罰になる。同じく、私の書き込みを無断使用した「Gekkan NZ(月刊ニュージーランド)」に対し、私は、社長の 村山 晴政 氏を相手に刑事告訴を起こしたが、ニュージーランド警察は注意もしなければ身柄拘束もしなかった。ニュージーランドのいい加減な社会環境を熟知する私にとっては、そよ風が吹くようなものだった。
「Gekkan NZ(月刊ニュージーランド)」は自社サイトに「当サイトに掲載の記事・写真・図版について、無断掲載・使用を禁じます。」と記載し、オチが弱すぎて、笑いたくても笑えません。「人のものは自分のもの」「自分のものは自分のもの」「自分のものが取られたら通報する」「自分が通報されてもガン無視」と、自称・韓国籍のキチガイと、やっていることは同じである。私が常々「在留邦人はキチガイしかいない」「キチガイもいるではなく、キチガイしかいない」という理由が、おわかりいただける事例だろう。

自称・韓国籍の "Yon Slowalker" については、facebookに著作権侵害で通報をしたが、facebookは、人種差別に関する投稿の処理に忙しく、この程度の権利侵害はガン無視された。しかし、facebookは対象者を把握しているので、今後の捜査対象に記載される。法手続きとは、段階的に踏むと、かなり踏み込める。ある日、突然、アカウント停止というのは、その瞬間がきたということなのだ。「ニュージーランド大好き社」の 野澤 哲夫 社長のfacebookアカウントも、凍結されちゃったしね。何で、凍結されたんですかね? 何か悪いことでもやったんですかね? 大きな疑問です。

自称・韓国籍の "Yon Slowalker" は、私が "note" に書いた文面にもイチャモンをつけ、私が「車で歩道を走っている」と、大きな勘違いしている。これ、田舎者がよく間違う事例である。『あー、また、はじまった』と、性格の悪い都会っ子の私は思った。

画像は、東京都杉並区阿佐谷南1丁目25−24「むつみ荘」前である。
これが、東京23区内の平均的な住宅道路である。この道路を、車、歩行者、自転車、オートバイ、車いす、ベビーカー、キックスクーターに、ウーバーイーツの暴走配達員が共有し使用する。この道路は一方通行ではなく、向かいから対向車がやってくる。車線には、自転車が通行可能であることを示す「自転車ナビマーク」と、自転車が進むべき方向を示す「自転車ナビライン」が設置されている(設置したのは警視庁)。この道路では、自転車と自動車が同じ道を共有し使用できることを表示している。それ故にこの道は「車道」であり「歩道」である。

むつみ荘の向かいには「杉並幼稚園」、むつみ荘から 100m 先、右側には、「杉並区立杉並第六小学校」があり、幼稚園と小学校へ通う児童の通学路に指定されている。児童はこの道路を通り幼稚園と小学校へ通うのだ。杉並区民はここを生活道路として使用している。ここは「車道」であり「歩道」である。

私は、全長4900mm × 全幅1860mm の、10代目・ホンダアコードを所有しているが、アコードでこの道を走ると、道路幅員の7割くらいを私の車が占領する。対向車線からゴミ収集車が来た時は、同時にすれ違うことはできない。杉並区民は、ここで生活をしているのだ。

土地が有り余る田舎では「車道」と「歩道」が明確に分かれているため、自分が生まれ育った田舎と東京23区特別区を比べてしまい、トンチンカンな発言になってしまう。

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた時、クライストチャーチは世界の僻地に位置するド田舎なので、「車道」と「歩道」は明確に分かれていた。土地が有り余っているので、車道と歩道を分けても、まだ、土地が余る。「田舎の論理」で東京23区を論じるから「車で歩道を走っている」と、トンチンカンな発言になる。自分が間違えているのに、自らの醜態に気がつかない。キチガイだから。キチガイに『あなたはキチガイだからトンチンカンなんだよ』『もう、死ぬしか方法はない』と言っても通じない。キチガイだから。

私が惨めな高校生をやっていたクライストチャーチのキリスト教学校にも、自閉症の生徒がいたが、自閉症児とは、まったく会話が成立しなかった。自閉症の生徒は、「自分の中の自分」と対話を続けるだけで、いつも『うー』「あー』と、唸るだけなので、性格の悪い私は『消えていなくなれ』と思った。ニュージーランドは多様性あふれる、サスティナビリティに富んだド田舎なので、差別意識を持っても、侮蔑発言をしても、ニュージーランド社会は寛容に受け入れます。だって、多様性あふれる、サスティナビリティに富んだド田舎ですからね。保身的な日本とは大違いです。

ニュージーランドでは「犬」と「子供」と「キチガイ」は同じ扱いを受けるので、キチガイでも、不利益は受けないが、やっぱりキチガイは気持ち悪い。皆さんも、そう、思いませんか? そう思うなら、ハッキリ、口に出して発言しましょう。『キチガイは死ね』と。ニュージーランドは多様性あふれる、サスティナビリティに富んだド田舎ですから、それが受け入れられます。

ちなみに、ニュージーランドでは、「猫」と「子供」と「キチガイ」は同列ではありません。「猫」は「猫」なので、「犬」と同じ特権的地位は与えられない。怪我をした猫、高齢の猫は、例外なく「安楽死」処分になる。獣医も『こりゃ、安楽死だな』で、終わり。すぐに薬物投与による処分がされるので、20秒で死んでしまい、「犬」とは扱いが異なる。ニュージーランドで「猫」は「猫」なんです。「猫」に「犬」の地位が与えられることはない。

ニュージーランドは世界的にも稀な「安楽死」を認める国なので(世界に7か国しかない)、自称・韓国籍の "Yon Slowalker" にも安楽死が認められることを神に願います。皆さんも、自称・韓国籍の "Yon Slowalker" が、安楽死処分になることを、お願いしてください。キチガイだから、安楽死しかないと思います。キチガイだから、安楽死の意味も理解できない。キチガイとは、そーいうものです。

2019年3月15日、クライストチャーチのモスクで51人のイスラム教徒が殺害された銃乱射事件は、まさに、多様性あふれるニュージーランドを象徴する出来事だ。死亡者数51名とは、第二次世界大戦以降では、最大の死亡者数である。

ニュージーランド国内に流通する銃は120万丁を超えており、ニュージーランド国民の4人に1人の割合で銃が所持される「世界有数の銃社会」であることから、ニュージーランド警察による大規模な銃規制が実施された。「世界有数の銃社会」でなければ、銃規制なんかやらない。日本で銃規制はやっていますか?
この銃規制により、国内に流通する120万丁を超える銃のうち、56,350丁の回収に成功した。なんと! 5%もの銃の回収に成功したのです! 素晴らしい実績だと思いませんか! なにごともスーパースローに動くニュージーランドで、クイックレスポンス、快挙達成です! Well done ! New Zealand ! まさに「光速の動き」としか表現できません! いまだに95%の銃は手つかず、管理体制も把握されず、市中に流通しているわけですが、ニュージーランドの多様性とサスティナビリティを象徴する事例だと思いませんか! 私はまったく思いません!

自称・韓国籍の "Yon Slowalker" は、私のプロフィール写真を20年前のものと書き込んでいるが、20年前の2002年にスマートフォンってありましたっけ?私は2002年に、NTTドコモの「P504i」を使用しており、スマートフォンは存在していなかった。無知って恥を超え「痛い」なって、思います。皆さんも『キチガイの言うことって、キチガイだな』って、思いませんか?

自称・韓国籍の "Yon Slowalker" が書き込んだ福沢諭吉の思想について、私が反論しなかったことを根に持っている。だってその福沢諭吉に関する解釈、間違っているんだもの。反論できません。
慶應義塾では入学時に全新入生に「福翁自伝」が配布される。私は今でも自分の「福翁自伝」を持っている。少なくともこの程度の資料は読んでから私にコメントを寄せるべきだ。人にものを訊くなら、勉強してから来い!

私のブログを読み、イチイチ、批判を書き込む時間があるのなら、その時間で、正しい教科書を使い、正しい勉強法で、正しい指導者に添削してもらえば、悪い頭が、一つ、賢くなる。そちらの方が、よほど、有益な時間になる。私は、そのような時間の使い方をオススメいたします。

ニュージーランドの警察官の目の前で大麻草を吸い制止される "Yon Slowalker" は、ニュージーランドが好きなことを実感する。私がニュージーランドを叩くと怒り狂う。ヲタクと同じで、自分が好きなものを他人に批判されると猛烈に怒りだす。私もヲタクなので骨の髄までわかります。私はヲタクであることを批判されても、批判される理由があるのも事実なので「しゃーない」と諦めますが。

在留邦人も、本当にニュージーランドが好きなんだなと。この世に存在しない「自分だけが理想郷とするニュージーランド」が好きなのだと。ニュージーランド人の誰に聞いても『そんなニュージーランドがあるわけない』『そこがニュージーランドというのなら、そこはニュージーランドではない』と答える夢の国・ネバーランドがニュージーランドなのだと。ヲタクが自分が溺愛する物を他人に批判されると猛烈に怒りだす構図と一緒だなと。私がニュージーランドを叩くと、"Yon Slowalker" のようなキチガイが私を叩き始める。「ニュージーランド LOVE」じゃなければ、こんなこと、やりませんよ。時間の無駄だもの。時間を無駄にしても、やるだけの価値がある。それが、「ニュージーランド LOVE」という精神異常者なのだ。

ニュージーランドを出て行くニュージーランド人は人口の1%に相当する4万人。毎年、4万人がニュージーランドを捨て去る現実を見ると、ニュージーランド人はニュージーランドをよく思っていないことがよくわかるのだ。
世界各地に散らばるニュージーランド人は100万人を超えており、ニュージーランド人の4人に1人は、ニュージーランドを捨て去り、他の地で暮らしている。ニュージーランド人はニュージーランドのことをよくわかっている。何もわかっていないのは、夢の国・ネバーランドに住む在留邦人だけ。私も、夢の国・ネバーランドに住んでみたいものだ。

芸能リポーターを40年続けた前田忠明が、興味深いインタビューに応えている。
「SNSの登場により、一方的な報道に対し、本人が声を上げられるようになった利点は大きい。他方で、「本人が言ってるから真実」と疑いもなく妄信するのは危険。人間、都合の悪いことは隠す。何を言っても信じてくれるファンはありがたい存在。でも、本当にそれでいいのかなと。仮に嘘をついて乗り切れば、また嘘を繰り返す。すると、ファンも減っていく。厳しく突っ込んだり、疑問をぶつけたりする人って必要なんです。」
「ニュージーランド LOVE」の在留邦人が、妄信でないことを願うばかりだ。

この画像の場所は「リトルトゥース」はよくわかると思うが、オードリーの春日が住んでいた「むつみ荘」前である。むつみは、春日が退去してからリフォームしたので綺麗になった。「むつみ荘」の看板上にあった4つの郵便受け(春日は201号室)がなくなっているでしょ。郵便受けは2階のドアの横に移動した。「大家の鈴木さん(故人)」がアヒルを飼っていたのは、アサヒ飲料の青い自動販売機の横。野良猫も通れないくらい細い隙間で、アヒルを飼っていた。春日のいた201号室へ通じる階段を上ったことがある人はわかると思うけれど、この階段は非常に急で、上り下りが危険域に達している。私は落ちそうになり、怖かったので、一度しか上ったことがない。この階段を上り下りして郵便物を配達する郵便屋さん、宅配便を届けるゆうパックマンは、心底、可哀そうだと思います。
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