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「嘘・デタラメ・妄想」の次はボッタくり! 在留邦人が隠す汚れたニュージーランドの姿 [在留邦人批判]

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このブログを続けることに飽きていることは、10回か、20回か、30回くらい書いているが、その気持ちは変わっていない。

当初の私の目的である、イーストウインドの田中を抹殺すること、「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史と、その娘を土に埋めることは、私が手を加えるまでもなく自滅したので、もうやることがない。

そこで、イーストウインドに関するいくつかの書き込みを削除したところ、アクセス数が激減した。多くの人がこのブログに何を求めていたのか、書いている人が、一番、知りたい。

この書き込みも投稿すると、直後にアクセス数が急上昇する。『どれだけ私のファンがいるんだ』と、書いている人は心配しています。

在留邦人の書き込みを見ても、私のパクリばかりで、一つも面白くない。

「ニュージーランドは社会主義国家である」と、車の中からラジオ実況のような動画を "Youtube" に投稿していた人も、私からの批判を受け、配信を停止した。ニュージーランドのことを「社会主義国家」と定義づけするのは私と、大多数のニュージーランド人くらいで、在留邦人はニュージーランドのことを「社会主義国家」と言うことはない。そもそも在留邦人は「社会主義」の意味を理解できていない。

在留邦人は、私にお月謝を支払わないのに、私から良質な情報を搾取し、如何にも自分が見つけた「特ダネ」と言わんばかりの書き方だ。だから、私のパクリだと、瞬時にわかってしまう。

1998年10月以降、一度もニュージーランドに入国していない私の持つ情報力が最も正確で、確かで、嘘がない。この事実に、書いている人が、一番、驚いている。

継続はチカラなりとはよく言った言葉で、過去にブログを書いていた人たちもネタ切れでやめてしまい、動画投稿していた人たちもネタ切れでやめてしまい、24年間、一度も、ニュージーランドへ入国していない私が続けており、在留邦人より正確で、確かで、嘘のない情報提供をしていることに、やっぱり私はレベチだなと、深い悲しみを感じるのだ。

ここへ書くまでに、在留邦人二名の悪口を 6,000字くらい書いたのだが、安倍(元)総理が暗殺されたこともあり、私が暗殺されると悲しむ人がたくさんいるので、全てを消した。ここが、家族と不仲な人ばかり、日本を恨んでばかりの在留邦人と、私との、決定的な違いである。

ニュージーランドの報道を見ても、明るい話題は1つも見られない。

物価高騰は国民生活を直撃し、インフレ率は 7.3% と、32年ぶりの高い上昇率を記録した。
もともとニュージーランドは、生鮮食品以外の全てを輸入に頼る、ハワイとよく似た輸入社会のため物価は高く、驚きの数値ではないが、このインフレ率に給与が追いつかないことが問題になっている。

「貯蓄」という概念が存在せず、物価高騰の続くニュージーランドでは「死人が出る」と言われるほど、国民生活はひっ迫している。
ニュージーランド首相府は緊急対策として、ニュージーランドの人口の半数に相当する 210万人を対象に 3カ月分・350ドル(35,000円)の特別給付手当の支給を開始した。この 35,000円で何とか食いつなげというわけだ。この手当が、さらなる騒動を引き起こした。

休業補償金と同じく、ニュージーランド首相府は2日以内に受給資格者の銀行口座へ 1ヵ月分に当たる 116ドル(11,600円)を振り込んだのだが(振込が遅れると商店が暴動を受け商品が根こそぎ奪われる)、既に死亡している人や、受給資格のない海外在住者にも振り込んでしまった。ドジっ子のニュージーランドが、またやっちまった!
中東のドバイに22年間住んでいるニュージーランド人にも 11,600円を振り込んでしまったので、受け取った本人が『このカネはなんだ! やばいカネなのか!? 』と、驚いて連絡を入れてきたことで、ことが発覚した。
ニュージーランドの税制では、183日以上、ニュージーランドを離れる人は納税者番号である "IRD"番号を抹消しなくてはいけない。しかし、海外在住者のほとんどは、この手続きを行っていない。このことから、受給資格者が知らない間に、ニュージーランドの税務署から給付金が振り込まれていた。
給付業務を担当するデビッド・パーカー国庫庁担当大臣は、誤送金は給付対象者の 1%に当たる 20,000件以下であることから、既に振り込んでしまった海外在住者にも受給資格を認めた。パーカー大臣はニュージーランド人であることから『ニュージーランド人にカネを返せと言っても無理』なことを承知している。ニュージーランド首相府の金庫番であるロバートソン財務大臣に至っては『想定内の間違い』と、謝罪すらしていない。
山口県阿武町の誤送金で4630万円が振り込まれた詐欺事件で、在留邦人があれだけ「アナログ社会の日本」を叩いたのとは比べものにならない事態に発展している。ニュージーランドはアナログ以前の、給付対象者すら確認していない。確認していないから、何事もスーパースローに動くニュージーランドで、2日以内に給付金の送金業務が終わるのだ。
なぜ、在留邦人はこの件に触れないのか。自分も低所得で 35,000円を受け取る受給資格を得ているからだ。自分が損をしなければそれで良い。自分さえ良ければそれで良い。これが、在留邦人のホンネである。

在留邦人だけが『ニュージーランドの給与は毎年上がるので問題ない』としても、私が見るかぎり、現地の民からそのような声は、一切、聞こえてこない。
ニュージーランドで給与が毎年上がる人は、最低賃金で働く非正規の労働者だけであり、週40時間を働く人は自動的に正規労働者となってしまい、正規労働者は年俸制のため、給与は上がらない。
ニュージーランドの求人広告を見るとわかるが、給与水準は「目安」で示されるだけであり、実際の給与額は入社前の最終面接で決まる。実際に自分がいくらの給与を得られるのかは、実際に働くまでわからず、給与保障もない。ここで交渉決裂することが多く、人事を悩ませている。
ニュージーランド人の転職が多い理由も「年俸制」にあり、年俸制に満足する労働者は、ほぼ、存在しない。
年俸制の労働では給与は、ほぼ、上がらないので、転職することで、次の会社との交渉時に賃上げを要求する。労働者側は、これしかできない。
しかも「雇用」は経営側ではなく「労働組合」が握っているので、労働組合に入っているかぎり失業することはない。会社がつぶれたら、同業他社に移ればいいだけ。同業他社なので業務も同じく、新人教育の必要もない。この橋渡しをしてくれるのが「労働組合」という存在である。
そのため、同じ会社に10年を超えて在籍している人は奇特な目で見られる。『おまえ、給与アップ、いらないのか!?』って、思われちゃう。給与アップは入社時以外は、ほぼ、不可能なので、転職を繰り返さないと、給与は上がらない。そうなると人材難が発生し、ベテラン社員から新入社員への知識・技術の伝承は乏しく、経営は安定しないのだ。

ニュージーランドには、240万人分の仕事しかないので、職業選択の自由はない。オーストラリアに行けば 1,300万人分の仕事があり、イギリスに行くと 3,000万人分の仕事があり、日本に行くと 6,000万人分の仕事がある。
ニュージーランド最大手の ANZ銀行と、キーウイ銀行(旧・郵便銀行)は、2022年度単体で、20,000人のニュージーランド人が職業機会を求め、ニュージーランドを離れる試算を発表した。ニュージーランドの試算なんて天気予報と同じくハズレますから、信用しなくていいです。「ニュージーランドは地上の楽園」ですから、ニュージーランドを捨て去ることなどありえません。ニュージーランド最大手の銀行が発表した報道なんて「日刊ニュージーランドライフ」の嘘つきブログと同じく、「夢の中のニュージーランド」を描いた妄想話と断言できるのだ。

在留邦人が大好きなアーダーン首相が率いる労働党は移民流入には消極的な姿勢を保ち、選挙対策では移民流入数の削減を掲げている。コロナで移民流入数は激減したのでこの政策はあまり重要視されていないが、独立法人の「ニュージーランド生産性委員会」(NZPC)は、永住者を対象に、6年ごとの審査による永住資格の更新制導入を提言している。独立法人は政府機関から独立しているため、政権交代による政策変更に影響を受けない。日本では区市町村に設置されている「教育委員会」と同じ性格の組織である。
NZPCは、永住資格を得ても「使えない外人」が多数存在することから、6年ごとに学歴(学位)や有資格を基準に、人材不足業種への配置転換を求める提言をしている。この提言で、最も影響を受けるのが在留邦人である。在留邦人は、日本人向けの仕事しかできないので、NZPCから『おまえ、いらない!』と、永住権がはく奪される可能性が高い。NZPCは『使えない外人」から「使える外人労働者」への政策変更を提言しており、これは安楽死法案と同じく、議会で法制化される見通しである。実際に、永住資格を得て社会保障を受けながら、生活保護を受けながら何をやっているのかわらない、永住資格を持っていても永住していない、納税もしなければ、消費も行わない外国人永住者は多数存在し、それを「永住者」と呼べるのかと、NZPCは「使えない外人」に厳しい姿勢をとっている。そして「外人永住者はいらない」「必要性ある人材は有期採用の外人労働者だけ」と、政策提言をしている。有期採用の外人労働者であれば、滞在許可が切れたら社会保障費の負担がなくなる。『外人永住者はいらんべ?』『外人労働者だけでいけるべ?』と、NZPCは在留邦人が大好きなアーダーン首相に提言している。労働党は外国人移民の流入に反対の立場をとることから話も早い。労働党は移民の削減に積極的であることを踏まえると、次の移民政策の中身が見えてくる。アーダーン首相は、外人に優しくないことを、決して忘れてはいけない。

SNS調査会社の "InterNations" は、外国人が移住しやすい52ヵ国の国別ランキングを発表。最上位はメキシコ、次にインドネシアと台湾が続くのだが、ニュージーランドは下から2番目の51位。最下位はクウェート。
これは調査会社の意向に偏りが激しく重視すべき指数ではないが、気になる人は気にしてください。私は気にします。
ニュージーランドが52ヵ国中の51位になった理由は、物価高騰、ガソリン価格の高騰、住宅価格の高騰と、ニュージーランド国内でも厳しい批判に晒される内容が占めている。
また、貧富の差が拡大し「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」と、私がここに書き綴ることがそのまま反映される結果となった。
この調査結果を、イギリスの左派系新聞社 "The Guardian" が『100% 純粋はデタラメか?』と報じたため、ニュージーランドにも伝わることになった。「100% 純粋」(100% Pure) とは、ニュージーランド観光局が外国人観光客・外国人留学生の誘致に用いるスローガンであり『純粋とは偽りか?』と、"The Guardian" は揶揄しているのだ。
イギリスには、48,000人のニュージーランド人が居住しているので、この手の報道は現地で大々的に報じられ、ニュージーランドに伝わる。イギリスのメディアは、公共放送の "BBC" でも王室批判をガンガンやるように、同胞に対しても容赦ない。「同級生なのに性格が悪い野郎」って、どこの学校にもいる。私の学校にもいたし、私も嫌がらせを受けたし、他の人からすると『おまえが一番性格が悪い』と、私が言われると思いますけれどね。

イギリスはニュージーランドを格下に見ているので容赦ないが、ニュージーランドはイギリスの顔色をもの凄く意識する社会である。

2018年12月、イギリス人女性の "Grace Millane"(当時22歳) が、オークランドで強姦され殺害された。観光シーズンであることから、アーダーン首相は遺族に弔意を表明した。過去に何度も外国人旅行者を狙った強姦殺人事件は起きているが、特定の遺族に首相が弔意を表明することはなかった。私は、ひっくり返りそうになった。ここまでイギリス政府に忖度するのかと驚いたのだ。実際にここまでやらないと、イギリスのニュージーランド叩きは凄まじいものがある。それはたぶん、イギリス人はニュージーランドの「デタラメ」と、大げさな表現による「ボッタクリ」を、認識しているからだと思います。

「コロナの優等生」だった(←過去形)ニュージーランドも、死亡率では世界最高水準に達し、オーストラリアのメディアが叩きに叩きまくっている。
政治決断で都市封鎖を断行した国は、コロナ感染者数と死亡者数が急拡大しており、打つ手がなく、野放し状態になっている。
コロナ感染者の急増に病院はひっ迫しており、医療従事者の感染も報告され、スタッフの減少に伴い、看護師資格を持たない看護学生が患者対応に当たっている。まさに「学徒動員」。「コロナの優等生」は、どこへ行ってしまったのか。
この「学徒動員」に対し、看護師の労働組合である「ニュージーランド看護師協会」(NZCN)は、猛反発を表明。「正規の看護師資格を持たない看護学生を病院に配属するな」と、表向きの反発を強めているが、そこはニュージーランド、こんな表明は表向きの発言であることはニュージーランドの民なら誰もが理解している。理解していないのは、在留邦人だけ。
労働組合は圧力団体なので、政治に圧力を掛けることは当然のことである。看護師組合の目的は、看護学生を保護することではなく、この圧力による政権交代の実現にある。自分たちの都合の良いように政治を動かす。これが、ニュージーランドで労働組合が生き残れる、唯一の理由である。
ニュージーランドの労働組合組織率は日本と同等にあるが、労働組合が持つ「労働規約」が凄まじい厳しさで「組合員の雇用は何があっても守る」と、意思表明が凄まじい。公選で選ばれる政治家は、労働組合の意見を無視すれば選挙で落ちてしまう。統一教会に支援されないと選挙で落ちてしまうどこかの国の政治家と同じ構図なのだ。その労働組合の支持を得ているのが、在留邦人が大好きなアーダーン首相の労働党である。

当初の私はこれより先、コロナ対策の野放し状態を謳歌する在留邦人が日本へ帰国後に感じた「日本の違和感と在留邦人に厳しい日本人」について、批判的投稿を 6,000字まで書いたのだが、飽きたので全てを消した。日本語の通じない在留邦人に対する批判的内容は、童貞喪失に失敗した男子学生のようで、虚しいと思ったのだ。

ニュージーランドで18歳から21歳くらいの男子を持つ母親は『うちの息子は童貞を捨てたのか』と、とても心配する。生殖能力がないと「男」として認められないニュージーランドでは、男子の性体験を非常に重視するのだ。

息子に彼女ができると、親は飛び上がって喜ぶ。『すぐに連れて来い!』『どんな女の子なのか審査する』と、息子よりも親の方が喜ぶ。親が喜ぶ理由は『これで息子も童貞を捨てられる』と、思うからだ。
これは、初めての彼女に対し行われる「慣例儀式」ではない。異性であれば、どの交際相手にも行われる慣例儀式である。
息子が適切な性経験を積み、子を儲ける。これが、ニュージーランドの親にとっては最重視する課題であり、息子にとっては最大級の「親孝行」である。
そのため、結婚(法律婚)はしたが子が授からない、子が授からないので養子を迎えることは、ニュージーランドでは3階級くらいの「降格」を意味する。
日本ほど、養子を迎えることに偏見を受けないニュージーランドでも「実子がいない中での養子縁組」には、厳しい批判が根強く存在する。実子がいる中で、2番目の子が養子は大丈夫。しかし、実子がいない中での養子縁組には根強い偏見がある。誰も、そのことは言わない。決して言わない。でも、皆、そう、思っている。『それって違うよな』ってね。

生殖能力を持たない同姓婚など論外。同姓婚が法律婚に昇格したことで、同姓カップルが次に求めることは、養子を迎えることである。無神論者は、それでいいじゃないか、何が問題なんだ、と言うが、キリスト教右派が社会を牛耳るニュージーランドでは「考えられない」「馬鹿げた行為」と、凄まじい批判の嵐である。教会が、どのような理由があっても、同姓カップルの結婚式を認めない背景には、宗教と生殖能力を巡る複雑な社会構造がある。それだけ、ニュージーランドでは「生殖能力」が重要な位置を占めるので、不妊治療や、内縁・同棲関係が、社会制度的にも法律的にも整備が進み、国民の代表者である国会議員にも多くの教養が求められる。言い方を変えると、ニュージーランドは、それだけ複雑な社会構造を持つ国であり、マイノリティーには、生きにくい国である。

ニュージーランドで現地男性と交際したことがある人はわかると思うけれど、男女関係になると、相手の両親に食事に招かれる。あれは、単にお食事をすることが目的ではなく、食事中に、相手の女を厳しく審査しているのだ。挨拶に始まり、食前のおしゃべり(の内容)、食事中のマナー、食後のおしゃべり(の内容)、帰宅時の挨拶まで、厳しく審査される。女が帰ったあとで、あの子は、どーだ、こーだという家族会議が行われる。ニュージーランドの子だと早い子は中学生から、これらの審査が始まるので、中高生の彼女でも、例外なく自宅に招かれるのだ。
その後も、自宅に招かれ家人と同等の扱いを受ける人は、概ね「合格」の女である。その後のコンタクトがない女は、残念ながら「不合格」。相手の両親と食事をしたことがない交際関係など論外である。

ニュージーランドは田舎社会だから、日本人が思うよりも、人間関係が複雑である。人と人との距離が遠く、人と人との壁が厚い。これを突破できるか否かが焦点であり、これを突破できない人は、ニュージーランド人の中にも数多く存在する。そのような人たちが、日本人を含む外国人を交際相手・配偶者に選んでいる。

結婚したカップルに子供が授からないと、その人たちはとても悲惨な扱いを受けるニュージーランドでは、性体験を非常に重視する。性体験の失敗により、その後の性生活に支障をきたす人たちは、統計上に現れる実数より多く存在する。とりわけ男性はプライドが高く、性行為に失敗すると、その後の性生活に支障を来す。特に母親たちは、それを肌感覚で熟知しているので、息子の性体験を非常に重視する。日本の若い女子からすると「マザコン」と言われのだろうが、ニュージーランドの男子で「非マザコン」は、存在しない。特に母親の息子に対する愛情は凄まじいものがある。誘拐の多いニュージーランドでは、14歳の誕生日を過ぎるまで、子は親の監督下での行動に制限され、17-18歳まで、親は子の付き添いをする。大学生になっても息子の送迎を行う母親はザラであり、息子のデートに付き添う母親もいる。ニュージーランドの親子関係を知る人なら「マザコン社会」を一瞬で理解できるだろう。過保護・過干渉な母親が多く「ヘリコプターママ」の存在は、ニュージーランドの社会問題である。母親と嫁が対立し、結果的に離婚する家庭は、実数に現れるより多く存在する。このあたりのデリケートな指数は、決して、統計上に現れないから、在留邦人は知らないだけ。

20歳前後の息子を持つ母親たちが集まると『うちの息子は童貞を捨てたのか』が話題の中心になる。日本では、この手の話題はご法度なので、できません。日本でも、多くの母親たちは同じことを考えていると思われるが、やっぱりこの話題はご法度、禁句扱いなのだ。ニュージーランドでも公の場ではされないが「息子の童貞問題」は、母親たちの重大な悩みである。

日本から来た女子学生で、現地の白人男性にメロメロになり、白人の彼氏ができたと自慢してくる人たちをたくさん見てきたが、現地の性事情に精通する私にしてみれば『性の対象にされて嬉しいのか』『やり逃げされる女が喜んでいる』『おカネをもらえない "prostitute"(←意味は自分で調べろ)』と、日本の女子学生を見ては腹を抱え笑っていたので、やっぱり、私の性格の悪さって当時から筋金入りだったと、いまさらながら自分の性格の悪さに呆れています。皆さんも、私のような性格の悪い人間にならないでください。在留邦人は、私以上に性格の悪い人しかいないんですけれどね。

オタゴ大学の名門学生寮で長年に渡り強姦事件が放置された理由。性被害に会う女子学生が存在する理由。オタゴ大学が強姦事件の事実を認めない理由。ニュージーランドの性事情が理解できると『まー、そーだろーねー』としか言えない私がいる。ニュージーランドでは、童貞を捨てることが「男」への登竜門なので、隠された性文化を肌感覚で理解できる人には、『はいはいはい、そんなもん、皆、知ってますよ』と、なってしまう。「童貞を捨てるためであれば強姦する」。田舎社会なので、皆、同じ生活なので、イチイチ、何かを言う必要もない。ニュージーランド人は、他人のことを、イチイチ言わないは、事実である。

在留邦人はニュージーランドのことを何も知らない「夢の国・ニュージーランド」の村民だから、嘘・デタラメ・妄想でお話を作っているだけ。在留邦人って本当にオメデタイ人たちだなって、性格の悪い私は思います。

在留邦人が日本で失敗した最大の理由 [在留邦人批判]

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クライストチャーチの出身校が同窓生向けに学校情報の提供を始めた。メールアドレスを登録すると、広報誌(Newsletter)の最新版を配信するというので登録をしてみた。
これまでも広報誌はオンライン上で読むことはできたが、いつ更新されるのか不明で、不定期に確認する煩わしい作業が省けると思ったのだ。
メールアドレスを登録してみたが、そこはニュージーランド、オンライン上の広報誌は最新版に更新されているが、更新情報は届かない。『この緩さがニュージーランド!』と、在留邦人は絶賛するのだろうが、私は絶賛できない。広報誌が最新版に更新されていても、更新情報は届かない。これは「緩い」ではなく「無能」である。
言葉には、それぞれ意味がある。似たような言葉でも、同じ意味にはならない。「緩い」と「無能」は、異なる言葉であり、異なる意味を持つ。

約30年前、私はクライストチャーチのキリスト教学校で惨めな高校生をやっていたわけですが、そのころから在留邦人・日本人留学生とは、日本語が通じなかった。日本語を学ぶ現地生と日本語は通じたが、在留邦人・日本人留学生の話す日本語は通じなかった。この感覚は、2022年になっても変わっていない。

ひさしぶりでもないが、出身校のホームページを見てみた。教員名簿を見ると、私の1学年下の後輩1名と、2学年下の1名が、現職の正教員になっている。1人は数学科の教員、もう1人は理科の教員。どちらも成績優秀な(元)生徒で、いつも表彰を受けていたのでよく覚えている。
数学科の教員になった子は、確か、数学オリンピックのニュージーランド代表だか、代表候補になった(元)生徒だと思う。数学能力って、十代が最大で、二十代に入り数理学的な能力を伸ばせる人は、ほぼ、いない。高校時代の手柄を勲章に母校の数学科教員になったことは正しい選択だと思う。
理科教員の後輩の子は、私の同級生と結婚している。ニュージーランドらしい狭い範囲の狭い人間関係である。地元の高校を卒業し、地元の大学に進学し(クライストチャーチには大学が2つある)、出身校に勤務し、出身校の人と結婚し、出身校の近くに住み、学校の人と同じ教会に通うので親同士も知り合いだから『あの子の親は真面目な人だから、あの子となら付き合ってもいい』と、早くから親公認の交際に発展する典型的なニュージーランドの男女関係である。ニュージーランドは社会も狭いが、人間関係は、より狭く、同じ学校に通う人との結婚が、ものすごく多い(同時に離婚も多い)。そのくらいしか男女の出会いがない。そこから漏れた人が、日本人を含む外国人と結婚している。だから、真面目な現地の人は、外国人と結婚しない。日本人を含む外国人と結婚する人が不真面目とは言えないが、少なくとも「真面目な人」ではない。その人は「良い人」かもしれないが「真面目な人」ではない。「悪い人」ではないかもしれないが「真面目な人」ではない。それゆえに、配偶者や交際相手が誰なのか、相手の存在がわかってしまうと、その人の隠された内面がわかってしまう。どこでも田舎って、そんなもんだと思いますけどね。

出身校の学費を見ると、現地生の学費は 25,000ドル(250万円)、外国人生徒の学費は 40,000ドル(400万円)と記載されている。約30年前、私がこの学校に通っていた当時の学費は 13,000ドル(130万円)だったので、私立の名門校としては安い学費を維持している。

ニュージーランド人の1人あたりの平均所得は 55,000ドル(550万円)、1世帯あたりの平均家計所得は 100,000ドル(1000万円)なので、所得の「平均」に位置する家庭では、この学校に子女を通わせることはできない。
ニュージーランドでは、70,000ドル(700万円)を超えると高額所得者に位置づけられ、所得税率がグッと上がるのだが、私がいた約30年前は、年間所得が 54,000ドル(540万円)を超えると高額所得者と規定されていた。約30年前の高額所得者が、現在は平均所得者へ格下げされているので、それを考えると、私の出身校の学費は「安い」と判断できるのだ。

私はこの学校に在学時、親から2年分の学費を預かり、資産運用をして、3年分の学費に増やした。午前8時から午後3時30分まで授業があり、午後4時に家に着き、銀行は午後4時30分まで営業しているが、そこはニュージーランド、午後4時を過ぎると銀行員は帰り支度を始めるので、業務を受け付けてくれない。『もう帰るから、明日来い』と、普通に言われる。まだ営業時間終了まで30分もあるのに。社会全体が午後5時で機能停止する「9時・5時(17時)社会」なので、取引に使える時間は、実質、30分くらいしかなかったが、高い利回りを出し、2年分の学費を3年分に増やすことに成功した。学費負担が軽くなったことを親に報告をすると、うちの親はとても驚いていたが、驚く親の顔を見て、私が驚いた。

会計学担当教員は「元銀行員」という不思議な経歴を持つ人物であったが、私の資産運用に対し『もっと上手く利回りを出せ』と、ずいぶん、手厳しい指導を受けた。日本の学校で教員と生徒が金儲けの話をしていれば、他の教員から白い目で見られることは当然のことであるが、これは、ニュージーランドの学校でもまったく同じである。
「元銀行員」という不思議な経歴を持つ教員だったので、銀行内でどれだけの不正が日常的に起きているのか、実例を用いて説明してくれたことはよく覚えている。一度、授業中に、元勤務先の銀行に連れて行ってもらい、元同僚を講師に、話を聞かせてもらったことがある。ニュージーランドの学校でよくある「いきなり社会科見学」。先生が自分の車(または学校の車)を運転し、車で通学している他の生徒の車に分乗しお出掛けする「いきなり社会科見学」は、どの学校でも見られる日常的な授業風景である。日本の学校では、高校生が車を運転し通学していないので、できません。
元同僚の銀行講師から何の話を聞いたのかまったく覚えていないが、スクエアにある銀行本部の上層階にある会議室に通され、エアコンが効いていたので『ニュージーランドにもエアコンってあるのか』と、驚いたことだけは覚えている。また、元同僚という銀行員が背広を着ていたので『ニュージーランドの人で背広を着る人がいるのか』と、驚いた(注:一般的なニュージーランドのビジネスマンは背広を着ない)。

私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたが、これは私の歴史なので、他者の干渉は受けない。私の歴史は、あなたの歴史ではない。あなたの歴史は、私の歴史ではない。私がどれだけ、あなたが大好きなニュージーランドを批判しても、それが私の歴史なのだ。

オーストラリアに住む在留邦人が "twitter" に「ニュージーランド在住の日本人で「ニュージーランド大嫌いブログ」を知らない人はいない」と、酷評していた。名誉で迷惑な書き込みだ。とにかく私を「キチガイ」と言いたいらしい。その書き込みの中で、パースの教会に出入りしていた日本人もキチガイだった、海外在住の日本人はキチガイばかりと、私を批判しているのか肯定しているのかわからない書き込みをしていた。自分の書き込みに絶対の自信があるのなら、"twitter" の投稿を非公開にせず、堂々と、私のように公開すればいいのにね。私を批判しながら、自分の書き込みは公開しない。公開できない理由があるのか、おまえが一番キチガイだと、性格の悪い私は疑ってしまうのだ。

以前もこのブログに書いたニュージーランドで不動産投資をしているおじさんが『学校では不労所得(の方法)を教えてくれない』と投稿している。当たり前のことだ。学校はお勉強をする場である。働かずしてカネを稼ぐ方法を教えるわけない。在留邦人が絶賛するニュージーランドの学校でも「不労所得」のやり方など教えるわけない。バカじゃないのかと思った。そんな常識的なことも理解できないのかと悲しくなる。本当にバカなんだなって。在留邦人はバカで、常識のカケラすらないんですけどね。
私が惨めな高校生を終えて約30年が経っても、やっぱり在留邦人って「人間のクズ」「核廃棄物以下の存在」「最下層の最下層」だと思います。皆さんも、そう、思いませんか?

ニュージーランド不動産おじさんも『人の意見は聞かない』と、意固地になっている。
ニュージーランド不動産おじさんは日本語で書き込みをしているので、見ている人が「日本人」であることを認識した上での投稿である。
その一方で、パケハの言うこと、それに、大好きな中国人妻の言うことは素直に聞き入れる。それで、大やけどはしていないだけである。
在留邦人は、日本人向けの意見と、外国人向けの意見が、まったく異なる。このことに、在留邦人は気がついていない。「裏アカウント」を持ち、海外生活の「毒」を裏アカに吐き続けるのは、それが理由である。キラキラした海外生活を発信し続けないと、自分が食っていけない。『やっぱり何でも日本の方が良い』となってしまうと、日本人相手の商売が成り立たず、お金が入ってこない。現に、日本人相手の商売が成り立たない在留邦人は帰国ラッシュを迎えている。「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史もその1人である。帰国決定後からのニュージーランド批判が凄まじい。『あれあれあれ? あのキラキラしたニュージーランドライフは、どこへいったの?』と、恐怖を感じるほど、ニュージーランド批判しか見られない。これが、在留邦人の本当の姿である。

約30年前、私の周りには現地生活に困っている日本人や日本人留学生がたくさんいた。現地の民は『頭のおかしな日本人が困っている。おまえが助けてやれ』と、私に言いにくる。私は『日本人とは日本語が通じないから助けたくない』『助けてあげてもお礼も言わない見知らぬ人を助けられない』と言っても、現地の民は納得しない。『おまえがやれ』の一点張り。しぶしぶ、助けてあげると問題は解決するが、日本人はお礼も言わず、どこかへ消えてしまう。それを見た現地の民は『ほら、上手くいったじゃないか』と言うが、それは私がやったから上手くいっただけで、問題を抱えた日本人は何もやっていない。

その一方で、現地のパケハ(白人)が手助けしてくれると、飛び上がって喜ぶ。『日本人でこんな親切な人はいない!』と、飛び跳ねて喜ぶ。そして「ニュージーランド LOVE!」「パケハ LOVE!」になる。現地の女性には見向きもされない最下層に位置するパケハ(男性)からすれば、こんなに嬉しいことはない。然したる努力もしていないのに、簡単な手助けをすると日本人女性は大喜びし、飛びついてくる。すぐに男女の関係、性的関係になるので、パケハ(男性)と日本人女性のカップルは非常に多い。同時に、破局する確率も非常に高い。

私がニュージーランド不動産おじさんに『おじさん、そこにある箱は宝箱だよ。開けたら財宝が入っている』とおしえても、日本人である私からの助言を受けた意固地のニュージーランド不動産おじさんは『それはゴミ箱だ!』『 ゴミしか入っていない! おまえは嘘つきのキチガイだ!』と、私を総批判して、敵対視して、総攻撃を仕掛けてくる。これが実際に、私が約30年前に在留邦人と日本人留学生にされた仕打ちなのだ。このカルチャーは現在に至るまで現地に残っている。
同じことをパケハが言えば『日本人でこんな親切な人はいない!』と、飛び跳ねて喜ぶ。「LOVE LOVE ニュージーランド LOVE」になっちゃう。これが、私が約30年前にニュージーランドという世界の僻地で惨めな高校生をやっていた頃の日常である。

海外生活を体験する在留邦人は、謙虚さを取り戻す。日本では意固地で人の話は聞かない、動かない、何でも反対する日本共産党の支持者のような人たちが、海外生活を経験することで素直になり、人の意見を聞き入れ、実行に移し、協調性を持ち行動するようになる。これって、典型的な日本の学校で学ぶ「義務教育」なんですけれどね。

学校の先生も、実家の母親も、生徒や子供が社会に出て苦労しないよう、幼少期から青年期に掛けて厳しく指導する。これは、在留邦人が大好きなニュージーランドでもまったく同じである。おカネの使い方から時間の使い方、言葉遣いに身だしなみ、学校生活から私生活まで、厳しく指導する。生徒や子供が社会に出て苦労しないよう、自分が悪役になっても構わないので厳しく指導する。それが教員としての、母親としての、務めである。

大人は大人に厳しい目で見る。一般常識はあるのか、基礎教養はあるのか、正しい言葉遣い・振る舞いはできるのか、人に対する礼儀はあるのか。一挙手一投足を厳しく確認する。なぜか。それが、大人の世界だからだ。これらができていなければ批判されるのは本人ではなく、その指導者であり、親である。それゆえに、学校の先生も、実家の母親も、厳しく指導するのだ。それらを全て批判し、否定し、聞く耳を持たなかった人たちが、在留邦人である。

在留邦人が日本で上手くやれるわけない。一般常識はなく、基礎教養もない。挨拶もできず、人に対する礼儀もない。『おまえは学校で、家庭で、何を学んできたのか』と、怒られる。そりゃーそーだ。在留邦人は逃げるだけの人生で、学校でも家庭でも逃げ続け、何も学んでいない。常識もなければ、教養もない。そんな人間が厳しい日本社会で上手くやれるわけない。結果、在留邦人が流れ流され辿り着いたのが、世界の僻地にあるほとんど人が住んでいない孤島である。

二十代半ばで社会に出るまでは学校という閉ざされた空間で、準備期間を過ごす。すべては、社会に出るまでの準備期間である。在留邦人は、この準備期間を批判し、否定し、反発してきた人たちである。
社会に出ても、10年間は見習い期間である。在留邦人は、この期間も批判し、否定し、反発してきた人たちである。自分では正しいことをしているつもりで、大失敗を犯している。激しい思い込みに基づく大失敗は、取返しがつかない。適切な年齢で修学も、就労も経験していない、一般常識も基礎教養もない在留邦人が、日本社会で上手くやっていけるわけない。それ以上に、ニュージーランドでは上手くやれないので、ニュージーランドにいても、日本人相手の仕事以外は何もできない。実際に在留邦人を見てよ。日本人相手の仕事か、単純労働以外は何もできない。大口は叩くが、実際には何もできていない。
パケハの言うことだけはよく聞く在留邦人に対し、パケハは良い印象を持つ。ラジコンカーのように、右に行けと指示すれば右に行き、左に行けと指示すれば左に行く。こんな操作が楽な人間は、世界の僻地にあるド田舎のニュージーランドにいねーわ、となる。まったく同じことを私が言っても、在留邦人も日本人留学生も意固地なので何も聞かない、何もやらない。代わりに私がやることで、自分がやった気になるので、礼もなく、どこかへ消えてしまう。私が全て代わりにやっているので、良い結果だけは付いて来るので、私とパケハも、在留邦人・日本人留学生をめぐり意見が一致しない。この感覚は、2022年になっても変わっていない。

日本人でも外国人でもない。それが、在留邦人という存在である。「在留邦人」とは誰なのか。「在留邦人」は「在留邦人」である。「在留邦人」は、日本人ではない。しかし、外国人でもない。「在留邦人」は「在留邦人」としか答えられないのだ。外国人と「在留邦人」について話すことは不可能である。外国人の中に「在留邦人」という存在がないからだ。

「学費」という概念が存在しないニュージーランドの教育界で、年間250万円も掛かる私立校に通わせる家庭があるのは、学校という閉ざされた空間で、厳しい指導を受けさせることにある。保護者から年間250万円の学費負担をいただき、大切な子女を預かる私立校には「教養」という概念が存在する。幼少期から青年期に掛けて、厳しい指導を受けないと、大人になっても、大人になれない。在留邦人を見てよ。顔も体も大人でも、中身がクズ、人間のクズ、最下層のクズしかいないじゃない。

『ニュージーランド人は、他人について、とやかく言わない』と公言する在留邦人の発言は事実である。

ニュージーランドで「学費」という概念が存在しない公立校で、生徒1人・1人に、厳しい指導なんかやらない。「ペイしない(給与に見合った見返りが期待できない)」からね。私が公立校の教員なら、指導する生徒には何も言わない。厳しく指導をしても何も変わらず、生徒は文句ばかり言い出す。自分の給与が増えるわけでもない。その生徒が社会に出て成功しても失敗しても、それは私の責任ではないので、指導にも身が入らない。やってもやらなくても同じなら、負担の少ない方を選ぶことは当然のことである。それなら、何もしないが「善」と判断する。これが、ニュージーランドの公立校の指導方針である。

他方、私立校はどうだろう。シャツの第一ボタンが外れていたらボタンを掛けなおすまで厳しく注意される。髪の毛が長ければ切るように(女子の場合は結ぶように)厳しく指導される。靴下が下がったままであれば、靴下を上げるまでその場を離れることはできない。白いシャツの下に赤いインナーシャツを着ていればその場で脱がされる。教員を呼ぶ際に "Excuse me(us)" が抜けていれば、教員は返事をしてくれない。来校者に対し、一礼し、敬意を払わなければ、あとで呼び出しをくらう。これら全て、社会の一般常識として、ニュージーランド社会で最重視される、最低限のマナーである。それゆえに、私がクライストチャーチの出身校の名前を出せば "Good School" と称賛される所以だ。学校名がわかる人は、その学校に子女を通わせる親の教養レベルまでわかってしまうので、見たことも会ったこともない、うちの親も褒められ『Youの親は真面目で正しい人だね』と言われる。
「学費」という概念が存在しないニュージーランドで、年間250万円の学費負担が生じる私立校へ通わせる家庭があるのには、明確な理由が存在するのだ。

ニュージーランドの人は『何も言わないが良いことではない』ことを理解している。理解していないのは、日本で失敗した在留邦人・日本人留学生だけだ。

いつも思うことは、在留邦人・日本人留学生は、なぜ、ニュージーランドで出来ることを、日本では出来なかったのか。私には理解不能なのだが、わかる人がいれば私にではなく、在留邦人・日本人留学生におしえてあげてください。たぶん、あなたの助言を素直に聞き入れる在留邦人は、この世に1人もいないと思いますけれど。

ニュージーランド首相が証明した悲惨な未来 [ニュージーランド本当の姿]

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ニュージーランド首相府は、2022年4月12日より帰国者に対し義務づけていた強制隔離措置を撤廃し、事実上の海外渡航を容認。これに伴い、海外旅行者の入国も決定した。在留邦人の多くも日本へ帰国しており、『日本には、二度と、帰らない』と、公言していたクライストチャーチ在住の在留邦人も『日本は別世界!』と、帰国を楽しんでいる。この在留邦人、『日本には、二度と、帰らない』と言いながら、毎年、帰国し、前回の帰国時には隔離期間中に銀座で観光をしていた。そして都合が悪くなると『私、アスペ(ルガー症候群)だから、何を言われても理解できない』と、逃げてしまう。さらに、『私もアスペ(ルガー症候群)だから、双子の娘もアスペ』と、娘たちの人権なんて、当然、考えてもいない。そのうち、『息子もアスペ(ルガー症候群)』『夫もアスペ(ルガー症候群)』『親戚、全員がアスペ(ルガー症候群)だから、何を言われても理解できない』と言い出しそうで、怖い。性格の悪い私は『約30年前に私がニュージーランドで出会った、典型的な在留邦人』と、この人(たち)を、「軽蔑の眼差し」で見てしまうのだ。アスペの人って、ニュージーランドでは「精神異常者」扱いされるので、永住資格の審査で 100% 落ちるはずなんですけれどね。永住資格を不正取得したことを公言するのと同じなのだ。

日本が嫌いで飛び出した人ほど、日本を売りにしないと食っていけない貧しい現実がある。日本の信用がないと、ニュージーランドで生きていけないのだ。同じことをフィリピン人が、ブラジル人が行うと、どうなるか。イミグレーション(入国管理局)の対応は門前払い。信用のない国から来た人間に信用はない。滞在許可も認めなければ、滞在の延長も認めない。永住資格の申請は国籍欄を見ただけで廃棄されてしまう。在留邦人は日本が作ってくれた信用で滞在許可を取得し、ニュージーランドに滞在し、日本を悪口を言い続け、反日思想の塊となる。私にしてみれば「世界一の幸せ者」としか表現できない。

新型コロナウイルスを「季節性インフルエンザと同等」へ格下げしたニュージーランドでは、防疫どころか、検疫も機能していない。

日本入国時は、非常に厳しい検疫基準に合格しないと入国できない。夕方の時間帯に到着するニュージーランド航空機は、帰国便のピーク時刻に到着するため、検疫に8時間くらいかかる。本来、PCR検査は、24時間程度の検査時間を必要とすることを考えると、異常に早い処理速度である。

ニュージーランドでは「迅速抗原検査キット(RAT検査)」を、ポーンと放り投げられ、『あとは自分でやっとけ』と、検査はセルフ式。結果報告も義務づけなしと、検疫が機能していない国の検疫らしく、これが在留邦人の基準となることから、手間と費用の掛かる日本の検疫には『ニュージーランドではありえない!』と、ご不満のようだ。

日本が採用する鼻咽頭検査(PCR検査)は、1回20,000円~35,000円の費用が掛かるが、帰国者には公費負担で無償化される。ニュージーランドが採用する「迅速抗原検査(RAT検査)」の検査キットは、1つ 6.4ドル(640円)。しかし、検査キットのメーカーごとに判定基準が異なり、同じ被験者でも、朝・昼・夜の検査で結果にバラつきが見られる。さすがのニュージーランドメディアも『こんな信用できない検査方式で大丈夫なのか?』と、疑問を呈している。

「迅速抗原検査(RAT検査)」は、厚生労働省が認可しているが、日本では検査精度の低さから、使用する医師はいない。医師が問診で『この患者は100%コロナウイルスに感染している』と判断した人のみに検査する程度の使用率で、ここまで検査精度が低いと、検査をする意味もない。このことから、ニュージーランド国内でのコロナ陽性率は高止まりし、重傷者と死亡者は減少するが、感染者数は減少しないことが予測できる。今後も数年間は、この状態が続くことになる。

頼りない女性首相に代わり、新型コロナ対策を全面的に指揮したニュージーランド保健省のアッシュリー・ブルームフィールド事務総長も任期を1年前倒し、2022年7月での退任を発表した。表向きは『家族との時間を過ごすため』と、いつものニュージーランド流の模範的答弁をしているが、こんなセリフを信じているのは在留邦人くらいで、ニュージーランドの民は『はいはい、いつものお決まりのセリフですね』と、ホンネでないことは熟知している。ニュージーランドでは、経歴に傷がつかないように辞めることは常識であり、有利な再就職へつなげるため、自らが適切なタイミングで辞職を申し出る。このタイミングを逃すと「クビ」となり、自らの経歴に傷がついてしまう。この辺りの肌感覚を在留邦人は理解できていない。ニュージーランド首相より高額な年俸4,700万円を受け取る保健省事務方トップなので、空気の読み方はさすがだなと。強か(したたか)に、ずる賢く生きられない人間は、ニュージーランドでは生きていけない。
ブルームフィールド事務総長が、日本の検疫体制を視察すれば "Superb"(素晴らしい) と発言することは間違いない。同じことをニュージーランドでやろうとしても、リソース面からも、ファイナンス面からもできないことを熟知する現役の医師で役人なので、日本の検疫体制を「理想的で模範的」と、間違いなく絶賛する。

時を同じく、在留邦人が大好きなアーダーン首相が来日した。ニュージーランドのトップ企業の社長10名を含む総勢50名の訪問団を率いて来日した。

来日前にシンガポールを訪問したが、ここでニュージーランドから連れて来たトップ企業の社長3名がコロナウイルスの検査に引っかかり、そのまま帰国となった。この社長3名は、何のためにやって来たのでしょう。13人のうち3人がコロナ陽性とは異常な数値である。ニュージーランドの検疫が機能していないことを特徴づける醜態であり、世界に恥をさらした。在留邦人だけは『ドジなニュージーランドが大好き!』と、腹を抱え笑うが、さすがのニュージーランド首相もこの醜態には閉口し、コロナ陽性と判定された社長3名の氏名は公表しなかった。「公表しなかった」というより「公表できなかった」というのがホンネだろう。

在留邦人が大好きなアーダーン首相は、東京に4日間滞在したが(初日は夜の来日のため、実質3日間の滞在)、ニュージーランド首相の来日について、日本のメディアは、ほとんど取り上げなかった。ネットニュースが申し訳ない程度に報じたのみ。ドイツのショルツ首相の来日は、来日と帰国日を含め、わずか2日間の滞在であったが、NHKを始め、各社トップニュースで報じたのとはエラい違いです。
アーダーン首相が東京滞在中の4月21日、私は「霞が関」にいたが、国会議事堂周辺の街路灯には、日本国国旗とニュージーランド国旗が掲げられ、ニュージーランド首相の来日を歓迎していた。同じことが、日本国首相がニュージーランドを訪問した時、ウェリントンでは歓迎されるのか考えてしまった。

2019年9月「ラグビーワールドカップ日本大会」の視察を兼ね来日した際、アーダーン首相は『中国に来ることができて嬉しい』と、日本のメディアを前に語り、失笑をくらった。今回の来日では、事前にお勉強をして来たのか『中国に来ることができて嬉しい』と、日本のメディアを前に発言しなかった。在留邦人だけは、ちょっぴり賢くなった女性首相を誇らしく思うことでしょう。
前首相のジョン・キーが来日した際には、安倍首相(当時)との首脳会談前に、胸の前で両手を合わせ合掌する「ワイ」のポーズで出迎え『サワッディー (タイ式の挨拶)』と、やってしまった。在留邦人が大嫌いな安倍元総理も、さすがに引いていた。駐日ニュージーランド大使館には、あれだけたくさんの日本人職員(ほぼ全員が女性)がいるのに、どうして、誰も、事前レクチャーをしないのだろう。状況によっては外交問題に発展する醜態である。ニュージーランドが好きな人って、クズしかいないと思った。核廃棄物以下のクズだ。

今回の訪問団には、食肉大手の "ANZCO"(アンズコ)、乳製品大手の "Fonterra"(フォンテラ)、キーウイフルーツ最大手の "Zespri"(ゼスプリ)の社長たちを連れてきたことで、とにかくお金が欲しいニュージーランド側のひっ迫した状況がわかる。他に、オークランド空港の社長、クライストチャーチ空港の社長を連れて来て観光客の誘致活動を行った。また、「GNSサイエンス」という、日本で言えば「理化学研究所」のような研究機関の理事長まで連れてきたので、この人の来日目的がわからなかったが、日本と同じ火山大国のニュージーランドは地熱発電の技術を持つことから、この分野に精通した「GNSサイエンス」の理事長が訪問団一員として来日したのだ。日本は世界第三位の地熱資源量を持つ資源国であるが、その多くが国立公園の地下にあることから地熱利用ができない。「GNSサイエンス」はここに目をつけ、技術提供を行うことで自分たちの利益に結びつけたく理事長自らが来日したのだ。そして思惑通りに地熱発電に関する調印式が行われた。
「GNSサイエンス」理事長の年俸は80万ドル(8,000万円)と高額で、公的性の高い研究機関の理事長としてはあまりに高額な年俸のため、ニュージーランド国内では批判されている。「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」なるニュージーランドでは大格差は当たりまえのことであり、「親ガチャ」なんて言葉すら存在しない。若い人はニュージーランドの未来に希望を持てず、自立すらできない状況にある。

ニュージーランド首相の来日について、ニュージーランドのメディアは「これと言った成果のない訪問」と、冷ややかな報道をしている。日本は貿易相手国としては4番目の規模であり、通商交渉においては無視することはできない存在である。経済的にひっ迫するニュージーランドは、貿易相手国として4番目の日本、5番目のシンガポールを訪問し、とにかくお金を落としてくれる顧客の獲得に奮起している。日本人旅行者はニュージーランド滞在日数が長く、1人当たりの消費額が大きい。他方、中国人は団体客でやってくるが、滞在日数が短く、1人当たりの消費額も小さい。1997年の香港返還以降、中国政府と親密な関係を築いてきたニュージーランドも、中国へ対する国際社会からの批判を受け、中国シフトから北米シフトへ、外交政策の転換期にある。とりわけ、オーストラリア政府からは厳しい注文を突きつけられているが、貿易相手国として第一位の中国を無視することはできない。ニュージーランドが中国を無視すれば、ニュージーランドは国際社会で食っていけない。

ニュージーランドのメディアの注目は、日本側の防疫対策にあり、どこへ行くにも、マスクの着用、検温、消毒と、自分たちが「バイ菌」扱いされていることへの嫌悪感が凄まじい。日本の防疫対策は世界一厳しい基準を採用しているので、「検疫」という概念が存在しないニュージーランドからやって来れば、当然そうなる。私もニュージーランドから来る人は「バイ菌」だと思う。「バイ菌」だから来てほしくない。ウイルスは人間が運ぶので来ないでほしい。ニュージーランド訪問団の3名が、シンガポールでコロナ陽性になった現実を認識すれば、当然のことである。

新聞記者を含む総勢50名のニュージーランド訪問団は、ニュージーランド軍空挺団所属の軍用機で来日したが(注:ニュージーランドに空軍は存在しない)、羽田空港に着陸した際にはレッドカーペットが敷かれた。アーダーン首相は赤いカーペットの上を歩き迎えの車に乗り込んだが、検疫で機内に残ったメディア関係者が機体から降りた際には、レッドカーペットは片づけられた後で、『赤いカーペットが敷かれていない』と、不満を漏らすニュージーランド人記者が多く見られた。
性格が悪い私は ( ゚,_ゝ゚) バカジャネーノ って思った。そんなことを、イチイチ、新聞に書く必要があるのか、テレビで報道する必要があるのかと思った。本当にクズだなと思った。そんなに赤いカーペットの上を歩きたければ自分の家に敷いて歩けばいい。このエピソードを在留邦人は『ニュージーランドらしい』と、腹を抱え笑うだろうが、私にはこれのどこが面白いのか、まったく理解できない。やっぱりニュージーランドに住める人は「人間のクズ」「最下層の人種」「核廃棄物以下の存在」だと思った。

「ゼスプリ」のイベントに参加したアーダーン首相は来賓と記念写真を撮影した。この写真が駐日ニュージーランド大使館から公表されたが、日本側の来賓が男性ばかりであることを指摘する在留邦人がいる。しかし、その後はどうだろう。秩父宮ラグビー場で行われた "Education New Zealand" 主催のイベントに参加した高校生は女子のみ。日本女子大学との提携調印式の参加者も女子のみと、アーダーン首相からすれば『日本で会ったのは女の子だけ』『日本には女の子しかいない』と、思っていることだろう。実際に、女の子としか会っていないからね。

ここ数年の「ニュージーランドの女子化」は異常事態である。政治も企業も女性をトップに据えると対外的な印象が良くなることから、ビジュアル的に写りの良い女性の起用が目立つ。
2019年にカンタベリー大学発となる女性副総長(学長職)が誕生。2022年にはカンタベリー大学発となる女性総長(名誉職)が誕生。2020年にオークランド大学発となる女性副総長(学長職)が誕生。2021年にオークランド大学発となる女性総長(名誉職)が誕生。
長く空席になっていた「ニュージーランド交響楽団(NZSO)」の音楽監督に誰が就任するのか、"Edo de Waart"(エド・デ・ワールト)という世界的な指揮者が退任後、後任の指揮者が決まらず、やっと決まったと思ったら、"Gemma New"(ジェマ・ニュー)というニュージーランド期待の35歳の女性指揮者を起用した。首相も女性、総督(ニュージーランド国王の代理人)も女性、最高裁判所首席判事も女性、文化面で大きな影響力を持つ "NZSO" の首席指揮者も女性。ここまで性別に拘るニュージーランドは、過去に、どれだけ女性軽視してきたのか自らが認める結果となったのだ。私からすると「これはやりすぎ」「気持ち悪い」となる。この状況を歓迎するのは「圧倒的な女社会」に暮らすニュージーランドの在留邦人だけである。

ニュージーランドの中央官庁に政策提言を行う国庫庁(日本の旧・経済企画庁に相当)が報告書を発表した。
簡単に説明すると「ニュージーランドに未来はない」「若者は病んでいる」と、非常に暗い内容が書き込まれた報告書である。

過去20年間で、ニュージーランドの人口は、ほとんど増えていない。若い人はニュージーランドの未来に期待が持てず、海外へ生活拠点を移してしまい人口流出が続く。そして、二度と帰って来ない。
内需の乏しいニュージーランドでは「移民政策」を用いて意図的に人口を増やしているが、その多くは、これから年金支給が始まる成人である。経済発展のために働く若い世代は海外流出するので、社会保障費の負担だけが増加する年寄しか残らないと、貧しい現実を物語る暗い報告書となっている。
ニュージーランドにいて「得」をしているのは、65歳以上の年金受給者であり、この人たちは持ち家志向が強く、安い時代に自宅を手に入れたことから、近年の不動産ブームの煽りを受けずに済む。報告書では「最後の逃げ切り世代」と揶揄されている。
他方、若い人はニュージーランドの未来に期待が持てず、住宅を購入できるどころか、家賃も支払えない。ニュージーランドの未来に期待が持てない若者は学位と資格を取得すると海外へ行ってしまい、二度とニュージーランドに戻って来ることはない。教育費に掛かった「学生ローン」は、当たり前のように踏み倒す。2020年度の学生ローンの貸付残高は 160億ドル(1兆6,000億円)を超えており、このうち1割に当たる 16億ドル(1,600億円)は債務延滞となり、返済期限までに返済されていない。借りたお金を返していないニュージーランド人の 91% は海外に住んでいる。
ニュージーランド人に学生ローンを貸しつける国税庁(IRD)は、債務延滞者の追跡に、毎年、200万ドル(2億円)の費用を計上している。税金を回収するために税金を使う。この2億円の税金を支払うのも、納税者なのだ。
15歳児を対象にした調査結果も悲惨な報告しかなく、肥満の増加、糖尿病の増加、鬱病の増加が指摘され、世界で3番目か4番目の「肥満村」らしい調査結果が報告されている。15歳児は、親世代の2倍も鬱病になっている。就学児の3人に1人は「自傷行為」を経験しており、若年層の自殺者数は先進国で2番目に高い。15歳以上の思春期に見られた自傷行為は、10歳から確認されている。「肥満」と「自殺」は、強い相関関係が認められ、「ユニセフ(国連児童基金)」は「若者の精神と健康に関する調査報告書」の中で、ニュージーランドを最下位の "F" に分類し「不合格(Failure)」の判定をしている。

在留邦人が頻繁に発言する『(ニュージーランドは)物価高でも、(最低)賃金は毎年上がるので、日本で暮らすより生活の質は高い』という言葉は、ニュージーランドの新聞には一文字も書かれておらず、テレビでもラジオでも、一言も発していない。ニュージーランドで5番目に大きな銀行は、一般の民間銀行(市中銀行)ではなく、「ママパパ銀行 (BoMaD) 」と呼ばれる両親が息子や娘に、直接、資金援助する個人融資で成り立っている。「ママパパ銀行」の貸し付け残高は220億ドル(2兆2,000億円)を超えており、郵便局を母体とする「キーウイ銀行」の貸し付け残高(168億ドル(1兆6,800億円))を超えている。親は子に資金援助するために消費を削減し、さらに、親本人が自らの親から相続した資金を息子と娘へ援助しているのが実情である。10年前、親から子への直接的な資金援助は年間3万ドル(300万円)であったが、現在は年間10万ドル(1,000万円)を超えている。ニュージーランドで「ママパパ銀行」が破綻すると、子は「即死」する緊急事態である。これは、中学生の子に対し行われている援助ではない。25歳をすぎた成人に対し行われる援助である。

ニュージーランドは生鮮食品を除く全てを輸入に頼る「ハワイ」とよく似た経済構造を持つため、海外でインフレが発生すると輸入インフレが起きる。ニュージーランドのメディアは「(物価高で)買える物がない」と、危機的状況を伝えている。「賃金が上がるから問題ない」「不動産に投資すれば食っていける」なんて言っているのは、大嘘つきの在留邦人だけ。在留邦人を超えるペテン師を私は見たことがない。

ニュージーランドで儲ける策は「ニュージーランドに行かない」「ニュージーランドから離れる」「ニュージーランドの記憶を消し去る」、それ以外に存在しない。つまりそれは、一般的な、平均的なニュージーランド人がやっていることである。ニュージーランド人はニュージーランドを美化し、理想郷としていない。在留邦人のようにニュージーランドを美化し、理想郷とするニュージーランド人は、この世に一人も存在しない。ニュージーランドを美化し、理想郷としているのは在留邦人だけだ。つまりそんなニュージーランドは、この世に存在しない。

在留邦人を見つけたら「嘘つき」「ペテン師」「キチガイ」と思い間違いない。それで、自分が救われると思うことだ。不動産で儲ける、賃金アップを目指すより「在留邦人に会わない」「在留邦人から逃げる」「在留邦人を殺す」、この3つの覚悟がなければ、ニュージーランドで日本人が生きていくことは不可能である。
私の書き込みを読んだ日本人が在留邦人から被害を受けなければ、これ以上の幸せはない。
在留邦人は「日本人の仮面を被った悪魔」であることを、決して忘れてはいけない。悪魔が日本人に近寄ることを、決して忘れてはいけない。あなたのすぐそばで、悪魔はあなたを狙っている。
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ずる賢いバカだけが得するニュージーランド [在留邦人批判]

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「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史の帰国理由が娘の重度の知的障害にあったこと、「たけNZ大工さん」の娘が先天性の難聴であることを笑いネタとして用意してあったのだが、これを書いているのが「4月1日」ということもあり、私の書き込みを楽しみにしている 600 - 800人 の「見知らぬ読者」に誤解を与えないため、あえて、書き加えることをやめることにした。

私は数少ない邦人男性を目の敵にしていると思う人が多く見られるが、実際のところ、邦人男性など、どーでもいい。在留邦人の6割は女性であり、邦人女性の平均年齢は34歳を超えている。他方、邦人男性の平均年齢は19歳。この19歳とは、短期滞在の留学生である。すなわち、ニュージーランドの邦人社会は長期滞在者を中心とした圧倒的な「女社会」であり、男女の年齢差に15歳も開きが見られる人種層は日本人以外にいない。

私のブログにやってくる 600 - 800人の「見知らぬ読者」は、なぜ、私が見知らぬ在留邦人を攻撃しているのか疑問に感じるだろう。それはとても簡単な理由で、在留邦人には1つの性格しかない。1つの生き方しかない。在留邦人は、皆、異なる人物であるが、その性格も生き方も「1つ」しか存在しない。この「1つ」(英語では "Identical" と表す)という概念が「民主社会主義国家」のニュージーランドでは上手く機能する。「自由民主主義国家」の日本を離れ、初めて体感する「民主社会主義国家」に居心地の良さを感じ、左翼の生き方に感銘を受けたのが、在留邦人である。

約30年前、私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたわけですが、私に嫌がらせを行い、いろいろとやらかした在留邦人と日本人留学生は、皆、同じ性格、同じ生き方しか持てない人たちであった。

私は見知らぬ在留邦人を攻撃しているわけでない。私は、かつて、私に対し嫌がらせを行った在留邦人と日本人留学生に「復讐」を行っているだけである。
これは何かと似ていないかと思い返すと、ロシアによるウクライナ侵攻と同じ精神構造なのだ。ソ連邦が崩壊した1991年12月25日、ウラジーミル・プーチンは東ドイツのドレスデンで諜報活動をしていた。祖国を愛し、祖国のために働き、祖国のためにスパイ活動を行った。しかし、ソ連邦の崩壊と同時に東ドイツの民に取り囲まれたプーチンは命の危険を感じた。自分が殺されると感じた。自分が仕えるソ連邦が崩壊する姿を見て大きな屈辱を感じた。祖国を愛し、祖国に尽くす自分が、なぜ、命を狙われる側へ変わったのか。KGBの諜報員のプライドは無残にも打ち砕かれたのだ。これがヨーロッパへ対する敵対心と復讐心へと変わった。ヨーロッパへ対する敵対心と復讐心は、30年後の2022年に現実化することになる。

それでは私は ウラジーミル・プーチン なのかという疑問は「4月1日」にすべきでことではない。私はウラジミール・プーチンではないからだ。
しかし私は、「長田雅史の娘」の首を飛ばすこと、「たけNZ大工さんの娘」の首を飛ばすことを、決して忘れていない。父親であるオヤジたちに言っても日本語が通じないので、この落とし前は娘たちにつけてもらう。これは「聖戦」であり、今、この瞬間も、私は娘たちの首を狙っている。それは、ある日、確実に起きる。私のすべてを掛け実行に移す。ウラジミール・プーチンが受けた屈辱と同じことをして見せる。

『さすがにこの人は、私の書き込みは読まない』と、信じていた在留邦人が4名、私の書き込みを読んでいた。
私が書く文面は差別化しているので、他の人は同じ文面を書けない。同じ書き方をしているとすぐに私の文面を読んでいることがバレてしまうのだ。私もそれが狙いで差別化した文面を、あえて、書いている。「バカ探知機」に正確に反応するようにね。幸運にしてか不運なのか「バカ探知機」は、正常に機能している。

日本に帰国中の在留邦人"K・M"(女性) も、私のブログの熱心な読者である。この人も典型的な在留邦人で、非常に面倒な性格の持ち主である。日本にいる母親に対する憎しみが非常に強いが、本人はそのことを認めたくない。母親は自分を認めてくれないとイジけている。中学生の女子ならまだしも、25歳をすぎた良い年をした女性がイジけているのだ。痛々しい姿です。"K・M" の言葉を用いれば「母親は背中を押してくれない」となるが、良い年をした大人の背中を押してくれる母親が、この世にいるのだろうかと、性格の悪い私は深く考え込んでしまう。
平均的な母親、一般的な母親は、自分の子を褒めない。幼少期はまだしも、成人に達した実の子を親が褒めることはない。これは、在留邦人が大好きなニュージーランドでも同様である。ニュージーランドは人間関係がドライなので、成人になれば実の子の誕生日もやらない。幼児の誕生会は派手に、そして盛大にやるが、成人になった子の誕生会はやらない。プレゼントも渡さない。子は親の誕生会をやるよ。でも、親は子の誕生会はやらない。
ニュージーランドの母親は自分の子は褒めない。3歳児や4歳児は褒める。『今日は上手にウンチができたね』って。それ以上の年齢では褒めているように見えるだけで、母親は自分の子を褒めていない。

"K・M" は母親に対する憎しみが強い一方で、パケハ(白人)に言われたことをすぐに聴く。よく聴く。そして、即、実行に移す。それゆえに、パケハからはウケが良い。それで『自分は(パケハに)愛されている』と、勘違いしている。
他方、自分の母親に言われたことはまったく聴かない。何もやらない。もちろん、実行にも移さない。母親に対する信頼がないからだ。まったく同じことを「パケハ」と「母親」に言われても、「母親」に言われたことは無視して、「パケハ」に言われたことだけを聴く。そして、『パケハに言われてハッと気づいた』『私を気づかせてくれたパケハ LOVE』となる。この「LOVE」は「ニュージーランド LOVE」になる。

私からすると、まったく同じことを言い続けた母親が可哀そうに感じますが、そこは母親なので、娘に対する憎しみは生じない。これが母だけが持つ「母性」である。"K・M" に助言してくれたパケハに「母性」は存在しない。母親ではない "K・M" にも母性はない。

"K・M" のような人は、かつて、私が色々なことをやって助けてあげても、お礼も言わず、そのままいなくなってしまう在留邦人と同じなのだ。パケハが助けてくれると飛び跳ねて喜ぶ。『日本人はこんなに親切に助けてくれない!』と、叫びならがら喜ぶ。他方、私が(教員に言われて)助けてあげても「反感」しか持たない。そのうち、文句を言い出し個人攻撃が始まる。何で私が日本人を助けて、文句を言われ、攻撃を受けなくてはいけないのか。"Headache" "Headache" と、頭を抱えてしまうのだ。これが、私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた約30年前の日常である。

"K・M" には、すぐそばで、大きな愛で包み込んでくれる母親がいても、その愛情を感じることがない。他方、見知らぬパケハの言うことだけを絶賛する。そのパケハは、"K・M" の "ヘソから下" だけを狙っていることを知らない。生殖能力がある一定の年齢まで、"K・M" はパケハからウケが良い。それが「モテる」と勘違いしてしまう典型的な在留邦人である。このタイプの在留邦人が「圧倒的な女社会」のニュージーランド邦人社会にはウジャウジャ存在し「日本人代表」になり、あることないこと、メチャクチャなことを言い始め、反日思想へと偏るので、私は "Headache" と頭を抱え、ニュージーランドを脱出した。その決断ができた私は『ニュージーランドにいなくて幸せ』と、心の底から幸せを感じてしまうのだ。在留邦人よりは確実に良い人生を歩んでいることを神に感謝したい。

私は "K・M" は、「抑うつ状態」だと思う。かつて「気分変調症」と呼ばれた「持続性抑うつ障害」だと思う。母親に対する憎しみ、過剰なまでに「認められたい」と願う承認欲求、拒食症と過食症、自尊心の低下、悲観主義、絶望感。
「持続性抑うつ状態」の面倒な点は、いつから調子が悪くなったという感覚がなく、慢性的に悪い状態が続いている。おそらく、"K・M" は、中学生の初めには、抑うつ状態になっている。これが慢性的に続くので、「調子が悪い」が日常化してしまい、重度の精神疾患になってしまう。同時に「パーソナリティー障害」を併発している。慢性的に思春期が続く状態、母親のやることは認めない一方で他人に愛され認められたい承認欲求、極めて偏りある考え方、人と同じでありたいのに同じことはしたくない欲求は「パーソナリティー障害」の典型例である。"K・M" も、大多数の在留邦人と同じく「精神病者」である。在留邦人には、このタイプの精神病者が本当に多い。その精神病者のお世話をさせられたのが私であるのなら、私がニュージーランド嫌いになるのも当然のことである。"K・M" のように重度の精神疾患を抱えると、精神科医も『こりゃ、無理だ』と、私に丸投げする。特に勤労意欲のないニュージーランド人は、仕事をしないことを仕事にしているので、1つでも仕事は減らし、他人に押しつける。その間に、自分は逃げる。世界の僻地にある島国の民がやりそうなことだ。

私は "K・M" の人間性について、一切の関心はないが、"K・M" の滞在許可に関心がある。
この人がオークランドでやっている職業では滞在許可は降りない。しかし "K・M" は、滞在許可を取得している。
"K・M" には、内縁関係にあった夫に準ずる交際男性がいた(これは "K・M" が公言していたことである)。この人をスポンサー(保護責任者)に登録し、滞在許可を取得したのではないかと。現在 "K・M" は、この男性との内縁関係を解消したので(これについても "K・M" が公言している)、"K・M" の滞在許可も無効になったはずだが、ニュージーランドに滞在している。このことについて、私は、"K・M" が設置していた "Peing(ペイング)" という匿名質問箱に滞在許可について説明を求めたが、"K・M" は「屈辱的な質問が届いた」と、返答しなかった。それまでの日本叩きや、添加物、ダイエット、過食・拒食症に関する質問には雄弁に返答していたが、私が送った滞在許可の真相については、一切返答しなかった。そして、「屈辱的な質問が届いた」と、 "Peing" を閉じてしまった。「屈辱的な質問」とは、どのような質問だったのでしょう。私が投稿した質問が屈辱的でないことを願うばかりです。

私は、今でも、"K・M" が持つ滞在許可の種類を知りたい。あなたは、どのような滞在許可を所持し、それゆえに、オークランドで自由な生活が送れるのかと。
ニュージーランドが自由で、公平で、平等な社会だから「生きやすい」のではなく、元交際相手に、おんぶに、だっこ、乳母車に、肩車をしてもらっていたから「生きやすい」のではないかと、性格の悪い私は疑ってしまうのだ。日本にいる母親は25歳をすぎた娘をおんぶも、だっこもせず、乳母車に乗せ、肩車もやらない。スケベな理由で「ヘソから下を狙う」パケハだから、"K・M" をおんぶして、だっこして、乳母車に乗せ、肩車をしたのではなかと、同じくスケベな私は疑ってしまうのだ。
その真相を "K・M" にぶつけてみたが、"K・M" は私の質問に返答しなかった。ここに、悪意に満ちたおぞましさを感じてしまうのだ。
私が送ったイーストウインドに関する質問状3通のどれにも返答してくれない「ニュージーランド大好き社」の 野澤哲夫 社長も、そう、思いませんか? 自分から『質問があれば送って来い!』と書き込んでいたので質問を送ると、返事をしない。「ニュージーランド大好き社」の 野澤哲夫 社長も、"K・M" の醜態に悪意を感じませんか? やっていることが非人間的で反社会的だと、思いませんか?

私が "K・M" に滞在許可に関する質問を送っても、"K・M"は答えてくれないので、皆さんから "K・M" に、質問を送ってください。『おまえ、どんな滞在許可もってんだよ』『パケハに、おんぶに、だっこ、乳母車に、肩車してもらってんだろ』『自立して二本の足で立て!』って。皆さんからの質問にも "K・M" が答えられない時は、『そーいうことなんじゃないかなー』って、性格の悪い私は疑ってしまうのだ。

私は、弱く、自立できない人がいるのは、自然なことだと思う。「婚姻」という制度は、それを象徴しているのだ。弱い者は強い者へ助けを求める。強い者は弱い者を支配下に置く。これに宗教観が入り、歴史的変遷を経て、「婚姻」という制度が成立した。結婚する時は神の前で、仏の前で誓いを述べる。子供が生まれたらお宮参りで報告する、教会で洗礼を受ける。人が死ねばアーメンでも、仏壇でも神棚でも、お葬式を行う。「婚姻と宗教」が、強いつながりを持つことは歴史的事実である。そして「婚姻」とは、現在でも、弱者と強者の関係を法的に立証する制度である。

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた頃も、ニュージーランド国内に所在する熱心な信仰者は人口の 7% 程度と言われたので、現在は 5% くらいしかいないと思う。人口の 5% と言っても、30万人くらいは存在するので、政治を動かすこともできる人数である。しかし、この比率になってしまうと、宗教を基準とする婚姻制度は破綻している。信仰心ない人に、宗教を基準とする法律婚は存在意義がない。

ニュージーランドで内縁関係が法的有効性を持つ理由は宗教にある。それゆえに、ニュージーランド国内では、内縁関係の法的有効性が理解されるのだ。ニュージーランドが先進国だから内縁関係が認められるわけではない。日本が遅れているので内縁関係に法的有効性が認められていないわけでもない。すべては「宗教が基準か否か」が重要なファクターになる。なぜなら、ニュージーランドは宗教を基準に全てが動く「宗教立国」だからである。聖金曜日(Good Friday)は、なぜ、公休日に指定されているのか。復活祭(Easter Sunday)を、なぜ、宗教行事として最重視するのか。聖誕祭(Christmas)は、なぜ、アルコールの販売が終日禁止され、店舗が営業をすると 1,000ドル(10万円)の罰金刑になるのか。生活の中に宗教があり、法律の中に宗教がある。これが、ニュージーランドの日常である。

日本は宗教を基準に社会が動く「宗教立国」であろうか。「日本は天皇を中心とする神の国」と発言し、総理大臣が失脚した国なので、日本を宗教立国と見る向きはない。日本が宗教立国であれば「天皇を中心とする神の国」は、その発言通りとなる。日本のように信仰の自由が保障され、移動の自由が保障され、言論の自由、職業選択の自由が保障された国を、私は見たことがない。学校で日本国国旗を揚げる、国歌斉唱をするだけで社会問題になる。在留邦人が大好きなニュージーランドも、ここまで自由ではない。キリスト教以外の宗教を認めないニュージーランド人は、人口の 5%、30万人くらいは存在するわけです。私は、クライストチャーチのキリスト教学校に通ったので、教員はキリスト教右派政党の熱烈な支持者であり、聖書に書いてあること以外は信じていなかった。理科で「ダーウィンの進化論」は教えない。聖書にダーウィンの進化論は書いていないから教員は信じていない。『ニュージーランドは自由な国か?』と、聞かれたら『日本のような自由な国でない』としか答えられない。キリスト教学校でダーウィンの進化論の話をすれば『おまえは進化論を信じているのか?』と、厳しく指導される。これが、宗教学校の標準的な指導である。そこに特別な驚きはない。そのような考えを受け入れられない人は、高額な学費を支払う宗教学校に通わなければ良いだけのことだ。

世界各地で内縁関係に法的有効性を持たせる国は宗教立国である。先進国ではない。宗教立国で宗教が機能していなければ内縁関係を認めざるを得ない。内縁関係を認めないと、法治国家として機能しない。人々の自由な生き方を認めるために、内縁関係を認めるわけではない。在留邦人はお勉強のできないおバカ集団ですから、訳のわからない自己解釈でニュージーランドを絶賛するが、ニュージーランド側は『そのような事実はない』と、否定するのだ。これが、すべては宗教を基準に社会が動くニュージーランドの法解釈である。内縁関係を法律婚とみなす法解釈についてキリスト教右派から反発はない(ただし、同姓婚の法制化については、キリスト教右派が猛反発している)。

人間は「婚姻」により、一度、死ぬ。これは、どの宗教にも共通する概念である。人間は結婚すると、一度、死ぬ。結婚することは死ぬことなので、結婚式は白い正装で行う。肉体が死んだ時も白装束で葬式を行う。キリスト教も、仏教も、神道も、イスラム教も、結婚式と葬式は白い正装を身にまとう。
内縁関係では結婚式を行わないので、死ぬ必要がない。死ぬ必要がないので、婚姻も必要ない。それゆえに、内縁関係は法律婚として認められるが、宗教を基軸とする宗教婚ではない。それでは、この概念が、広く一般に浸透しているのかと言えば、少なくとも、宗教立国・ニュージーランドでは認められていない。ニュージーランドで内縁関係でいる人は、複雑な事情から結婚できない人、宗教間の対立から宗教婚が認められない時に限る。そのため、無宗教の人が内縁関係を保つことに異議はなくとも、「ノーマルな人間ではない」と、レッテルを貼られる。ニュージーランドの教会は、一か所として、内縁関係にあるカップル、同性愛者の結婚を認めていない。正式な婚姻関係にない人間は「ノーマルではない」と、判断するからだ。

在留邦人が大好きなジェシンダ・アーダーン首相も内縁関係であることから、結婚式は挙げられない。「結婚式をしていない」ではなく「結婚式ができない」。宗教立国・ニュージーランドでは、1つの教会も、内縁関係にあるカップルの結婚式を認めていないからだ。そのアーダーン首相も支持率の低迷からなのか、母になった心境の変化からなのか、「官僚以上の官僚」と揶揄されるキリスト教右派の支持を取りつけたいからなのか、「法律婚」を選び、婚約したことを認めた。次は、法律婚に基づく結婚となるが、ニュージーランドでは、教会の牧師が結婚を認めるわけではなく、「婚姻公証人」と呼ばれる人の前で宣誓を行い結婚したことを認めてもらわないと結婚できない。なぜなら、「婚姻」は「法律婚」であることから、有資格者に認められないと「結婚」できないからだ。この費用に 150ドル(15,000円) が掛かる。さらに、宣誓を行う正式な式場が必要となり、この手配に 90ドル(9,000円) が、別途、掛かる。さらに、証人2名の賛同が必要となり、証人2名が賛同しない時は結婚が認められない。在留邦人が大好きな「オンライン方式」も法律婚では認められない。大雨でも、大雪でも、台風でも、火山の噴火でも、結婚する2名と婚姻公証人1名と証人2名の5名が同時に同一箇所に集まり「宣誓」を受けないと「結婚」は認められない。ニュージーランドで「法律婚」を選ぶことは、手間と費用がもの凄く掛かる。これを「無宗教」の人間が選ぶわけない。
結婚するにも手間が掛かるなら、離婚するにも手間が掛かる。双方が同意すれば離婚できるわけもなく、2年間の別居が条件となる。2年間の別居が公的に認められ、収入と納税負担が双方別会計でないと、離婚したくても離婚できない。こんな面倒な仕組みを「無宗教」の人間が選ぶわけない。ニュージーランドで「事実婚」が認められる背景には、非常に複雑な宗教的理由が存在するのだ。

日本の「結婚」と「離婚」が紙1枚で、即時、効果発揮と知れば、ニュージーランド人はそのままひっくり返り、死んじゃうと思います。ニュージーランドでは考えられない簡素化された法手続きだからね。

「法律婚を選ぶ」と公言したアーダーン首相も、コロナの影響で予定していた結婚式を中止した。政治家が公言したことを履行しなければ政治不信につながるので、キリスト教右派が猛反発することは必至。この猛反発は、政党不信、支持率の低迷、そして、落選につながる。ニュージーランドでキリスト教学校に通った私には、キリスト教右派の考えることが手に取るようにわかる。『あの人たちがやりそうなことだな』ってね。在留邦人が大好きなアーダーン首相は、キリスト教右派の顔色を伺うことなく、政治家を続けることはできない。これは、アーダーン氏にかぎらず、歴代のニュージーランドの政治家が経験してきたことである。『キリスト教右派に認められないと政治活動はできない』。これが「宗教立国・ニュージーランド」の、本来の姿である。

ニュージーランドでは、エビデンスを重視する科学者の婚姻率は高く、信仰心も厚い。これは私の肌感覚なので、否定されてもかまわないが、客観的な証拠がないことを信用しない科学者が、宗教を基準とする「婚姻制度」を選び、信仰心が厚いのだ。これが言語では説明できない「宗教立国・ニュージーランド」の姿である。

私はクライストチャーチのキリスト教学校に学んだが、理系学科の教員たちは既婚者で、教会での活動に熱心であった。内縁関係が法的有効性を持つニュージーランドで、内縁関係にある教員は1人もいなかった。内縁関係にある人に対して "Sick" と、差別的発言が飛び交う。キリスト教徒が差別しないと思ったら大間違いだ。私が教員たちから学術的側面を学んだことはほとんどなかったが、教員たちと信仰について語ることは楽しかった。キリスト教学校って、数学の時間でも、物理の時間でも、いきなり宗教論争が始まる(←宗教学校あるある)。さっきまで関数の問題を解いていたのに、その30秒後には、『聖書にはこう書かれている』と、いきなり始まる。しかし、そこは倍率の高いキリスト教学校に採用された専任教員だけあり、正しい神学教養を持ち、宗教的議論は噛み合う。在留邦人のような、トンチンカンな自己解釈は言わない。理系らしく理路整然と信仰を語る。私が見ても『こいつらはキリスト教をよく勉強している』と思いましたから、間違いありません。

在留邦人は思い込みが激しく、事実と異なる一方通行な自己解釈が激しく、会話が成立しない。とにかく、偏りが激しく、接すると、心底、くたびれる。

"K・M" も、この気質そのものであり、日本の食材の全てに「食品添加物」が過剰使用されていると信じ込んでいる。「食品添加物」の多くは、無色・透明・無味・無臭であるにも関わらず(そのため食品に使用できる)『日本の食べ物は食品添加物の味がする』と、機械でも判定できない「添加物の味」を判断できるらしい。ニュージーランドの食品科学者が聞けば、ひっくり返り、二度と立ち上がることはできない。無色・透明・無味・無臭の添加物に「味」がある。これを、どのように科学は説明するのだろう。

"K・M" は日本でエナジードリンクやプロテインバーを食べると『添加物の味がする』と言い出す。同じ物をニュージーランドで食べても何も言わない。ニュージーランドに対する絶大な信頼があるので、ニュージーランドの食品には添加物は入っていないらしい。こちらも、食品科学者が聞いたらひっくり返り立ち上がることのできない事例である。私も、一瞬で良いので、ニュージーランドを信用してみたいものだ。「味のない添加物の味」とは、どのような味なんですかね?

在留邦人の多くも自然界に存在する「天然もの」を信用している。ニュージーランド国内の 60% の河川では、環境基準を超える水質汚染が確認されている。住宅地、酪農・畜産地域を流れる河川の 95% 以上で、環境基準を超える水質汚染が報告されており、ニュージーランド環境省は、これらの地域を流れる河川では泳がないよう住民に注意している。ニュージーランドは世間のイメージとは大きく異なり、深刻な水質汚染と大気汚染に悩まされ、環境汚染は深刻な社会問題になっている。

ニュージーランドの人は海産物は食べないが、在留邦人は天然の「岩ガキ」をとって食べている。「牡蛎」は、1日に400リットルの海水をろ過するので、海洋汚染が深刻なニュージーランドで汚染された海水を吸収した岩ガキも汚染されてしまう。それを獲って、食べて、『天然のものだから美味しくて安全!』と言い出す在留邦人は、死んでしまえと思う。
日本では水質汚染が深刻な河川に牡蛎を放流し、水質改善に役立てる方式が採れられていのも、牡蛎が1日に400リットルの水をろ過できる能力に注目した取り組みである。これらの牡蛎は汚染されているので、食用にはならない。それを、在留邦人は食べて『天然だから美味しい!』と言っているのだ。

ニュージーランドの民は、ニュージーランドの川も海も汚染されているので、そこで獲れた海産物は食べない。ニュージーランド環境省も、海や川での遊泳を推奨していない(泳いでも罰則はないが「病気」になると警告している)。
16の地方議会と研究機関で構成される "Land, Air, Water Aotearoa (LAWA)" は、ニュージーランド国内の65%、三分の二の河川での遊泳は健康に被害を与えると警告している。そんなところで獲れた海産物を『天然ものだから美味しい!』と食べる在留邦人は、キチガイとしか言えません。

クライストチャーチに住む在留邦人は都合が悪くなると『私、アスペ(ルガー症候群)だから、人の気持ちがわからない』と言い出す。私はこの発言、とても危険だと思う。ニュージーランドの永住資格を申請する際に、アスペルガー症候群であることを公言すると、申請は却下されてしまう。 ニュージーランドの滞在許可取得時に "Applicants for a New Zealand visa should be of 'good character' and not pose a security risk to the country." という項目が記載されており、17歳以上の申請者は全員、精神疾患に伴う精神病検査が義務づけられている。しかしこのクライストチャーチ在住の在留邦人は、ニュージーランドの永住資格を取得している。取得時の申請に「虚偽」があった。嘘をついて永住資格を取得しており、これは、滞在許可の不正取得である。これは実際の事例として、ニュージーランド移民局は、ブラジル人家族の子女にASD(アスペルガー症候群)の患者がいたことから、滞在許可を却下した。このブラジル人ASD患者とは、わずか、3歳の子供である。3歳の子供がASD患者という理由だけで、家族全員の滞在許可を却下した。これに対し、ASD患者の保護団体は猛抗議しているが、ニュージーランド移民局は再審は行わないとの判断を下した。これが、ニュージーランド移民局の平均的な対応である。
それが、なぜ、日本人は却下されないのか。日本という国家に信用があるからである。在留邦人は、日本国の信用なくして、ニュージーランドに住めないのである。ブラジル国籍であれば却下される事案が、日本国籍を持つと、すんなり認められてしまう。これが、国家という信用のもとに生きる、在留邦人のずる賢い生き方だ。

私が「日本人はニュージーランドで生きていけない」とする理由はここにある。在留邦人は、ずる賢い人間しかいない。ずる賢い人間しか、ニュージーランドでは生きていけないのだ。

私が「在留邦人とは日本人の仮面を被った悪魔である」とする理由も、ここにある。
私が「悪魔」の正体をさらけ出すため、日本人の仮面を剥がそうとすると猛反発する。それが "K・M" の事例である。

ニュージーランドは、人間が生きる土地ではない。皆さんも、そう、思いませんか? 思わなくていいです。私は、そう、思っていますから。永久に、永遠に、この考えが変わることはありません。
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在留邦人は人間的人格が腐っている [在留邦人批判]

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ニュージーランドの報道は、悲惨なニュースしか目につかない。

「コロナの優等生」と称されたニュージーランドも、1日あたりの感染者数は、15,000 - 20,000人に達し、死亡者数は100人を超え、1,000人近くの患者が入院している。日本の人口比にすれば、1日あたり、40万人から50万人が感染している計算になる。

これだけ感染者数が増加してしまうと、ニュージーランドを「コロナの優等生」と絶賛した日本のメディアは、何も報道できなくなる。もう、誰も、ニュージーランドを「コロナの優等生」と、思っていない。
学校も、4校のうち3校でコロナ感染の報告があり、保育施設では5つの園のうち2つの園でコロナ感染の報告がある。
アメリカの疾病予防管理センター(CDC)は、ニュージーランドへの渡航レベルを最高値の「4」へ引き上げ、全面的に避けるよう注意喚起している。また、アメリカ国務省も渡航勧告レベルを最高値の「4」へ引き上げ「渡航中止地域」へ改訂した。

オミクロン株は、水疱瘡(みずぼうそう)と同じ程度の感染力を持ち、1家族に1人の感染者がいると、家族全員が感染してしまう。当初の私の推測通り『集団感染が起きるとすれば「学校」か「老人ホーム」のどちらか』は、ここでも的中したのだ。ニュージーランドは、ほとんど人が住んでいない国なので、人の溜まる場所は「学校」か「老人ホーム」のどちらかしかない。そこで1人が感染し、家にウイルスを持ち帰ると、家庭内感染が起きる。実に、単純な構図である。

実は、新規陽性者数が増加する理由には「カラクリ」がある。
オミクロン株に感染すると「公休扱い」となり、10日間の有給手当が支給されるのだ。これは、自営業・フリーランスも同じ基準である。勤労意欲の乏しいニュージーランドでは、「陽性結果の検査キット」が販売されており、仮病を装い、有給手当を不正受給する例が後を絶えない。このような不正が生じると、誰が本当に感染しているのかわからず、深刻な社会不安に陥る。オタゴ大学医学部公衆衛生学講座のマイケル・ベイカー教授は『冗談では済まされない』と、強い懸念を示しているが、職場の雇用主も『黙っていればわからない』と、陰性の従業員を陽性扱いにして、休ませるケースが多発している。有給手当は社会開発省が支給するため、雇用主負担は生じないからだ。在留邦人は、ずる賢い人間しかいないので、このような不正情報は光よりも早く伝達する。仮病で公休手当を不正受給する在留邦人はウジャウジャいる。検査を受け『陰性で良かった』と、同僚に伝えれば『おまえはバカだ』と、言われてしまう。雇用主からも『おまえはバカだ』と言われる。黙っていれば有給手当と10日間の休みがもらえるのに『コイツ、本当にバカ』と言われてしまうのがニュージーランドの労働環境である。この労働環境を絶賛しているのが、在留邦人である。

ニュージーランドでは、目に見える「カラクリ」と、目に見えない「カラクリ」の両方が肌感覚で理解できないと、生きていくことは不可能なのだ。

ニュージーランド保健省はコロナ感染を諦め(?)、麻疹(はしか)の感染拡大を恐れている。年間2,000人が麻疹に感染するニュージーランドでは、1938年以来、最悪の麻疹感染状況にあり、外国人の流入と同時に、麻疹ウイルスの蔓延が危惧されている。ニュージーランド保健省はコロナ対策を諦め、麻疹対策に注視すべきと警戒している。しかし、ニュージーランド首相府は、当初の予定を大幅に前倒し、2022年4月12日より、オーストラリアからの観光客と、海外留学生の入国を決定したのだ。

海外留学生が落とす莫大なお金は年間50億ドル(5,000億円)を超えており、ニュージーランドでは5番目の外貨獲得産業となっている。これは、ニュージーランド産の果実、日本へは「りんご」「梨」「レモン」「キーウイフルーツ」などが、ニュージーランドから輸出されているが、これら果実の総売り上げよりも大きなお金が空から降ってくる。ニュージーランド首相府は、空から降ってくる 5,000億円 を掴むため、予定を前倒し、海外留学生の入国を決定した。感染予防を担当する保健省のキャロライン・マカーニ公衆衛生局長は、コロナと麻疹の同時感染が起きると頭を抱えている。

ニュージーランドでは、予防接種は「生物化学兵器」と信じる向きが根強く、麻疹の予防ワクチンは、接種率が非常に低い。麻疹は、単独の病原体としては、最大の死亡原因である。特に、0~4歳が感染すると致死率が非常に高い。この対策がなされていないので、公衆衛生局長は頭を抱えているのだ。

「コロナの優等生」は、単なる幻想であったと、性格の悪い私は思いますが、皆さんも、そう、思いませんか?

このブログの閲覧数を見ても「日刊ニュージーランドライフの捏造記事」と「イーストウインド」以外に、アクセス数の上昇は見られない。

日刊ニュージーランドライフ主宰の長田雅史は、日本への帰国を決めたようだ。極めて偏りあるイジけた性格の人物なので、いろいろと屁理屈をこねるだろうが、帰国する理由は、お金がなくなったから。これ以上ニュージーランドにいても、日本人相手の商売では食っていけない。同じ理由で帰国する在留邦人は少なくない。日本人はニュージーランドで生きていくことはできないのだ。
帰る場所のある人は幸せである。帰ることのできるうちに帰るべきである。ニュージーランドには難民認定を受け生活する難民がいるので『いいだろ! 僕には帰る場所があるんだ!』『大嫌いな日本に帰るんだ!』と、難民の前で大きな声で主張すればいいのにね。難民は、難民であることがバレると虐めと差別を受けるので何も言わず、難民であることを隠し通す。その人たちの前で大声で日本叩きを繰り返せばいいのにね。難民は、何も言わない。なぜなら、難民だから何も言えない。
何の実績も業績もない47歳が、大嫌いな日本で再出発。彼と、彼の家族に、輝かしい未来が開けることを願っております。たぶん、地獄の未来しかないと思うけれどね。
長田のムスメの英語は、半年で、きれい、さっぱり、消えてなくなる。これだけは、断言できる。ムスメの英語は、全部、消える。半年で完全に消える。何も残らない。幼少期は模倣能力が高いので、覚えも早い一方で、忘れる能力も高い。あっという間に忘れる。きれい、さっぱり、忘れる。親の想いとは裏腹に、子は現実的に育つ。
私の知り合いに、ロンドンで7年間を過ごし、ロンドン日本人学校(ロンニチ)に通っていた人がいるが、中学で日本に帰国後は、英語はきれい、さっぱり、消えてなくなった。それなりに英語を上手く話せていたが、何も覚えていない。加齢に伴い、ロンドンでの記憶もほとんど消えてなくなったので、親が苦労し持ち帰った思い出の品も、これらが何なのか、まったく覚えていない。これは特例ではない、この年齢の子女に共通して見られる典型的な認知機能であり、「覚えていないことを覚える」記憶である。
12歳までロンドンで過ごした人でもこの程度なので、より若い長田のムスメは何も覚えていない。模倣能力が高い幼少期に覚えたことは、あっという間に覚えるが、あっという間に忘れると、ここに断言しておこう。長田雅史は私のブログを読んで、悪い頭が良くなるのだから、お月謝をいただきたいです。

「イーストウインド」で14年間に渡り金庫番を務めた「ハニュウ・ユウコ」は、6件の容疑で起訴されたが、その全てで「無罪」を主張している。今後の公判でも無罪を主張するだろう。
「ハニュウ・ユウコ」の頭の中は、田中に対する悪意も、顧客に対する罪悪感もなく、自分の滞在許可がどうなるのか、それしかない。ここで有罪判決を受けると、滞在許可は取り消され、永住資格は失効する。失効決定から二週間で、ニュージーランドを離れなくてはいけない。「ハニュウ・ユウコ」も、大嫌いな日本へ戻されないよう、公判では無罪を主張し続ける。このくらい、自己中心的で、自分のことしか考えられない人しか、ニュージーランドでは生きていけない。他人を蹴り落しても、自分だけは生き残る。そのくらいの気力がないとニュージーランドでは生きていけない。「ハニュウ・ユウコ」は、その典型例なのだ。

田中が手塩に掛け育てた部下も、公判では、あっさり田中を裏切り無罪を主張する。「侍の国」から来た人間とは思えません。ニュージーランドに流入する数少ない日本文化に「切腹」があるので、ニュージーランド人の前で切腹してもらいたい。ニュージーランド人に「切腹」と言っても何のことか通じないので「ハラキリ」と言えば通じます。「ハラキリ」って、マオリ語っぽいので、現地の人に 100% 通じます。

ニュージーランド大好き社の野澤哲夫社長も「ハニュウ・ユウコ」と面識あるはずだが、こちらも、ダンマリを決め込んでいる。田中が溺愛した野澤社長ですら、このザマです。野澤社長も公判に証人として出廷すればいいのにね。『僕たちは田中に育てられ、田中に溺愛され、田中の援助で永住資格を取れた「田中チルドレンです!」』ってね。ニュージーランド人には 100% 通じませんけれど。

大人になってから知り合った人は、どんなに仲が良くなっても「ビジネスフレンド」「外部協力者」の枠を超えない。邦人社会を見れば、一目瞭然です。皆、仲が良く、皆、仲が悪い。その人がいない裏側では、悪口しか聞こえてこない。ニュージーランド大好き社の野澤哲夫社長も、裏では社員から、そして顧客から、私のような悪意に満ちた悪口を言われていないことを願います。たぶん、無理だと思いますが。

日本人の留学エージェントが、NCEA(ニュージーランドの高等教育機関への入学資格試験)は、オンラインで成績開示される一方、日本の「大学入学共通テスト」は、いまだに自己採点以外にないと書き込みをしている。私の記憶では大学入学共通テスト導入前の「大学入試センター試験」でも、追加費用800円を支払うと、成績開示されたはず。40秒ほどで調べてみると、2002年度から成績開示されていることがわかった。
ニュージーランドのオンライン社会を絶賛する一方で、日本のアナログ社会を批判したいのだろうが、持っている情報がメチャクチャで合理性をなさない。そこから3分ほどで、この日本人留学エージェントが代表を務める留学斡旋会社の登記情報を確認すると、会社の設立は「2003年8月25日」とある。自分が会社を作った1年前には、大学入試の成績開示はされていた。20年間も、この程度の情報すら把握せず「日本はアナログ社会」と批判する姿勢に説得力はあるのだろうか。私には、この日本人の留学エージェントの人間的人格こそがアナログだと思います。皆さんも、そう、思いませんか?
100万円単位の「お世話料」を受け取る日本人の留学エージェントが、40秒で調べられる情報ですら、20年間も把握していなかった。そして、自分の知らないニュージーランドだけを盲目的に絶賛する。その対比として、徹底的な日本叩きを行う。これはもう「詐欺」としか表現できないのだ。イーストウインドの田中が、ハニュウ・ユウコがやっていた「詐欺」と同じである。

私はニュージーランドで散々な目に合ったので、ニュージーランドでオンライン化がどれだけ進んでも、何も変わらないことを熟知している。情報処理する人の能力が低いので、ハイテク化しても、アナログのままでも、何も変わらない。これは私の偏見なので、皆さんに同調は求めませんが、たぶん、私の偏見は当たっていると思います。同調を求めると、在留邦人から「同調圧力」と、怒られちゃうからね。

この日本人の留学エージェントは「留学は経験」と書き綴っている。この言葉を頻繁に目にするが、本当に「留学は経験」なのだろうか。
私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたわけですが、あの経験が何かに役立ったのかと、100億1回、考えましたが、何の役にも立っていないと断言できる。『あんなことはやらなくてよかった』と、100億1回は、思いますが。

別の日本人の留学エージェントも『グローバル人材として国際的に活躍できる日本人留学生をサポート(支援)したい』と書き綴っている。100万円単位の「お世話料」を受け取り、自分は何もやらず、留学生が手柄を取れば『ワシが育てた留学生』と、その手柄を横取りする。自分が面倒を見る日本人留学生が不祥事を犯し退学処分となっても『ワシが育てた留学生』とは、決して言わない。死んだ星野仙一だって、こんなインチキは言いません。こんなインチキなお気楽商売がまかり通るなら、誰だって、留学エージェントになりたい。ニュージーランドの留学生ビジネスでは、5万人が雇用されている。この5万人と、ENZを「詐欺師でペテン師」と見て間違いない。イーストウインドも留学生ビジネスを無許可でやっていた。そのイーストウインドにお金を出してもらい設立されたのが「ニュージーランド大好き社」である。私は、決して、ニュージーランド大好き社の野澤哲夫社長を批判しているわけでない。「詐欺師でペテン師」と、言っているだけです。「詐欺師でペテン師」に仕事を依頼したい人がいれば、それで良いと思う。仕事依頼する相手も「詐欺師でペテン師」だと思うからだ。

NCEAは、自分の成績に不満がある際、添削の再点検を要求できる。この仕組みは私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた頃にも導入されていた制度である。1科目につき25ドル(2,500円)だか、30ドル(3,000円)を追加手数料で支払うと、自分の答案の再点検を要求できる。
再点検の結果、点数が上がると、手数料として支払ったお金が戻ってくる。再点検の結果、点数が下がった時はどうなるのか。どの教員に聞いても答えてくれなかったことを覚えている。教育は「不確実性」に満ちているので、「答えられないという答え」が存在するからだ。
しかし、私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた時、ニュージーランドから海外へ戻ってしまった海外留学生の再点検は行わないとする規律が存在した。私は "Mathematics with Statistics"(確率統計学)という科目を履修しており、この成績が自己採点より低かった。私は余裕で、(最低でも)97%は取れていると確信していた(注:ニュージーランドの成績開示はパーセンテージ表示)。
得点開示された成績でも、十分、合格点に達していたが、それでも、97%より低い成績になった。これに不満を感じたが、この不思議な規律のため、既に日本に帰国していた私は、試験を統括する "NZQA"(ニュージーランドの資格審査機関)にクレームを入れることができなかったのだ。

日本人の留学エージェントは、「ニュージーランドは極めて公平で平等な社会」であると絶賛しているが、私からすると「極めて不公平で不平等な社会」なのだ。なぜ、日本に帰国した海外留学生は、成績の再点検を要求できないのか。試験料は、現地生も、留学生もまったく同じである。しかし、現地生に再点検は認められ、海外留学生の再点検はやりません! って、皆さんは、不公平で不平等な仕組みだと思いませんか? これは実際に、私に起きたことである。

ニュージーランドに学ぶ海外留学生は、不公平で不平等でも、何かを言ってはいけない。それは許されない。発言も許されない。黙っていなくてはいけない。いまどき北朝鮮だってやらない「言論統制」である。これのどこが「公平で平等なニュージーランド社会」なのか、私にはまったく理解できない。2022年になっても理解できない。この仕組みを言語で説明できる人に出会いたい。本当に、心の底から、そう、思います。

この科目で「99%」の成績を取った同級生は、カンタベリー大学に進学し、数学者になった。ド田舎の僻地にあるカンタベリー大学で、数学の Ph.D. が取れることにも驚いたが、職安に行っても数学者の求人なんか出ていないので、この同級生は就職に難儀した。Ph.D. 取得後、アメリカの無名大学でポスドクをやり、任期終了後は、ニュージーランドに戻り家庭教師をやり、再度、渡米し、またもや無名の短大で助教授(助手扱い)になった後、行方不明になった。下手に数学で 99% の成績なんか取るもんじゃないなと思います。でも、絶対に私は、97%は(最低でも)取れていたはず。いまでも、試験問題を覚えている。あの成績は、点数をつけた人が間違っている。これが私が、どれだけニュージーランドのハイテク化が進んでも、情報処理する人の能力が低いので意味がないとする根拠である。身をもって経験していますから、外野席から、塀の外から、見たことのないニュージーランドの内部を絶賛する在留邦人とは違います。この恨みは、永久に忘れない。

私の数学担当教師は『自分の採点時は午前3時までかかるので間違いもある』『不満があれば納得するまで要求しろ』と言われていたので、添削の再点検を要求したかったが『おまえはダメ!』と、門前払いを食らいできませんでした。これのどこが平等で公平な社会なのでしょう? 言語で説明できる人は、エビデンスを出し、客観的根拠を示し、明確に説明してください。心の底からお願いします。

皆さんも、私の言葉には説得力あると思いませんか? 私の言葉は在留邦人が語る「嘘」「デタラメ」「妄想」で作り出した虚構のニュージーランドではありません。
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在留邦人は幸せになれない [在留邦人批判]

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「コロナより深刻なニュージーランドの肥満」というタイトルで、6,500字 まで書いたが、飽きたので、全て消した。

実際に、ニュージーランドの肥満は、コロナより深刻な状況にある。
ニュージーランドは「アメリカ」「メキシコ」「チリ」に次ぐ、世界で4番目の肥満村である。「肥満大国(たいこく)」と呼べるほど、人が住んでいないので、「肥満村」とするのが最も適した日本語だろう。

ニュージーランドの大人の3人に1人、子供の8人に1人は「肥満」である。これは、先進国の中では、最も悪い数字である。

在留邦人が大嫌いな日本は、大韓民国と並び、大人も子供も、先進国の中で最も肥満率は低い。

在留邦人が日本を嫌う理由がよくわかります。在留邦人って、特に日本人女性って、太った人しかいないんだもの。マツコ・デラックスのように、ノッシノシ、ドスンドスンと、お相撲さんのような歩き方でやってくる。『あの人はサモアの人か、トンガの人か』と思ったら、日本の女性だったということがよくある。日本人女性は太った人しかいない。

良い年(25歳以上)をした日本人女性も、ニュージーランドでは人前で化粧をしない。化粧をしないことが日本との最大の違いであり「自由」らしい。だから、日本人女性は本当に汚い。歩く汚物。

それに加え、色黒なのに紫外線対策をしないので、肌は真っ黒。紫外線対策をしないことが「自由」らしい(注:「皮膚がん」と「白内障」の発症が多いニュージーランドでは幼稚園児にも紫外線対策が義務づけられている。小学生がサングラスを着用し登校する姿はファッションではなく白内障予防のためである)。

長い黒髪の手入れをしないので、日本人でなくても美容師が見たら "Sick" と、叫ぶこと間違いなし。髪の毛の手入れをしないことも日本には存在しない「自由」らしい。私には理解不能な在留邦人特有の倫理観である。

このような在留邦人でも苦労していれば、現地の民は『助けてやれ』と、私に言いに来る。同じ国から来ているので、言葉も習慣もわかるおまえは助けられるだろということらしい。『在留邦人とは日本語が通じない』『何か手伝ってもお礼も言わないからやりたくない』『パケハ(白人)が手伝うと喜ぶが、私が手伝うと、反感を持たれる』と、現地の民に説明しても、現地の民には理解できない。『そりゃー、そーだろーなー』と、思った。日本人同士、日本語が通じないとは普通は思わない。私だって思わない。しかし、在留邦人は異常人格者、精神病者しかいないので、日本語も、日本の習慣も通じない。本当に通じない。在留邦人から痛い目に合った日本人以外は、この意味が通じない。それゆえに、現地の民には通じないのだ。これは、言語の問題ではない。

美味しい物がないニュージーランドで、何を食べても水っぽい味しかしないニュージーランドで、何を食べると太るのか。ニュージーランドで「栄養失調気味」と言われた私には大きな疑問である。

私は、太った日本人女性は、ニュージーランドに行った方が良いと思う。たぶん、日本にいるより幸せになれる。ニュージーランドに行くと、周りは太った人しかいないので、太っていることがバレない。誰からも、何とも、言われない。『ニュージーランド人は、他人のことを、とやかく言わない』は、事実である。だって、太っている人に『あなたは、太っている』と言わない。『おまえに言われたくねーよ!』と、ツッコミが入るからね。

ニュージーランドが世界4位の肥満村であっても良いのだが、生活習慣病を起源とする循環器疾患(CVD)を患う患者は、17万人を超えている。ニュージーランド人の17人に1人は、心臓の病を抱え、90分に1人の割合で死亡している。ニュージーランドで死亡する3人に1人は、心臓の病を抱えているので、心臓病の研究は盛んに行われている。日本からも少ないが、心臓外科医がニュージーランドの病院に留学しているのは、それが理由である。

持病を抱える人が新型コロナウイルスに感染すると急激に悪化するが、ニュージーランドではこの報告例が極めて少ない。ニュージーランド保健省はこの報告を注視しているが、実は、これには「カラクリ」がある。
ニュージーランドでコロナに感染し死亡した時、死亡時の検査で「心臓病」を患っていれば、死因は「心臓病」になる。「コロナで死亡」とはならない。他方、日本では、交通事故で死亡した人でも、死亡時の検査で「コロナ陽性」となれば、「コロナで死亡」に分けられてしまう。ニュージーランドでは「コロナ陽性」でも、隔離してしまえば「コロナ陽性者」に入らない。このような「カラクリ」があるので、ニュージーランド保健省が発表する数字は「参考」に留める程度で、実数を見ても意味がない。実際に、コロナで何人が死亡したのか、ニュージーランド保健省は把握できていない。オークランド大学物理学科の ディオン・オニール博士(複雑系科学専攻)は『実際の感染者数は公表値の4倍』と試算している。

ニュージーランドではワクチンの2回目接種を終えた割合は94%に達し、5歳から11歳のワクチン接種率も50%に達した。ワクチン接種が進んだ理由に、ファストフードの無料提供が指摘されている。ワクチンを打つと、ケンタッキーフライドチキンがもらえる、ピザがもらえる、ケバブがもらえることから、ワクチン接種が進んだ。ファストフードはお店が無償提供するわけではなく(無償提供するほどニュージーランドの商人はやさしくない!)、公費で費用が賄われている。ニュージーランド政府は、ニュージーランド人の肥満対策に、年間20億ドル(2,000億円)を費やしている。公費を投入し肥満抑制を行う一方で、肥満の原因となるファストフードを配っている。オークランド大学栄養学講座教授のボイド・スウィンバーン教授は、ニュージーランド政府の対策を「極めて歪んだやり方」と、厳しく批判している。

ニュージーランドの「外側」にいても、ニュージーランドの「内側」のことがわかる私は『何か利益がないと、ニュージーランド人が自ら動くことはない』ことを、瞬時に判断できてしまう。特に、ケンタッキーフライドチキンの無償提供は「アタリ」だと思う。ケンタッキーフライドチキンは、ニュージーランドの外食の中でも高額な分類に入るので、これが無償提供されるとあれば、フライドチキン目当てに、ワクチンの接種が進む。『乞食が喜びそうなこと』と思います。

在留邦人は、クリスマスに(日本の)ケンタッキー店舗で行列ができる様子をイジったイギリスの新聞を引き合いに出し、日本を批判するが、ケンタッキーフライドチキンは、ニュージーランドでも大人気である。
ニュージーランドは宗教を中心に社会が動く宗教立国なので、クリスマスは法律で「特別な日」に指定されることから、ケンタッキーは営業できない。しかし、12月24日と12月26日は、ケンタッキー店舗前では大行列ができる。
オークランドで107日間続いた都市封鎖が解除された2021年12月3日、最初に行列ができた店は、床屋と、ケンタッキーフライドチキンである。

在留邦人の「ケンタッキー論 」から生じる「日本叩き」は、意味をなさない。
日本KFCは、クリスマス7日間で70億円を売り上げるが、これは、年間売り上げの、わずか、15%にすぎない。
私の肌感覚では、クリスマスにフライドチキンを食べるのは、年配の人だけで、若い人は正月にフライドチキンを食べている。日本KFCが使用する鶏肉は生後38日の国産鶏に限定し(一般的なフライドチキンは生後50日の鶏肉を使用)、衛生管理された店内調理、持ち帰りに特化と、食品に厳しい目を向ける日本人の「食べたい」が詰まったエグい商戦を展開している。正月に販売する「ケンタお重」は、クリスマス商品より割安感があり、若者受けする。実際に「ケンタお重」は、毎年、完売する。日本のケンタッキーに行列ができる理由は、言葉で説明できてしまい、ニュージーランドの「肥満とフライドチキン」とは、まったく異なるロジックが成立する。異なるロジックを比べても、何の意味もない。何の意味もないことを比べ、日本を叩いているのが、在留邦人である。

「子供の肥満」と「子供の貧困」は、相関関係があり、ニュージーランドの子供の7人に1人は貧困状態にあると、ユニセフが警告している。在留邦人が声高々に叫ぶニュージーランドの手厚い社会保障とは無縁の状況にある。

ニュージーランドでは、貧乏人はより貧乏になるので、格差拡大が止まらない。
2022年2月15日、救世軍の2022年度報告書は、ニュージーランドの子供の5人に1人は生活保護を受ける世帯で暮らしていると報告。国からの生活保護が打ち切られると、死に直面する子供が 21,000 人もいる。もう本当に、ギリギリのところで生きている子供たちがたくさんいる。これが、先進国のやることか? 在留邦人が「地上の楽園」と絶賛するニュージーランドを、ニュージーランド人は絶賛していない。

「子供のイジメ」は、ニュージーランドの社会問題であり、15歳~19歳の自殺率は、エストニアに次ぐ、世界第2位と、こちらも悲惨な状況にある。若年層の自殺者数は、年間600人(2020年:628人 2021年:607人)。コロナで死んだニュージーランドの十代の若者は、0人。

私は、ニュージーランドを離れ、本当に良かったと思う。
ニュージーランドに残っていたら、100%、自殺していた。
これだけは断言できる。私は、自殺していた。

ニュージーランドの若年層の健康と幸福に関する調査を行う "Youth 19" の報告書は、ニュージーランドの高校生の4人に1人、23%は、「鬱状態」にあると衝撃的な報告をしている。鬱になる高校生は、この10年で、2倍に増えた。ニュージーランドの生活環境を骨の髄まで知る私は『そーだろーね』と、思います。アジア系の生徒に限ると、4人に1人は、教員から不公平な対応をされ「人種差別を受けた」と答えている。これは、パケハ(白人)の生徒より、11%も高い。
東洋系の学生の鬱病率は29%と、極めて高い数字であるが、ニュージーランド社会はアジア系に無関心ですから、シカトされてます。"Youth 19" の報告書では、この「シカト」が大問題と指摘しているが、改善案に耳を傾けるパケハはいないのが現実である。

ニュージーランドの差別は、根深いところにある。
大人にこの差別は見えない。『子供のケンカ』『大したことじゃない』で済まされるので『ニュージーランドに差別はありません』になっちゃう。
これは、半分正しく、半分間違っている。
子供の中にある差別は、大人には、決して見えない。『そこに差別がある』と、指を差して指摘しても、大人には見えない。本当に見えない。なぜなら、それが「大人」という存在だからである。
しかし、数字は忠実に現状を物語り嘘はつかない。大人に見えない世界も数字は正確に記録する。これが「ニュージーランドに存在する見えない差別」である。

在留邦人は日本での経験があるから、親にこう言われた、学校でこうされ、太っている体形をイジメられたと言う。センシティブな思春期に言われたことを、いつまでも覚えている。それは、ニュージーランドの若者も、同じことをされているのだ。それを、25歳を過ぎた大人は理解できない。過去に自分がされたことは、いつまでも覚えており、そのことを根に持ち、反日感情となるのに、ニュージーランドで、いま、あなたの隣で起きているイジメと差別は見えない。それが「大人」になったことの意味である。だから、何でも、ニュージーランドのことが良く見える。自分が経験していない「夢の世界の出来事」だから、何でも良く見え、何でも良く思える。なぜなら、自分は何もしていないから。

私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたので、現地生活の「内野(ないや)」の状況がよくわかる。内野の守備につく現役プレイヤーだ。
他方、在留邦人は、25歳を過ぎた大人になり、初めてニュージーランドにやってきた「外野(がいや)」の客席に座るお客さんだ。自分もお客さんだと思い、周りもお客さんだと思っている。永久にお客さんだ。お客さんに内野(ないや)の状況はわからない。外野席から内野(ないや)で起きているクロスプレイ(微妙な判定)は見えるだろうか。見えたら内野(ないや)に審判はいらない。野球もクリケットも、内野に審判が立っている。何のために審判がいるのか、偏差値2しかない在留邦人も、さすがにわかるだろう。この意味がわからなければ、偏差値1に降格だ!

私も多くの在留邦人と同じく、25歳を過ぎてから、ニュージーランドに行ってみたかった。そこでは、在留邦人と同じく、ニュージーランドを絶賛できるのかと。「地上の楽園」「夢の国ネバーランド」と、ニュージーランドを絶賛できるのかと。
ニュージーランドで惨めな高校生をやり、いろいろな人からヒステリックな批判を受け、教員から怒鳴られ続けた私が、ニュージーランドに戻っても、嫌な記憶しか戻らない。私の人生のトラウマである。私も、眞子さまと同じく「複雑性PTSD」と診断されたい。

『1人でも感染者が出たら都市封鎖に踏み切る』と断言し、実際に都市封鎖に踏み切ったニュージーランドも、オミクロン株の感染拡大に歯止めが掛からず、感染者数は 6,000 人を超えた(2022年2月24日: 6,137人)。
『国が国民の命を守っている』『どこまで優しいんだ』と、アーダーン首相を絶賛していた在留邦人は、まだ、41歳の女性首相を絶賛しているのでしょうか。
ウェリントンの議事堂前では、反ワクチン派による大規模な抗議活動が展開され、2022年2月28日に新学期を迎える予定であったヴィクトリア大学は、大学校舎で暴動が起きることを恐れ、8週間の新学期延期を決めた。既にウェリントン入りしていた学生たちは『俺たち、8週間も、どうなるの???』と、困惑している。
ニュージーランドは労使関係が悪く、選挙で選ばれた政治家より、労働組合が強靭な権限を持つ左派社会なので、このようなことがフツーに起きる。8週間も取り残された学生たちが、どうなるのかなんて『そんなの関係ねー! ハーイ! おっぱっぴー♪』と、労働組合の手厚い保護を受ける教職員は、学生たちを置き去り、どこかへ遊びに行ってしまった。この労働環境を「天国」と絶賛するのが、在留邦人という存在である。ニュージーランドに来て初めて左派の存在に感銘を受け、射精だか、失禁だかをしてしまい、昇天しまった人たちが、在留邦人である。

ニュージーランドの民は政治に希望を持てないので、政治家の発言を注視して、投票率が高い。なぜなら、政治に希望を持てないから、選挙で政治家を落とすために投票に行くのだ。

『パジャマ姿で動画配信するアーダーン首相をニュージーランド国民は全面的に支持している』と、TBSの「グッとラック!」に出演し答えていた「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史も、消えていなくなった。あれだけ、嘘で嘘を固めた「虚構のニュージーランド」を描いたら、そりゃ、嘘がバレるよ。
「グッとラック!」の担当プロデューサーは、私の同級生です。創造性のカケラすらない、会社の名前だけで大きくなった典型的な人間が担当する番組なので『こんな番組、すぐになくなる』と思ったら、本当になくなってしまいました。番組がなくなったので、長田雅史が得意とする「日本叩き」「日本潰し」「日本バッシング」はできなくなってしまった。残念でした。いまでは、ニュージーランドを担ぐ日本のメディアは、1つもない。「コロナの優等生」と言われたニュージーランドは、単なる、幻想だったのだ。

在留邦人はニュージーランドに感謝するのではなく、日本に感謝すべきである。
在留邦人は日本の生活について行けず、日本から蹴り出され、世界の僻地へ逃げて行った。
そして、日本という比較対象ができたことで、ニュージーランドで乞食として生きることを決めた人たちだ。乞食でも難民でも、働く者を手厚くもてなすのが労働組合。比較対象となる下地を作ったのは、ニュージーランドではなく日本である。それ故に、在留邦人は日本に感謝すべきなのである。
しかし在留邦人で、日本に感謝する人はいるのだろうか? 1人もいない。どの在留邦人も、日本批判と日本叩きは繰り返すが、日本に感謝する心は持たない。感謝の心を持たない在留邦人に幸せはやってこない。「幸せは歩いて来ない、だから、歩いて行くんだね」と、気がつかせてくれたのは日本であり、ニュージーランドではない。ニュージーランドは、在留邦人に何もせず、今後も、何もしていない。都合が悪くなれば『おまえらは国籍のある国へ帰れ』でオシマイ。

感謝の心を持たない在留邦人は幸せになれない。永久に、永遠に幸せになれない。お母さんが幸せになれないから、自分の子も幸せになれない。残念でした。子供はセンシティブだから『うちのお母さんは頭がおかしい』『お母さんはヘンな人』と言い出すのはそれが理由。子供は自分の親をよくわかっている。かつてのあなたが、自分の親を批判したように、これから自分の子に批判され、バカにされ、相手にされない。そして、独り孤独に最期を迎える。辛く、貧しい、在留邦人の最期だ。
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ニュージーランドはなくていい [在留邦人批判]

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この1ヵ月、私は2つのことを考えていた。

1つは、2021年12月30日 午前6時30分ごろ、東京都杉並区方南2丁目の環状七号線で、男性が都バスにひかれ死亡した。
ここは、私が車で通勤する際に使用する通勤道路である。この場所を知る人はわかると思うが、立正佼成会の大聖堂から方南町駅へ、上り坂になっており、速度が出ることはない。私が運転する時は、時速30kmが最高速度である(制限速度は50km)。中央分離帯にフェンスが張られ道路を横断することはできない。その場所で事故は起きた。都バスに搭載されたドライブレコーダーには、被害者が歩道側から車道に倒れ込む姿が映っていた。事故なのか、自殺なのか不明だが、死亡事故となった。
事故現場には近隣住民から花束が10束ほど手向けられ、缶ビールや缶ジュースが10缶ほど供えられた。これらは全て私的な行動であり、町内会や商店街、杉並区や警視庁がおカネを出し供えた物ではない。誰なのかわからない、見たこともない人の事故現場へやってきて、死者の御霊を供養し、祈りを捧げる。
同じことがニュージーランドで起きた時、在留邦人は口(くち)を揃え『ニュージーランド人は、何と、やさしい心を持つ人たちなのか』と、絶賛することは目に見えてわかる。環七で起きた交通事故現場を見た在留邦人は、同じことを思うのだろうか。

もう1つは、私のブログから記事を無断盗用し、URLを無断使用した自称・韓国籍の "Yon Slowalker" が、私をニュージーランド警察に通報するとのことで、どのように、ニュージーランド警察が私を逮捕するのか、ワクワク、ドキドキ、ココロをトキメかせ待つも、何ごともスーパースローに動くニュージーランドから、
||Φ|(|´|Д|`|)|Φ|| (タイーホ) の通知はきていない。今、きていないので、今後もこないだろう。これには、非常に落胆したのだ。私の、ワクワク、ドキドキ、それに、トキメキを返してもらいたい。

日本国の在外公館には「警備対策官」と呼ばれる警察官が常駐し、閣僚や国会議員の訪問時に地元警察と連携し、警備を担当する専門官が派遣されている。この警察官の身分は外交官であり、警備責任者になるので、二等書記官の職位が与えられる。ウェリントンの日本国大使館にも警察官が派遣されている。
他方、ニュージーランドはビンボーな国なので、ニュージーランド外務省は日本国へ警察官を派遣できない。そもそも、神山町の駐日ニュージーランド大使館に勤務する外交官は6名くらいしかおらず、それ以外の職員は、日本で採用された有期採用の日本人職員なので、何の権限も有していない。ニュージーランド軍から軍人1名が派遣されているが、この軍人は安全保障担当官であり、自衛隊との交渉役である。軍人なので逮捕権を有することなく、私を逮捕できない。「治外法権」があることから、ニュージーランド警察は私を逮捕できないのが現実である。日本国が「犯罪人引渡し条約」を結ぶ国は、韓国と、アメリカだけなので、仮に私がニュージーランド国内で犯罪行為を行っても、日本国にいるかぎり、日本側は身柄の引き渡しに応じることはない。カルロス・ゴーンが、レバノンで悠悠自適な生活を送るのと中身は同じです。やっぱり、私のワクワク、ドキドキ、それに、トキメキを返してもらいたい。

ニュージーランドで著作権法違反は刑事罰の対象となり、最高で懲役5年、罰金15万ドル(1,500万円)の刑事罰になる。同じく、私の書き込みを無断使用した「Gekkan NZ(月刊ニュージーランド)」に対し、私は、社長の 村山 晴政 氏を相手に刑事告訴を起こしたが、ニュージーランド警察は注意もしなければ身柄拘束もしなかった。ニュージーランドのいい加減な社会環境を熟知する私にとっては、そよ風が吹くようなものだった。
「Gekkan NZ(月刊ニュージーランド)」は自社サイトに「当サイトに掲載の記事・写真・図版について、無断掲載・使用を禁じます。」と記載し、オチが弱すぎて、笑いたくても笑えません。「人のものは自分のもの」「自分のものは自分のもの」「自分のものが取られたら通報する」「自分が通報されてもガン無視」と、自称・韓国籍のキチガイと、やっていることは同じである。私が常々「在留邦人はキチガイしかいない」「キチガイもいるではなく、キチガイしかいない」という理由が、おわかりいただける事例だろう。

自称・韓国籍の "Yon Slowalker" については、facebookに著作権侵害で通報をしたが、facebookは、人種差別に関する投稿の処理に忙しく、この程度の権利侵害はガン無視された。しかし、facebookは対象者を把握しているので、今後の捜査対象に記載される。法手続きとは、段階的に踏むと、かなり踏み込める。ある日、突然、アカウント停止というのは、その瞬間がきたということなのだ。「ニュージーランド大好き社」の 野澤 哲夫 社長のfacebookアカウントも、凍結されちゃったしね。何で、凍結されたんですかね? 何か悪いことでもやったんですかね? 大きな疑問です。

自称・韓国籍の "Yon Slowalker" は、私が "note" に書いた文面にもイチャモンをつけ、私が「車で歩道を走っている」と、大きな勘違いしている。これ、田舎者がよく間違う事例である。『あー、また、はじまった』と、性格の悪い都会っ子の私は思った。

画像は、東京都杉並区阿佐谷南1丁目25−24「むつみ荘」前である。
これが、東京23区内の平均的な住宅道路である。この道路を、車、歩行者、自転車、オートバイ、車いす、ベビーカー、キックスクーターに、ウーバーイーツの暴走配達員が共有し使用する。この道路は一方通行ではなく、向かいから対向車がやってくる。車線には、自転車が通行可能であることを示す「自転車ナビマーク」と、自転車が進むべき方向を示す「自転車ナビライン」が設置されている(設置したのは警視庁)。この道路では、自転車と自動車が同じ道を共有し使用できることを表示している。それ故にこの道は「車道」であり「歩道」である。

むつみ荘の向かいには「杉並幼稚園」、むつみ荘から 100m 先、右側には、「杉並区立杉並第六小学校」があり、幼稚園と小学校へ通う児童の通学路に指定されている。児童はこの道路を通り幼稚園と小学校へ通うのだ。杉並区民はここを生活道路として使用している。ここは「車道」であり「歩道」である。

私は、全長4900mm × 全幅1860mm の、10代目・ホンダアコードを所有しているが、アコードでこの道を走ると、道路幅員の7割くらいを私の車が占領する。対向車線からゴミ収集車が来た時は、同時にすれ違うことはできない。杉並区民は、ここで生活をしているのだ。

土地が有り余る田舎では「車道」と「歩道」が明確に分かれているため、自分が生まれ育った田舎と東京23区特別区を比べてしまい、トンチンカンな発言になってしまう。

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた時、クライストチャーチは世界の僻地に位置するド田舎なので、「車道」と「歩道」は明確に分かれていた。土地が有り余っているので、車道と歩道を分けても、まだ、土地が余る。「田舎の論理」で東京23区を論じるから「車で歩道を走っている」と、トンチンカンな発言になる。自分が間違えているのに、自らの醜態に気がつかない。キチガイだから。キチガイに『あなたはキチガイだからトンチンカンなんだよ』『もう、死ぬしか方法はない』と言っても通じない。キチガイだから。

私が惨めな高校生をやっていたクライストチャーチのキリスト教学校にも、自閉症の生徒がいたが、自閉症児とは、まったく会話が成立しなかった。自閉症の生徒は、「自分の中の自分」と対話を続けるだけで、いつも『うー』「あー』と、唸るだけなので、性格の悪い私は『消えていなくなれ』と思った。ニュージーランドは多様性あふれる、サスティナビリティに富んだド田舎なので、差別意識を持っても、侮蔑発言をしても、ニュージーランド社会は寛容に受け入れます。だって、多様性あふれる、サスティナビリティに富んだド田舎ですからね。保身的な日本とは大違いです。

ニュージーランドでは「犬」と「子供」と「キチガイ」は同じ扱いを受けるので、キチガイでも、不利益は受けないが、やっぱりキチガイは気持ち悪い。皆さんも、そう、思いませんか? そう思うなら、ハッキリ、口に出して発言しましょう。『キチガイは死ね』と。ニュージーランドは多様性あふれる、サスティナビリティに富んだド田舎ですから、それが受け入れられます。

ちなみに、ニュージーランドでは、「猫」と「子供」と「キチガイ」は同列ではありません。「猫」は「猫」なので、「犬」と同じ特権的地位は与えられない。怪我をした猫、高齢の猫は、例外なく「安楽死」処分になる。獣医も『こりゃ、安楽死だな』で、終わり。すぐに薬物投与による処分がされるので、20秒で死んでしまい、「犬」とは扱いが異なる。ニュージーランドで「猫」は「猫」なんです。「猫」に「犬」の地位が与えられることはない。

ニュージーランドは世界的にも稀な「安楽死」を認める国なので(世界に7か国しかない)、自称・韓国籍の "Yon Slowalker" にも安楽死が認められることを神に願います。皆さんも、自称・韓国籍の "Yon Slowalker" が、安楽死処分になることを、お願いしてください。キチガイだから、安楽死しかないと思います。キチガイだから、安楽死の意味も理解できない。キチガイとは、そーいうものです。

2019年3月15日、クライストチャーチのモスクで51人のイスラム教徒が殺害された銃乱射事件は、まさに、多様性あふれるニュージーランドを象徴する出来事だ。死亡者数51名とは、第二次世界大戦以降では、最大の死亡者数である。

ニュージーランド国内に流通する銃は120万丁を超えており、ニュージーランド国民の4人に1人の割合で銃が所持される「世界有数の銃社会」であることから、ニュージーランド警察による大規模な銃規制が実施された。「世界有数の銃社会」でなければ、銃規制なんかやらない。日本で銃規制はやっていますか?
この銃規制により、国内に流通する120万丁を超える銃のうち、56,350丁の回収に成功した。なんと! 5%もの銃の回収に成功したのです! 素晴らしい実績だと思いませんか! なにごともスーパースローに動くニュージーランドで、クイックレスポンス、快挙達成です! Well done ! New Zealand ! まさに「光速の動き」としか表現できません! いまだに95%の銃は手つかず、管理体制も把握されず、市中に流通しているわけですが、ニュージーランドの多様性とサスティナビリティを象徴する事例だと思いませんか! 私はまったく思いません!

自称・韓国籍の "Yon Slowalker" は、私のプロフィール写真を20年前のものと書き込んでいるが、20年前の2002年にスマートフォンってありましたっけ?私は2002年に、NTTドコモの「P504i」を使用しており、スマートフォンは存在していなかった。無知って恥を超え「痛い」なって、思います。皆さんも『キチガイの言うことって、キチガイだな』って、思いませんか?

自称・韓国籍の "Yon Slowalker" が書き込んだ福沢諭吉の思想について、私が反論しなかったことを根に持っている。だってその福沢諭吉に関する解釈、間違っているんだもの。反論できません。
慶應義塾では入学時に全新入生に「福翁自伝」が配布される。私は今でも自分の「福翁自伝」を持っている。少なくともこの程度の資料は読んでから私にコメントを寄せるべきだ。人にものを訊くなら、勉強してから来い!

私のブログを読み、イチイチ、批判を書き込む時間があるのなら、その時間で、正しい教科書を使い、正しい勉強法で、正しい指導者に添削してもらえば、悪い頭が、一つ、賢くなる。そちらの方が、よほど、有益な時間になる。私は、そのような時間の使い方をオススメいたします。

ニュージーランドの警察官の目の前で大麻草を吸い制止される "Yon Slowalker" は、ニュージーランドが好きなことを実感する。私がニュージーランドを叩くと怒り狂う。ヲタクと同じで、自分が好きなものを他人に批判されると猛烈に怒りだす。私もヲタクなので骨の髄までわかります。私はヲタクであることを批判されても、批判される理由があるのも事実なので「しゃーない」と諦めますが。

在留邦人も、本当にニュージーランドが好きなんだなと。この世に存在しない「自分だけが理想郷とするニュージーランド」が好きなのだと。ニュージーランド人の誰に聞いても『そんなニュージーランドがあるわけない』『そこがニュージーランドというのなら、そこはニュージーランドではない』と答える夢の国・ネバーランドがニュージーランドなのだと。ヲタクが自分が溺愛する物を他人に批判されると猛烈に怒りだす構図と一緒だなと。私がニュージーランドを叩くと、"Yon Slowalker" のようなキチガイが私を叩き始める。「ニュージーランド LOVE」じゃなければ、こんなこと、やりませんよ。時間の無駄だもの。時間を無駄にしても、やるだけの価値がある。それが、「ニュージーランド LOVE」という精神異常者なのだ。

ニュージーランドを出て行くニュージーランド人は人口の1%に相当する4万人。毎年、4万人がニュージーランドを捨て去る現実を見ると、ニュージーランド人はニュージーランドをよく思っていないことがよくわかるのだ。
世界各地に散らばるニュージーランド人は100万人を超えており、ニュージーランド人の4人に1人は、ニュージーランドを捨て去り、他の地で暮らしている。ニュージーランド人はニュージーランドのことをよくわかっている。何もわかっていないのは、夢の国・ネバーランドに住む在留邦人だけ。私も、夢の国・ネバーランドに住んでみたいものだ。

芸能リポーターを40年続けた前田忠明が、興味深いインタビューに応えている。
「SNSの登場により、一方的な報道に対し、本人が声を上げられるようになった利点は大きい。他方で、「本人が言ってるから真実」と疑いもなく妄信するのは危険。人間、都合の悪いことは隠す。何を言っても信じてくれるファンはありがたい存在。でも、本当にそれでいいのかなと。仮に嘘をついて乗り切れば、また嘘を繰り返す。すると、ファンも減っていく。厳しく突っ込んだり、疑問をぶつけたりする人って必要なんです。」
「ニュージーランド LOVE」の在留邦人が、妄信でないことを願うばかりだ。

この画像の場所は「リトルトゥース」はよくわかると思うが、オードリーの春日が住んでいた「むつみ荘」前である。むつみは、春日が退去してからリフォームしたので綺麗になった。「むつみ荘」の看板上にあった4つの郵便受け(春日は201号室)がなくなっているでしょ。郵便受けは2階のドアの横に移動した。「大家の鈴木さん(故人)」がアヒルを飼っていたのは、アサヒ飲料の青い自動販売機の横。野良猫も通れないくらい細い隙間で、アヒルを飼っていた。春日のいた201号室へ通じる階段を上ったことがある人はわかると思うけれど、この階段は非常に急で、上り下りが危険域に達している。私は落ちそうになり、怖かったので、一度しか上ったことがない。この階段を上り下りして郵便物を配達する郵便屋さん、宅配便を届けるゆうパックマンは、心底、可哀そうだと思います。
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ニュージーランドで日本人詐欺師を見つける方法 ー ニュージーランドで生き残る唯一にして最大の技術 ー [在留邦人批判]

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もうこのブログに飽きているが、毎日600 - 800人が見に来ている。
このブログに、何か楽しいことが書いてあるのか、書いている人が知りたいです。

イーストウインドの詐欺事件は、もうすぐ4年目に入るが、進展はない。何事も、スーパースローに動くニュージーランドなので、捜査も遅いを超え、忘れ去られたと思う。「予防医学は存在しない」と豪語していた田中らしく、風呂で溺死し、生前から『ピンコロ ピンコロ』と、公言していた通りの死に方をした。その1年後には、捜査当局の事情聴取に、一切、応じることのなかった中国人妻が自殺し、これも田中の言う『ピンコロ ピンコロ』だったのか。『ピンコロ ピンコロ』なら、自殺する理由はなく、素直に事情聴取に応じていたはずだ。謎の娘・ミユキは、事件後に東京・豊洲のマンションを売り払い失踪、自閉症の息子・竜馬の所在もつかめず、そもそも、この2人は、本当に実在した人物なのかもわからない。

田中を中心とする「日本人村」の村民である「ニュージーランド大好き社」の野澤哲夫社長、クイーンズタウン「TATSUMI」のオーナー・キガミ(ツダ)ヨウコ氏など、田中の世話になった人ほど、田中について口(くち)を閉ざしたままである。このまま田中との関係については、墓場まで持って行くのだろう。倒産直前まで、イーストウインドで働いていた在留邦人は、十数名いたにも関わらず、この人たちも、一切の口(くち)を開かない。イーストウインドには中国人従業員も勤務しており、中国系・韓国系弁護士で占められた弁護士事務所、中国人会計士が代表を務める会計事務所も、イーストウインドおよび田中との関係を話すことはない。田中に関係した人間は、田中を闇へ葬り、永久にこの件に触れたくない。田中のことを、誰一人として、信じる者はいなかったのだ。「信じる者」と書いて「儲かる」という字になることから、「儲けを出した人」を「信者」と呼ぶが、田中は利用されただけで、「信者」はいなかった。数々の悪さをして生き延びた田中も、さすがに、このロジックは解けなかった。イーストウインドの詐欺事件に進展が見られない最大の理由は、「田中」の正体が、いまだに見えないことにある。

今後、イーストウインドの詐欺事件に進展が見られた際は、有料記事で発表する。
一購読・4万3,000円に設定するので、皆さんは、進展がないことを願っていてください。田中と「黒い関係」を持つ多くの在留邦人が、そう願うように。

日本のニュースで、ニュージーランドのことが報じられることは滅多にないが、気になるニュースがあった。

ニュージーランドで、煙草が吸えなくなるというニュース。嫌煙家は大絶賛し、『日本もニュージーランドを見習え!』と、シュプレヒコールを上げ、同じく嫌煙家であるニュージーランド大好き社の野澤社長も大絶賛したことでしょう。喫煙者の私には厳しい報道である。

しかし、このニュース、ニュージーランド国内では、まったく報じらていない。それゆえに、ニュージーランドの人に煙草が吸えなくなると言えば、大暴動が起き、商店は襲撃され、煙草が持ち去られることは確実である。私の懸念は、この大暴動に、ニュージーランド社会が耐えられるのかということにある。

この情報発信元をさぐると、どうやら、イギリスのメディアが第一報を報じたようだ。ニュージーランドの報道は、ロンドン発か、ジャカルタ発がその大半を占めるので、『やっぱりか』と、落胆した。海外メディアが他国の報道を流すと、「伝言ゲーム」で、おかしな内容になってしまう。

ニュージーランド政府は「パーラメント」と呼ばれる議会へ「2008年以降に生まれた者が紙巻き煙草・葉巻の購入を禁止する法案」の提出を検討しているという報道が、「伝言ゲーム」で、「ニュージーランドでは煙草は吸えない」に変わってしまった。これをそのまま、ニュージーランド人に伝えれば、『えっ? ニュージーランドで煙草は吸えないのか?』と、ニュージーランド人が驚いてしまう。「伝言ゲーム」の怖さはここにある。

2020年6月、ニュージーランド保健省は、14 - 15歳の20人に1人、中等学校の1クラスに2人が喫煙をしているとする調査報告書を公表した。毎日、喫煙する14 -15歳は、3,000人。悪い数字ばかりが並ぶため、ニュージーランド政府は若年層に対し紙巻き煙草・葉巻の販売規制に踏み切る構えだ。特に、マオリの喫煙率は(非マオリに対し)2.5倍、ポリネシア系は(非ポリネシア系に対し)2倍と高く、どの人種間でも底辺校に在籍する生徒は(非底辺校の生徒に対し)2倍の喫煙率になっている。ニュージーランドの喫煙問題は、人種問題であり、貧困問題なのである。

在留邦人は『学校は底辺校でもトップ校でも卒業すればどこでも同じ』と言うが、違うんだよ。そこで受ける影響がまったく異なる。卒業資格は同じでも、在学時に受ける影響がまったく異なる。卒業後の人間関係や人脈もまったく異なる。コネ・ツテ・地縁・血縁を重視するニュージーランド社会で「生き残るための武器」となる要素がなければ「死」に直結する。これが、大格差社会・ニュージーランドの正体である。この点を、在留邦人はまったく理解していない。ニュージーランドの喫煙問題は、人種問題であり、貧困問題である。

嫌煙家の野澤哲夫 社長 は『煙草を吸う人がいると服に煙草のニオイが移るから嫌なんだ』と、非喫煙者の前で苛立つので、非喫煙者は迷惑に感じる。だって、文句を言われる人は、煙草を吸っていない人だからね。私からすると「ハラスメント(嫌がらせ)」に感じるのだ。文句があるなら煙草を吸う人の前に行って、直接、その人に伝えればいいのにね。でもそれは決して行わず、煙草を吸わない人に文句を言って、嫌がらせを行う。これが、嫌煙家の特徴である。

ニュージーランド人の倫理観に訴えても喫煙環境は変わらない。『人前で煙草を吸って何が悪い』となる。それゆえに、公共機関・飲食店・学校での喫煙を厳しく制限する法律を導入した。自分の頭で考え、自主的に行動することができないので法律で縛る。そして、法律で縛られることを「善」と判断する在留邦人。同じことを日本でされると「人権侵害」と騒ぐのにね。

日本で底辺校へ通った人はわかると思うけれど、底辺校は校則で生徒を縛りつける。あれもダメ、これもダメと、生徒を規則で縛る。規則で縛らないと生徒が問題を起こす。それが、底辺校である。教員も昼間は授業が成立しない問題児相手の対応に忙殺され、放課後は、問題児の保護者の無理難題に忙殺され、精神疾患で休職する教員は 5,000人 を超える。底辺校に勤務する教員の離職率は高く、若い教員ほど辞めてしまうので、教員間で指導技術が継承されることなく、教員個人への負担だけが増加する。

日本でトップ校に通った人はわかると思うけれど、トップ校に規則はない。規則がないから校則もない。制服もなければ、髪形も自由。バイトも自由。ダメなのは、下駄を履いての登下校(転ぶから)と、麻雀くらい。教員も生徒指導で何も言わない。進路指導もない。無駄な指導に縛られない教員の離職率は極めて低く、私立校であれば新卒採用から43年間を同じトップ校で過ごす教員が大半である。教員間の意思疎通が円滑に図られ、指導技術が継承され、教員が代わっても学校のレベルは落ちない。それでも生徒たちは自主的に、毎日、12時間の勉強をする。教員は『おまえらはトップ校の生徒だ。勉強はやらなくていい』と言っても、生徒は、毎日、12時間の勉強を続ける。夏休みも冬休みも春休みも12時間の勉強はやめず、バイトもやらず、髪も染めない。服装は一年中同じ。太った生徒も、痩せた生徒も、背の高い生徒も、背の低い生徒も、誰も見た目を指摘しないので、誰からも何も言われず、差別を受けることなく、自由な青春期を過ごす。運動ができる生徒は「個性」と評価され、運動ができない生徒も「個性」と評価されるので、運動ができても英雄になれず、運動ができなくてもバカにされない。なぜなら、それが「個性」だから。自分の頭で「何をすべきか」「何が必要ないのか」「何が足りていないのか」、全てを判断し、最適な解を見つけ出す。そのために教員を使い、成功への道順を最短で見つけ、最大の努力をする。トップ校の生活では、正しい方向で努力する姿勢が、必然と身につく。教員はその補佐をするだけで、指導はやらない。教員も無駄な指導に忙殺されないので質の高い授業が行われ、古き良き「師弟関係」が継承される。優秀な卒業生ほど母校へ戻り、後輩を育てる。これが、トップ校である。

改めてニュージーランドを見てみよう。政府は規則で国民を縛りつける。罰則を導入し国民を規制で縛りつける。それを何とか抜け出し、規則から逃げるのがニュージーランド流。「逃げるが勝ち」「逃げ切ることが正義」となる。ニュージーランドでは、2020年度の都市封鎖(ロックダウン)中に政府が設けた規制を破り、640人が逮捕され、460人が起訴された。起訴された内の2割、85名は有罪判決を受け、刑務所に収監された。無罪判決、または、不起訴処分となったのは、わずか4人に1人。これが、ニュージーランドの日常であり、日本の底辺校と同じ環境なのである。
日本でビンボーな人は、ニュージーランドでも生きていける。ニュージーランドは、国全体がビンボーだからね。物理的にも、精神的にも、ビンボー。ビンボーな人間しかいない。それが、ニュージーランドというビンボーな国なので、ビンボーが目立たない。ビンボーの中ではビンボーはビンボーと言われない。在留邦人を見てよ、ビンボーしかいないから。

喫煙環境を規則と罰則で縛りつけるニュージーランド。皆さんには、ニュージーランドが、ビンボーな国、地上で最下層に位置する国に写りませんか?

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた頃、クライストチャーチのタクシーに乗ると、どのドライバーも煙草を吸いながら片手ハンドルで運転をしていた。『それ、Uberだろ! 嘘つくな!』と、言われても、"Uber" ではない。30年前に、"Uber" は、存在していなかった。クライストチャーチでは誰もが知る「3799-799」(←タクシーを呼ぶ電話番号)でお馴染みの "Blue Star Taxis" の運転手も、煙草を吸いながら運転していた。運転席側の窓を開け片手ハンドルで運転するのは、換気のためではなく、運転手が吸い殻を投げ捨てるためである。何度か韓国人のタクシー運転手にも当たったが、どの運転手も煙草を吸いながら運転していた(注:一般的にニュージーランドのタクシーでは乗客が1名の時は助手席に座る(後部座席に座ることも可能))。煙草を吸わない運転手に当たると「珍しい人」だと思った。大学でもテラス席を陣取る教職員の吐き出す煙で、蒸気機関車が到着したのかと疑った。そこに蒸気機関車はなかったので、教職員の吐き出す煙だと理解したのだ。これが、私の記憶にあるニュージーランドの喫煙環境なので、嫌煙家の野澤社長がタイムマシーンで30年前に戻れば、タクシー運転手と一緒に煙草を吸いながら "G'day Mate" と挨拶を交わしていると思います。私のような喫煙者を嫌いになっても(私が喫煙を始めたのは30歳を過ぎてからです)、喫煙環境は嫌いにならないでください。なぜならそれは、日本でもニュージーランドでも、まったく同じだからです。何一つ、違いはありません。ニュージーランドだけを贔屓(ひいき)してはいけない。現実を認識せず、良識な判断は下せない。

ニュージーランド政府がこの法案を通しても、そもそも、14 - 15歳に煙草の販売は許可されていないので、あまり意味のない法案である。ニュージーランドでは、喫煙可能な法定年齢は18歳なので、14 - 15歳の喫煙は違法であり、この年齢層に煙草を販売をすると販売店は厳しく処罰される。違反者は個人で500ドル(5万円)、組織的犯行の場合は1,000ドル(10万円)、より悪質と判断されると起訴され、個人で5,000ドル(50万円)、組織的犯行の場合は10,000ドル(100万円)の罰金刑となる。販売店が購入者の身分証を確認せず、煙草を販売してしまうと、100万円の罰金刑に処せられる重たい罪である。それだけニュージーランドでは、煙草の扱いを慎重に行う。在留邦人は『法律を無視する緩いニュージーランドが大好き!』と、絶賛するが、ニュージーランド政府は絶賛していない。なぜならこれは、違法行為であるからだ。
では、14 - 15歳は、どこから煙草を入手しているのか。販売店は14 - 15歳に煙草を販売しないことから、親か兄弟、または、友達から譲り受ける、または、自分より年上の知り合いにお金を渡し、代理購入してもらい喫煙している。この割合が、実に、81%。そのためニュージーランド政府は、2008年に生まれた生徒が14歳になる2022年にこの法案の提出を検討していることが本題であり、『ニュージーランドでは煙草が吸えない』では、ないのである。ニュージーランドでは、過去も、現在も、そして未来も、安心して煙草が吸える。今後も、煙草が吸えなくなることは、永久にない。

この法案を通しても、喫煙の法定年齢を超えた者に対する煙草の販売規制は発動できない。「社会に開かれた民主的な社会主義国」であるニュージーランドにも「人権」が存在するからだ。煙草が吸える年齢の者に煙草を販売しないとなれば「人権」に関わる重大案件である。2020年3月、ニュージーランド政府は「法的根拠」がない中で、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う都市封鎖(ロックダウン)を断行した。この都市封鎖について、国民の自由な行動を認めた「人権」に違反すると、弁護士や法学者から違法性を問われるも、ニュージーランド政府は「違法性はない」と、主張を続けた。2020年8月、ニュージーランド高等裁判所は都市封鎖の「正当性」は認めたが、法的根拠のないニュージーランド政府の都市封鎖を「違法」と認める判決を下した。ニュージーランド政府は控訴せず、敗訴を受け入れた。それだけ「人権」は重く扱われるのだ。同じことは、喫煙の法定年齢を超えた者に対しても行われるため、同じく「人権侵害」で、ニュージーランド政府が訴えを起こされる可能性が高い。ニュージーランドの法制度は「Common Law」と呼ばれるノルマン朝から 1,000年 に渡り続く法解釈を基本とするため、人権侵害で敗訴したニュージーランド政府の立場は、極めて弱い。

ニュージーランド人の喫煙率は 13.4% で、成人の8人に1人、50万人の喫煙人口を抱えている。特にマオリは(非マオリに対し)3倍の喫煙人口を抱え、ニュージーランドの社会問題になっている。ニュージーランド政府は2025年までに喫煙率を5%以下に抑える数値目標(Smokefree Aotearoa)を掲げているが、この目標達成は極めて難しく、そのため、若年層に焦点を当てた法案が、上記の法案である。この法案の骨子は、「紙巻き煙草・葉巻」に限定することから、現在、若年層の間で主流の「電子たばこ(Vape)」は、対象外になっている。私が「ゆる~いニュージーランド」を絶賛するなら、ここを突くけどね。『規制対象外をイジっても、意味ねーじゃん!』ってね。

現在、13.4%の喫煙率を5%に下げてしまうと、8,000店で販売している紙巻き煙草・葉巻の販売店舗数は500店で賄える計算になる。7,500店は、売り物がなくなるので、食っていけない。労働組合の権限が強靭なニュージーランドで、こんな自由なことが実現できるのかと疑問に感じたら、さっそく、「デイリー(←コンビニの意味)事業主会」のサニー・コウシャル組合長が猛反発を表明した。曰く『こんな法案が通れば、煙草取引は地下へもぐり、闇市場ができてしまう』『闇市場ができてしまえば、そのカネはギャング(←日本でいうヤクザ)に渡り、反社会的行為に使われ犯罪の温床になる』『どんなことがあってもこの法案を否決するため(まだ議会に提出すらされていないのにね)、現職の国会議員を動員した大規模な政治活動を展開する』と、怒りを爆発させている。
出ました! ニュージーランドの労働組合! 真打ちの登場です! 
ニュージーランドは民主的に選ばれた政府が国を動かすわけではない。組合員の意見を代弁し、経営側と政府に圧力を掛け、実質的に国を動かすのは「労働組合」である。労働組合の組合長は、エリザベス女王から勲章をもらうほどの権威主義である。この権威主義を怒らせると、政治どころか、国も、崩壊させることができる。ニュージーランドでは労働組合を怒らせると、結局は自分が、損をすることになる。これが、ニュージーランドで生きて行くために必要な要素。死んだイーストウインドの田中も労働組合には勝てなかった。死の直前まで『僕は労働組合にハメられた』『悪いのは労働組合』と、叫んでいたが、詐欺師が労働組合を批判しても説得力がない。詐欺師の田中におカネを出してもらい「ニュージーランド大好き社」を設立した野澤社長も、そう、思いませんか? 「ニュージーランド大好き社」の設立に使われたおカネも、詐欺で巻き上げたカネなんですかね? ニュージーランド大好き社ではなく「田中大好き社」に、社名変更したら、笑いが取れると思います。 クイーンズタウンの「TATSUMI」も「TANAKA」に屋号を変えたら、田中シンパでお店の経営は安定すると思いますが、ダメですか?

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた約30年前、ニュージーランドの紙巻き煙草の価格は、1箱・5ドル(500円)だった。それが、現在は4倍の20ドル(2,000円)になっている。周りにいた日本人留学生は 14 - 17歳 の生徒が大半であったが、私を除くほぼ全員が、喫煙者だった。未成年の女の子も、スパスパ煙草を吸い、それを自慢していた。典型的な「中二病」である。

喫煙者でない私が紙巻き煙草の価格を知っていた理由は、北海道からやって来た男子留学生に『煙草を買いたいが手持ちがないので5ドルを貸してくれ』と、言われたことにある。私はこの北海道からやって来た日本人を知らなかったが、ゴネることが面倒だったので、5ドルを貸してしまった。これが、悲劇の始まりだ。いつになっても貸した5ドルを返してくれない。北海道からやって来た日本人は私に5ドルを返さず、仲良くしている日本人たちとスクエア(町の中心部)にビリヤードをやりに行くというので、遊ぶ金があるなら貸したカネを返せと返金を求めると、『(普段から仲の良い)他の日本人がいる前で言うな』と、怒鳴られた。怒鳴りたいのはこちらである。カネを借りる時だけはヘコヘコやってきて、借りたカネは返さない。仲が良くない私であればカネを借りても気まずくならないわけで、仲の良い日本人の前でカネの話になると気まずいというのが、その理由らしい。親に養ってもらっている未成年の就学児の身分でありながら、ずいぶん、立派な態度だと思った。この北海道からやって来た日本人を、土に埋めたいと思った。皆さんも、そう、思いませんか? 人から借りたカネは返さず、お金を貸してくれた私を怒鳴りつける北海道の人間を、土に埋めたいと。後日、この北海道からやって来た人は、私の前にやってきて、机の上に5ドル札を叩きつけ、机を蹴り、椅子を蹴り、教室の扉を蹴り、私のいる教室から出て行った。周りにいた他の生徒が『何が起きたの』と、驚くほど、暴力的な返金姿勢であったが、私は5ドルを取り戻したので気分は良かった。以後、私の日本人留学生へ対する感情、そして、在留邦人へ対する感情は、現在と同じ印象の悪いものになった(このことについての詳しい記述は、このブログのどこかに書いてあるので、興味のある人は、探し出して読まないでください)。

日本人留学生は親が一緒に帯同していないので保護監督者がおらず、やりたい放題である。これは、現在に至るまで変わっていない。喫煙以外に、窃盗、無免許運転は当たり前だった。避妊をせず、性行為を行い、それを自慢する日本人留学生もいた(性行為の相手も日本人留学生)。精神的におかしな人ばかりなので、学校の屋根に上ってしまい屋根を歩き退学処分になった日本人留学生、教員の顔にツバを吐き退学処分になった日本人留学生もいた。これらの問題が起きた時に、内密に処理してくれるのが、現地で日本人留学生のお世話を請け負う日本人の留学エージェントの存在である。それが「イーストウインド」であり「ニュージーランド大好き社」である。日本人留学生と、日本人の留学エージェントは対の関係であるので、互いが互いを必要とし、それゆえに仲が良く、同時に仲が悪い。日本人留学生からは、エージェントの悪口を、散々、聞かされ、エージェントからは日本人留学生の悪口を、散々、聞かされ、「品行方正・成績優秀・絵に描いたような模範生」である私は、辟易(へきえき)したのだ。その負の感情が、30年を経った現在も生き続けることが、このブログを書く理由である。

残念ながら、ニュージーランドは地上の楽園ではない。残念ながら、ニュージーランドに生きることは、辛く、厳しい現実があり、暗く貧しい未来しかない。それが「伝言ゲーム」で在留邦人に伝わると、『ニュージーランドは地上の楽園』に変わってしまう、悲しき裏事情がある。

私は、皆さんに、言明したい。『在留邦人に騙されないために外国語を勉強しよう』と。英語でなくて良い。中国語でも、韓国語でも、アゼルバイジャン語でも良い。「日本人に騙されないように、在留邦人の留学エージェントに騙されないように、ニュージーランド留学の斡旋組織である "Education New Zealand" に騙されないように外国語を勉強しよう」と。

私のように、現地の人間が持つ以上の英語力を備えると、「嘘」は一瞬で見抜ける。イーストウインドの田中の「嘘」も、日刊ニュージーランドライフの長田雅史の「嘘」も、ニュージーランド移住留学デスクの寺西尚樹の「嘘」も、コブさん不動産投資家の公務員ITエンジニアの「嘘」も、0.02秒で見抜ける。だって、皆、同じ形の「嘘」だからすぐにわかる。在留邦人って、バカなんじゃないのかって。まぁ、バカなんですけどね。

現地の言葉がわかり、現地の生活習慣がわかり、現地の人の考え方、判断の仕方、お金の使い方、時間の使い方、人間性がわかると、『それは現地では通らないが、日本人には伝わる表現』が、わかる。つまり、これが「嘘」である。

2021年6月、AV男優の沢木和也という男が癌(がん)で死んだ。沢木は末期がんで死ぬことをわかっていたので、長男へ宛てた手記を残している。数奇な運命を歩んだアウトローな人間らしく、最期だけは、人が生きる人生に役立つヒントを残した。沢木は「詐欺師」の特徴について『会っていきなり握手をしてくるヤツは詐欺師』『アメリカ人 気取りで、挨拶もそこそこ、笑顔で握手をしてくるヤツは詐欺師』と、言明している。私が5ドルを貸して返してくれなかった北海道の日本人も、ニコニコしながらやって来た。いまでも、そのニコニコ顔は脳裏に焼きついているので、私を敵に回すと怖いなと思います。イーストウインドの田中も、日刊ニュージーランドライフの長田雅史も、ニュージーランド移住留学デスクの寺西尚樹も、ニュージーランド不動産投資おじさんも、挨拶もそこそこ、笑顔でガッチリ握手を求めてくるおじさんたちだと思います。なぜなら、詐欺師だから。"Education New Zealand" の職員も、現地校の留学生担当職員(=指導教員ではない)も、会っていきなりガッチリ握手でしょ。詐欺師だから。現地校の指導教員は、性格の悪い人しかいないから、ガッチリ握手を求める人はいない。これ、現地校に通い卒業した私のような人間なら 0.02秒でわかる。現地校の生徒にもわかるはず。教員に性格の良い人がいないことも。現地校の教員を絶賛しているのは、現地校に通った経験のない在留邦人、100万円単位のお世話料を受け取る日本人の留学エージェント、ニュージーランド留学の斡旋組織である "Education New Zealand" だけだもの。それが、その人たちの生業(なりわい)だから、絶賛しているだけ。おカネを稼ぐために嘘をつく「詐欺師」だから。
イーストウインドの田中のもとで働いていたニュージーランド大好き社の野澤哲夫社長、クイーンズタウン・TATSUMIのオーナー・キガミ(ツダ)ヨウコ氏も、そう、思いませんか?(野澤社長に送った3通の質問状は、もう3年が経ちますが、まだ1通もお返事が来ておりません。これも、ニュージーランドがスーパースローな社会だからなのでしょうか?)。
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私に群がるキチガイたち [在留邦人批判]

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"Yon Slowalker" という、ゲイで丸坊主の精神障害者が、私の"note"にコメントを書き込んだ。私が一文字も書いていない「福沢諭吉の思想」についてだ。わざわざ、"note" のアカウントまで作りコメントを書いてきた。よほど、私のことが好きなのだろう。ご愁傷さまです。さらに、自分の facebook ページに転用し、自分の書き込みに自分でボケて、自分でツッコミを入れ、自分と自分が会話を続けるキモチワルイ投稿を繰り返している。本当に、精神病というか、自閉症というか、脳機能障害であることは確実だ。訳のわからないコメントを書き込まれると思考が停止するので、止めていただきたい。

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた時も、学内に自閉症の生徒がいた。いつも「自分の中にいる自分」と、対話をしている生徒で、とにかく独り言が激しく、うるさかった。常に「自分の中の自分」と、対話をしているので、いきなり大声で話し始め、唸り出し、笑い出し、とにかくうるさい生徒だった。ニュージーランドの人は、「犬」と「子供」と「キチガイ」を同列に扱い、やさしく接するので、自閉症の生徒も普通学級に通っていた。それゆえに、私たち一般生は非常に苦労した。"Yon Slowalker" の書き込みを見て、約30年ぶりに、自閉症の生徒のことを思い出した。

"Yon Slowalker" は、「ガメ・オベールの日本語練習帳」の "James F." にも噛みつき、"James F." からブロック(追放)され、そのことに反感を持っている。"Yon Slowalker" と「ガメ・オベールの日本語練習帳」の "James F." に共通する点は、私のブログを無断転用し、許可なくURLを公表したことにある。このブログの「注意書き」にも書いた通り、許可なく私のブログの文面とURLは転用しないでもらいたい。なぜなら、著作権の侵害だからである。著作権の侵害は、在留邦人が大好きなニュージーランドでも、在留邦人が大嫌いな日本でも「罪」として扱われ、刑事事件として立件対象となる。これ、常識な。 ゲイで丸坊主の精神障害者に忠告しても伝わらないことは、私の学校にいた自閉症の生徒を知っているので、骨の髄までわかります。自閉症の生徒は、知能指数は平均的でも、とにかく会話が通じない。この行為が、私がゲイや同性愛者に対する偏見を深めることになるので、あなたのやっている罪は、あなたが想像する以上に重たい。世界中のゲイ・同性愛者の人権を奪うことになる。

"Yon Slowalker" は、私をニュージーランド警察に通報すると書き込んでいる。これを、ニュージーランド警察が捜査案件として受理するのか興味がある。何事もスーパースローに動くニュージーランドで、治外法権(Extraterritoriality)という概念が有効性を持つ法治国家のニュージーランドで、私に捜査が及ぶのか、私が知りたい。さぁ、お手並み拝見といこうじゃないか。

"Yon Slowalker" が、在留邦人なのか否か不明だが、在留邦人は「言うけれどやらない」から、言うことはやってもらいたい。その結果は、私の "note" のコメント欄に書き込まないでください。書き込まなくても、既に、結果はわかっていますから。

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた約30年前、当時30代の在留邦人は現在60代になっている。「イーストウインドの田中」「Yon Slowalker」も、この年代に入る。この年代の在留邦人による日本弾圧が凄まじい。徹底的に日本社会を批判し、家族を批判し、とにかく日本に対しては「総批判」しかない。
しかし、1960年代は、既に日本社会は豊かになり、貧困を起源とする少年犯罪は激減し、社会福祉制度は充実していた。義務教育課程は完全に整備され、高等学校への進学率も急上昇した時期である。1954年から20年間続いた高度経済成長期のド真ん中で青春期を過ごしている。物理的にも、精神的にも、最も満たされたのが現在60歳前後の人たちであることは計量的に裏付けられている。私がニュージーランドで惨めな青春期を過ごしたのとは、大違いです。
その一方で、ニュージーランド在住の日本人の中では、この年代層の人たちが、最も過激な言動を行っている。1つでも自分の要望が叶わないと「日本が悪い」「日本の親が、親族が悪い」と、なってしまう。同じことがニュージーランドで起きても、「ニュージーランドが悪い」「ニュージーランド人が悪い」とは、ならない。大部分の在留邦人は、家族関係が非常に複雑で、自分がどれだけ哀れな身に置かれたか、そのことを強調する側面が強いが、私が見るかぎり、この人たちが家族から粗末な扱いは受けた過去はなく、どの家庭でも平均的に見られるノーマルな家族関係である。しかし、その家族関係を認めることは永遠にない。在留邦人は被害妄想とコンプレックスの塊で、自分が理想とする「青い鳥」を求め、さまよい続ける「青い鳥症候群」と表記するとわかりやすいだろう。「青い鳥症候群」は、精神病ではなく、単なる性格傾向である。ニュージーランドに「青い鳥」は実在するのか。ニュージーランドに青い鳥は実在しない。そんな夢の鳥は実在しないから「青い鳥」なのである。
ここまでくると、社会問題を飛び越え、個人の問題に転じているが、在留邦人は、そのことにまったく気がつかない。簡単に言うと、「非常に面倒な人たち」である。この人たちが私のブログにやってきて、オフトピックな訳のわからない書き込みをするので、私は、辟易(へきえき)しているのだ。

現在60歳前後の、在ニュージーランド日本人は、日本社会で上手くやっていけない。「協調性」を重視する(?)多様性・多文化社会のニュージーランド(?)では、それ以上に上手くやっていけないけれどね。

現地校で「絵に描いたような模範生」と言われた私でも、ニュージーランドの生活は、心底、くたびれた。もう、永久に、永遠に、ニュージーランドの生活には戻りたくない。ニュージーランドに比べたら内戦が続くアフガニスタンの暮らしの方が心地良いとすら思える。やはりニュージーランドは、人間が生きる土地ではない。私は、アフガニスタンに行ったことはないんですけれどね。

私の書き込みを読む人って、本当に、メンタルが逝った人しかいない。メンタルが逝った人にも、やさしく伝わる私の日本語力を褒めてあげたい。私が書く日本語ってレべチなんだと。メンタルが逝った人にも通じる日本語って、スゴくね? もはや、日本語の域を超えているとしか表現できません。

それと、「たけ NZ大工さん」が、在日韓国人だとコメントを書いてきた人。そんなこと、とっくのとーに知ってますよ。あなたが知っていることは、私は10年前から知っている。すんごい自慢話しを、鬼の首を取ったように書き込まれても、とっくのとーに知ってますから、そーいうコメント、イチイチ、書き込まないでください。削除するのが面倒なので。

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた時も、在日韓国人の留学生が、一定数、在学していた。在日韓国人はビジネスで成功した人が多く、その子女は裕福な家庭育ちのため、育ちの良い子が多かった。身なりが綺麗で、お金にガツガツしておらず、受け答えもしっかりできていたので、接していて気持ちが良かった。日本人留学生とは大違いです。それゆえに、私の在日韓国人に対する印象は、とても良いものがある。留学していた在日韓国人の子女は、お父さんもお母さんも韓国人なので、その子の名も韓国名だったが、日本で生まれ育ったので日本語しか話せなかった。在日韓国人の子女は、周りに韓国人がいても韓国人との接点はなく、韓国語も話せないので、いつも、日本人留学生と一緒にいた。

海外在留韓国人は「在日韓国人」の存在を認識しつつ、実際に「在日韓国人」に会ったことがないので、ニュージーランドで「在日韓国人」に会うと、とても驚いていた。同胞なのに、韓国名を持つ韓国人なのに、韓国語が話せない。韓国特有のカルチャーは通用せず、韓国社会特有の上下関係も通用しないのに、韓国人としてそこにいる。「これが在日韓国人か!」と、韓国人が最も驚く存在が「在日韓国人」なのである。

在日韓国人は、ニュージーランドでスターになれる。在留韓国人が、五歩、いや、十歩、後ずさりし、心の底から驚く。どの韓国人も、スターを見つめるまなざしで「在日韓国人」を見るようになる。在日韓国人を見つけた生徒は、他のクラスへ走って行き、他の韓国人を連れて戻って来て在日韓国人を直視する。『あの子が、在日韓国人だよ』ってね。これ、実際に私の学校で起きていた。現地校に在学歴のない在留邦人は、このような現地情報を提供しないでしょ。だって、現地のことは何も知らず「妄想」でお話を作るだけのデタラメニュージーランド生活ですからね。そりゃー、いいことしか言いませんよ。全部、妄想話、作り話、なんだから。

在日韓国人は韓国人の前でスターになれるので、韓国人の前で「在日」であることを公表してください。日本人の前で在日韓国人であることを公表しても、誰も、何とも思わず、『アイツ、在日だから近づくな』と、人種差別の対象になりますから、言わない方がお得です。
「口(くち)は災いの元」という諺もありますが、英語ではこれに準ずる "speech is silver, silence is golden" という現地校の生徒であれば中学生でも知っている有名な諺があり、こちらの意味の方がしっくりくると思います。

皆さんは、私にお月謝を払わないのに、私からお勉強をおそわり、悪い頭が少しだけ賢くなるわけですから『自分は世界で一番の幸せ者だ』と公言し、私以外の人の前で大きな声で自慢してください。その自慢、相手にもちゃんと伝わります。私の前で自慢はしなくていいです。皆さんの頭が悪いことは、百も承知ですから。
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デブとブスとキチガイはニュージーランドに行け [在留邦人批判]

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私は、3つのブログを開設している。
1つは、この「ニュージーランド大嫌い」。
もう1つは、研究用のウェブ日誌で、こちらは専門知識がない人は最初の2行も読めない難しいことが書いてある。熱心な読者が2名存在し、どちらも旧共産圏の出身、高度なドイツ語を理解し、高度な法学の知識、特に、ドイツの刑事訴訟法に関する学識を有する人物であるが、私はこの2人が誰なのか、その正体を知らない。
3つ目は、「Tumblr(タンブラー)」というウェブサイトに書いていた私的な雑記であるが、「Tumblr」は非常にややこしい作りで、多言語に対応しているが故に、頻繁に「タイ語」に自動変換されてしまい、タイ語なので読むことができず、元へ戻すことに苦労したので閉鎖した。「Tumblr」の情報を引き出し「note」へ移植する予定であったが失敗したので、過去のすべてのデータが消え新規に立ち上げ、現在に至る。
「note」にはデフォルトでコメント欄が公開されることから「ニュージーランド大嫌い」経由で、ニュージーランドのこと1つも書いていない「note」へやってきて、ニュージーランドのことでコメントを残す在留邦人がいる。私へ対する辛辣(しんらつ)な批判が書き込まれることは想定内であったが、私への批判は1つもなく、在留邦人によるニュージーランド批判、および、在留邦人 対 在留邦人への批判に留まる。

過去に幾度もこのブログへ書き綴っているが、在留邦人は、皆、仲が良い。これだけは私のすべてを掛けて断言できる。在留邦人は、皆、仲が良い。
その反面、在留邦人は、皆、仲が悪い。これも、私のすべてを掛けて断言できる。在留邦人は、皆、仲が悪い。その人がいない裏では、その人の悪口しか言わない。もう、恐ろしいくらい、多重人格な人間しかいない。それが「日本人の仮面を被った悪魔」である在留邦人という存在なのだ。
この意味がわかる人が「note」のコメント欄に書き込みをしてくる。あのね、自分だけだからね。自分だけは人から嫌われていないと勘違いしているのは。あなたは嫌われている。あなたの知らない裏で、嫌われ、悪口を言われ、批判され、人格否定されている。これも、私のすべてを掛けて断言できる。あなたは、嫌われている。今、この瞬間も。

在留邦人が在留邦人を批判し、悪口しか言わない理由は簡単なことで、誰も、その人のことを知らず、信用していないからだ。在留邦人は25歳を過ぎてからニュージーランドにやってくる。25歳を過ぎた「大人」は「大人」に対し厳しい目で視る。『コイツは、自分の敵なのか』『コイツは信用できるのか』『コイツは利用できるのか』と、他の邦人に対し、良い見方がされることはない。在留邦人にとっての在留邦人とは「外部協力者」であり、悪いことをする時の「共犯者」であり、「下請け」として自分の言いなりに動く人間を意味する。在住歴の長い在留邦人が幅を利かせ、自分の好き勝手に、右に左に、新入りの日本人移住者を動かす。これを組織でやっていたのが「イーストウインドの田中」である。新入りの日本人移住者からすると、『何で、知らない日本人に、コキ使われるのか』と、反発する。閉鎖的な邦人社会では反発も反論も許されない相撲部屋の縦社会ルールがあるので、反発する者に対し邦人社会は激高する。そして、悪口と嫌がらせが始まる。
それでは、従順に従う邦人は優遇されるのか。実は、それもない。在留邦人の味方が在留邦人であれば、在留邦人の敵も在留邦人である。ある時まで仲良しだった邦人同士も、所詮、知らない人であり、信頼関係がない人なので、ある時を境い目に「敵」と見なし攻撃が始まる。セクト内で「内ゲバ」が起きる。在留邦人は仲が良くても、悪くても、どのみち「敵」になる。邦人社会には、非常に面倒な人間関係が存在するのだ。

日本人留学生はキチガイしかいない。キチガイだから日本の学校から退学処分を受けた生徒が多くやって来る。日本人留学生の質がどれだけ低いのか。留学生なら誰もが知る「黒い現実」である。
私が在籍した現地校(ニュージーランドでは数少ない私立校)にいた一番面倒な日本人留学生は、東京の有名私立校(女子校)を中退し、なぜか、世界の僻地にあるニュージーランドへやって来た女子生徒。東京の有名私立校(女子校)の出身なので、理数系科目はよくできる生徒であったが、英語がまったくできなかった。それでも、東京の有名私立校(女子校)に通っていた過去があるだけにプライドは高く、とにかく負けず嫌い。プライドが高く負けず嫌いなのに英語の成績が悪いので、私を見つけると、ヒステリックに文句ばかり言いに来た。私に、自分の成績が悪い文句を言いつけに来ても、その人の成績が良くなるわけではない。いつも、ヒステリックに怒鳴られ、辟易(へきえき)した。何で私が、知らない日本人留学生に怒鳴られなくてはいけないのかと嫌になった。それでも現地校の教員は、同じ国から来た生徒同士は助け合えと、古典的なキリスト教の教え(注:キリスト教は "Bible based Peer Support" = 「聖書を原典とする相互扶助」と言う概念を重視する)があり、教員の仕事を丸投げされた。私は、ヒステリックに怒鳴りつけてくる日本人留学生のお世話はやりたくないので("Peer Support" は義務ではない)、いつも逃げまわっていたら、副校長という女性教員がやってきて(注:この女性副校長は新任だったので学内でも知名度がなく他の教員も名前すら覚えていなかった)、『あなたは、なぜ、日本人留学生を助けないのか」と、怒られた。私は『知らない生徒は、日本人であってもなくても、助けられない』『日本人だからと言って、誰とでも仲良くできるわけではない』『何かを手伝ってあげてもお礼も言わない、一般常識のない生徒は、日本人であってもなくても、助けられない』『私が新入生の時は、現地生に分からない事を色々と聞いたが、誰も助けてくれなかった』と、他の教員の目の前でも、保護者の目の前でも主張したが、この女性副校長には、まったく通じなかった。キリスト教学校で、"Peer Support" が機能していなければ、そこは、キリスト教の精神を養う学校ではない。しかし、実際に、"Peer Support" は、機能していなかった。"Peer Support" は、在校生には非常に酷な仕組みであり、負担が大きく、どの生徒も最初の1回はやっても、次はやらない。知らない生徒が知らない生徒の手助けをする仕組みは、非常に負担が重たいのである。"Peer Support" が機能してないという事実を認めてしまえば「キリスト教学校の副校長」としての責任が問われてしまうため、副校長は保身のため、決して、認めることはない。"PTBA" と言う強靭な学内組合を持つニュージーランドでは、幹部教員はあっさり、クビになってしまう。ニュージーランドの幹部教員(管理職)は「官僚以上の官僚」である。自分が絶対的に正しいと信じ込み、その主張を曲げない。自分だけは全てが正しく、他の人の全てが間違っていると、どこかの国の在留邦人と非常によく似た気質である。
私の学校に、関西の学校から視察にやって来た日本人の男性の先生が、『この国の先生は軍人みたいだ』と言うので『"軍人みたい"じゃなく、"軍人"ですよ』と、答えた。ニュージーランドでは、官僚が特権的地位を持つことがないので(注:官僚は任期付き採用なので特権を持てない)、「官僚」と記載した部分を「軍人」に読み替えてもらえば意味が通じるだろう。
これに対し、留学エージェントもクズしかいない。核廃棄物より下等なクズだ。人間社会の最も汚い連中、それが、在留邦人という存在だ。学内のことは私のほうがよくわかるので、『あとはやっておいて』と、自分の生徒を私へ丸投げした。100万円単位の「お世話料」を受け取る留学エージェントが、まったく仕事をせず、自分の仕事を私へ丸投げし、自分だけは100万円を懐に入れる。私は、日本人留学エージェントを完全に無視した。日本人留学エージェントも私を無視するようになった。「在留邦人の敵は在留邦人」が、立証されることになった。
日本人留学エージェントは「留学生はすごい」「留学生は何でもできる」「留学経験は何にでも役立つ」と、絶賛するが、日本人留学生で自分のことを自分でやれる生徒は、100人に1人もいない。私のような先輩留学生が精神異常の留学生を、しぶしぶ、助けているから、自分の生徒が何でもできているかのように見えるだけで、実際は何もできていない。「できていそう」と「できている」は、まったく異なる意味であり、まったく異なる日本語である。留学エージェントは、この違いすら理解できない。それを「どの留学生も何でもできる」と言い出す留学エージェントの発言を、私が受け入れることはできない。それができていれば、私が日本人留学生からも、現地校の副校長からも、ヒステリックに怒鳴られることはなかったからだ。

在留邦人の110%は、メンタルがイカれているので、何を言っても通じない。自分もイカれているので、他の邦人もイカれていると思っている。日本社会を憎み、徹底した日本叩きを始め、反日思想の塊となる根源は、イカれたメンタルにある。在留邦人は、ニュージーランドに来る前からキチガイしかいない。

日本人留学生のほとんどは、ニュージーランドに来る前から精神異常者である。留学生の多くは抗うつ薬、精神安定剤を服用している。きちっと薬物治療を続けていれば異常行動を取る機会が減少するにも関わらず、自己判断で投薬治療を止めるので、まったく無関係な私が、右に左に振り回される。民間の留学エージェントも、エデュケーション・ニュージーランド(ニュージーランド教育省の留学勧誘組織)もこの事実を把握しているにも関わらず、決して公表しない。エデュケーション・ニュージーランド駐日代表の北岡美佐子氏(スタンフォード大BA)、その前任である Fiona Haiko氏(ワイカト大BA・早大院MA)も、一般向けの公開セミナーで説明すればいい。『日本から世界の僻地にあるニュージーランドに来る生徒なんて問題児ばかりの精神異常者しかいません』『日本人留学生は精神安定剤と抗うつ薬を服用しているから現地で異常行動を起こします』『本当にキチガイしかいないので、あなたがキチガイなら、ニュージーランドはあなたがいるべき場所です』ってね。実際に、異常行動を起こす日本人留学生がたくさんいるじゃない。警察沙汰になる日本人留学生が、イミグレから退去命令が出る日本人留学生がたくさんいるじゃない。知らないとは言わせない。あれだけたくさんいるんだから。留学生なら、皆、知っている事実だよ。そうした汚い部分を、隠して、隠して、隠し続けるから、現地で真面目に就学する私のような模範生が、一番最初に被害を受ける。現地校の教員だって、皆、知っている。海外留学生は、精神異常者しかいないことを。だけど、誰も言わない。言ってしまえば、学校におカネが入らず、自分がクビになるからだ。

私がニュージーランドを離れ、最も安堵したことは「在留邦人・留学生との関係がなくなったこと」にある。心に平和が訪れ、大きな呼吸ができるようになった。それまで続いた頭痛が止まった。『頭が割れそうに痛い』と、言いながら起きる朝はなくなった。やっぱりニュージーランドって、人間が住む土地ではないなって思うんです。皆さんも、そう、思いませんか? 思いませんよね。だから、在留邦人を続けることができるわけですから。

在留邦人は、ニュージーランドが好きなわけじゃない。ニュージーランドの邦人社会が好きなだけ。「お山の大将」「裸の王様」として君臨できる邦人社会が好きなだけ。だって、そういう人しか、ニュージーランドに残れない。

私が「note」に書いた内容は公開しているので読むことは自由ですが、ニュージーランドのことは1つも書いておりませんので、「note」のコメント欄に、ニュージーランドや、在留邦人の批判は書き込まないでいただきたい。
それと、『とある在留邦人が悪いことをしているので悪口を書いてくれ』という申し出に応じることはできない。『一体、それは、誰のことなのか?』と聞いても、『それは自分で調べろ』と、誰のことかわからない、どの書き込みかもわからず、誰だかわからない在留邦人を批判することはできない。
私が特定の在留邦人を名指しで批判する時は、その在留邦人に間違いを指摘しても無視を続け、修正に応じず、このやり取りを複数回繰り返しても、一切、応じない時に限る。それは、イーストウインドの田中であり、日刊ニュージーランドライフの長田雅史であり、ニュージーランド移住留学デスクの寺西尚樹である。彼らは、あまりに偏りある、事実を無視した上に誇張し歪曲し、嘘・デタラメ・妄想を書き綴るので、私は、幾度となく、指摘をしたが応じることはなかった。
長田雅史は facebook のアカウントから私をブロック(追放)しているので、批判すら受けつけない。如何に、長田雅史の書き綴る内容が、嘘とデタラメと妄想だらけか、典型的な精神異常者が書く内容なのである。自らが書いた内容に絶対の自信があるのなら、私をブロックする理由もない。それだけ、長田雅史の書き込みは、嘘・デタラメ・妄想で占められる「インチキ」であることが立証できる。

私は、誰彼構わず他人を攻撃しているわけではないので、どうか、ご理解いただきたい。
そして、私の「note」がどこに開設されているのか知りたい人は、どうか、探さないでいただきたい。

このブログへ流入してくる 83.3% は、ブックマーク(お気に入り)からの流入である。つまり、リピーターである。一度、私の書き込みを読んだ人が、再度、読みにきている。
私が書く内容に関心を抱く人の目的は、何であるのか。

私がニュージーランドで惨めな高校生をやっていた約30年前(正確には25年前か?)、どの学年だったのか覚えていないが、英語科のクラスでは、毎日、身近な出来事を日記として書いて提出することが求められた。A4サイズのレポート用紙(ニュージーランドの高校生なら誰もが使用する "WARWIC 200 Leaf Ruled 7mm")に、ビッシリ書き込み、教員へ提出した。英語を母語とする現地生は「書くことがない」と、ボヤいていたが、英語が第二言語(事実上の第三言語か?)である私は、レポート用紙の両面に隙間なくビッシリ書いていたので、毎日、1,000字くらい書いていたと思う(注:英文では "This is a pen" で、4文字と数える)。
提出した日記が返却される際、英語科の担任から『あなたの書く文章は面白いので、いつも、一番最初に読む』と言われ、『私も、そう思います(I think so too)』と、答えた。書く内容はスケベなことが多かったんですけどね。エロい話って、世界共通で愛されるんだなって思いました。

在留邦人の中には、夏休みの定番課題である「日記」を『それをやって何になる』と、批判する人がいるが、ニュージーランドの英語科のクラスでも、かなりの頻度で日記を書き、提出することが求められる。
現地のトップ校(←ここ重要)に通っていた卒業生に知り合いがいる人は聞いてみてほしい。日記を書いて学校に提出していたかと。トップ校の卒業生なら、どの人も口(くち)を揃え、"Yes, Indeed"(はい、その通り)と、答えますから。

ニュージーランド人は「超絶的にお勉強のできない民族」ですから、読み・書き・計算が、とにかくできない。読み間違いが多く、簡単な計算もできない。短い文章は書けても、長い文章は書けない。かろうじて文字は書けても、文法もスペルも間違っている。長い文章を正確に、ストーリーテリングで書くと、必然的に、論理的な記述になる。文章は論理的に書かないと長い文章は書けない。論理的な文章の書き方を身につけることなく大学へ進学しても良い点数はとれない。

ニュージーランドでは大学へ進学しても、5人に1人は、初年度(1年目)に中退している。3人に1人は、3年間で修了する学士課程を、2倍の6年をかけて終えている。現地生の学費は、四分の三が公費(税金)で支出されていることから、2倍の年月をかけて卒業することは、大きな国民負担が生じることを意味する。
他方、外国人留学生は全額100%自己負担で授業を受け卒業する。どちらの成績が良いのか、通知表を見なくてもわかってしまうニュージーランド教育界の「悲しき現実」があるのだ。
高校を卒業するまでに基礎教養を身に着けておかないと、莫大な国民負担が生じる代表例である。国民負担が生じる一番の理由は、学力不足にある。とりわけ、ニュージーランド人は文章を書くチカラがない。そのチカラを養う最初の機会が「日記」であることから、トップ校の多くで「日記」の提出が求められるのだ。

「学び」には、適切なタイミングがある。そのタイミングを逃してはいけない。「学び」は、いつでも、どこでもできる。しかし、「学びのタイミング」を逃すと定着率が下がり、独自の解釈に偏ってしまう。学びの場にいても、学びが身につかない。ニュージーランドに何年間いても、まったく英語力が向上しない在留邦人は、その典型例である。そう、それは、あなたのことを意味する。

学校へ提出する「日記」は、自分で好き勝手に書ける「日記」ではない。『あなたは、どう、思うか?(What do you think?)』と、聞かれ、『私は、こう、思う(I think this is)』と、答えれば、『バカヤロウ!』と、怒鳴られる。オマエの主観論など、誰も求めていない。客観的な事実を用いて根拠を示し、説得力ある文章を構成しなくてはいけない。その「論理」を学ぶところが学校である。学校へ提出する「日記」は、日記でも「日記」ではない。在留邦人は、この「日記」の意味を、まったく理解できていないので、学校へ「日記」を提出し、『それをやって何になる?』と、トンチンカンな回答になってしまうのだ。このトンチンカンな回答は、日本人にも、ニュージーランド人にも、他の外国人にも伝わらない。伝わるのは、在留邦人の間だけ。

しかしこれは判断が難しく、トップ校では日常的な課題として導入されるが、底辺校では課題として求められない。底辺校から大学へ進学する生徒は皆無であり、16歳の誕生日を過ぎると、どんどん中退していく。最終学年に残る生徒は極めて少ない。また、生徒が提出した課題は教員が添削する必要があることから、底辺校では手間の掛かる課題提出は求められない。教員が残業をして添削し、生徒に返却しなくてはいけない。ニュージーランドでは、トップ校の教員はお勉強のできるトップの教員が務めるが、底辺校の教員はお勉強のできない下層の人間が務めるので、トップ校と底辺校の教育格差は教員格差であり、極めて偏りある教育が行われている。教員も生徒も保護者も、そのことを理解した上で進学する学校を選ぶので「奇妙な調和」がとれている。トップ4%は「とてもお勉強ができる層」である一方で、それ以外の96%は「まったくお勉強ができない層」に分かれてしまう。この「奇妙な調和」が、大格差の根源である。

自分に自信がなく、自己肯定感がなく、自分を認めることができない日本人は、ニュージーランドへ行くべきだ。ニュージーランドにいる日本人は、最下層で生きる人間しかいないので、自分より下の人間がウジャウジャいる。自分に自信を持てない日本人が在留邦人に会えば『こんなクズでも生きているのか』と、驚くだろう。実際に、クズしかいないんですけれどね。
私もいろいろな国へ行ったが、ニュージーランドの在留邦人より下の層で生きる人間を見たことがない。奴隷制度が、今なお、存在していれば、確実に奴隷になっているのが、ニュージーランドの在留邦人である。在留邦人って、乞食より、ルンペンより下の層に生きる人間だと思うんですよ。本当に、心の底から「神様が間違って作った人間」だと思います。「神様が間違って作った人間」とは、ニュージーランドで、同性愛者に対し投げかけるアイロニカルな表現なんですけれどね。
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